インディ500で活躍した日本人選手をご紹介!
更新日:2024.09.09
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2017年に佐藤琢磨選手がインディ500で優勝したことは記憶に新しいですよね。異国の地で活躍されたシーンは、同じ日本人として勇気をいただきました。そこで今回は、インディ500にて活躍した日本人選手をご紹介していきます。
文・吉川賢一
文・吉川賢一
インディ500とは?
アメリカのインディアナ州で1911年から開催されており、モナコグランプリ、ル・マン24時間レースと並び、世界3大レースの1つに数えられます。
周回平均速度は予選で362km/h、決勝でも354km/hを超え、トップスピードは380km/hに達します。33台のマシンが競い合い、スリップストリームを駆使しオーバーテイクしていくシーンは、見ているファンを長年魅了し続けています。
周回平均速度は予選で362km/h、決勝でも354km/hを超え、トップスピードは380km/hに達します。33台のマシンが競い合い、スリップストリームを駆使しオーバーテイクしていくシーンは、見ているファンを長年魅了し続けています。
インディ500で活躍の日本人①|佐藤琢磨
1977年生まれ、1997年に鈴鹿のレーシングスクールで学び、2002年から2008年までフォーミュラ1に参戦しました。2010年からインディカー・シリーズに参戦しています。
インディ500での優勝は、日本人としてだけでなく、アジア人として初の快挙でした。実は、インディ500の優勝は、佐藤選手にとってインディカー・シリーズ2勝目です。
2013年のシリーズ第3戦目、グランプリ・オブ・ロングビーチでホンダのエンジンを搭載したマシンで悲願の初優勝を果たしていました。
インディ500での優勝は、日本人としてだけでなく、アジア人として初の快挙でした。実は、インディ500の優勝は、佐藤選手にとってインディカー・シリーズ2勝目です。
2013年のシリーズ第3戦目、グランプリ・オブ・ロングビーチでホンダのエンジンを搭載したマシンで悲願の初優勝を果たしていました。
インディ500で活躍の日本人②|松田秀士
1954年生まれ、大学在学中にカートレースでレース活動を始め、ブランクを経て、1983年からプロレーサーとして活動を開始しました。1996年に、インディ500で8位となっています。
自動車評論家としても活動中、インディカー中継を行っているGAORAでの解説は、インディファンの間で人気です。
自動車評論家としても活動中、インディカー中継を行っているGAORAでの解説は、インディファンの間で人気です。
インディ500で活躍の日本人③|野田英樹
1969年生まれ、13歳の時にカートレースを開始、1987年にFJ1600で4輪レースデビューしました。1989年にイギリスに渡り、イギリスF3に参戦、1991年には初優勝しました。
1996年からアメリカで活動、インディ・ライツに参戦、1997年のポートランドで初優勝しました。
1996年からアメリカで活動、インディ・ライツに参戦、1997年のポートランドで初優勝しました。
インディ500で活躍の日本人④|高木虎之介
1974年生まれ、少年時代にカートレースを開始、4輪レースは1992年にフォーミュラ・トヨタでデビューしました。1998年にはF1デビューを果たしています。
2003年にトヨタがインディカーに移ったのに伴い、インディカー・シリーズに参戦、2003年のインディー500で5位に入賞しています。
2003年にトヨタがインディカーに移ったのに伴い、インディカー・シリーズに参戦、2003年のインディー500で5位に入賞しています。
インディ500で活躍の日本人⑤|服部茂章
1963年生まれ、カートレースに16歳で参加、FJ1600鈴鹿シリーズで1990年にシリーズ4位となりました。
渡米後、インディ・アソシエイツライツで優勝、2000年からインディカー・シリーズに参戦、2002年にはインディ500の決勝で戦いました。2009年には自身のチーム「ハットリ・レーシング・エンタープライズ」を発足させ、監督を務めています。
渡米後、インディ・アソシエイツライツで優勝、2000年からインディカー・シリーズに参戦、2002年にはインディ500の決勝で戦いました。2009年には自身のチーム「ハットリ・レーシング・エンタープライズ」を発足させ、監督を務めています。
インディ500で活躍の日本人⑥|中野信治
1971年生まれ、幼いころからカートレースを開始、香港カートブリで優勝するなど活躍、18歳になり免許を取得すると同時に4輪レースデビューを果たしました。
2003年には栃木県のツインリンクもてぎで行われたインディ・ジャパン・300マイルに参戦、同年のインディ500にも参戦しました。1997年にF1モナコ、2005年から2008年までルマン24時間耐久レースに参加し、世界3大レースすべてに参加した最初の日本人となりました。
2003年には栃木県のツインリンクもてぎで行われたインディ・ジャパン・300マイルに参戦、同年のインディ500にも参戦しました。1997年にF1モナコ、2005年から2008年までルマン24時間耐久レースに参加し、世界3大レースすべてに参加した最初の日本人となりました。
インディ500で活躍の日本人⑦|松浦孝亮
1979年生まれ、佐藤琢磨同様、鈴鹿のレーシングスクール出身。1994年にカードデビュー、1999年からフォーミュラ・ドリームで活動、2001年からはドイツF3に参戦しました。
2004年から、インディカー・シリーズに鈴木亜久里の率いるチームのドライバーとして参戦しました。2008年から、インディカー・シリーズの中継で解説者としても活躍しています。
2004年から、インディカー・シリーズに鈴木亜久里の率いるチームのドライバーとして参戦しました。2008年から、インディカー・シリーズの中継で解説者としても活躍しています。
インディ500で活躍の日本人⑧|武藤英紀
1982年生まれ、13歳でカートレースデビュー、1998年に中学校を卒業してすぐイギリスに留学し、レースデビューしています。2004年から全日本F3選手権に参戦し、シリーズ9位となりました。
2007年にインディカー・シリーズの下位カテゴリー、インディ・プロ・シリーズに参加、シリーズ2位という好成績を達成しました。2008年から2011年にかけて、インディカー・シリーズにフル参戦しました。
2007年にインディカー・シリーズの下位カテゴリー、インディ・プロ・シリーズに参加、シリーズ2位という好成績を達成しました。2008年から2011年にかけて、インディカー・シリーズにフル参戦しました。
プロ・シリーズも含めると、さらに多くの選手が参戦しているインディカー・シリーズ。2018年シリーズにも佐藤琢磨選手は参戦中です。更なる日本選手の活躍が楽しみですね。
吉川賢一
モーターエンジニア兼YouTubeクリエイター。11年間、日産自動車にて操縦安定性-乗心地の性能技術開発を担当。次世代車の先行開発を経て、スカイラインやフーガ等のFR高級車開発に従事。その後、クルマの持つ「本音と建前」を情報発信していきたいと考え、2016年10月に日産自動車を退職。ライター兼YouTube動画作成をしながら、モータージャーナリストへのキャリア形成を目指している。