EVオヤジの未来予想図 VOL.1 資本主義的自動車世界
更新日:2024.09.09
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自動車が大きく揺れている。いったい自動車はこれからどうなるのだろうか。自動車業の最下流で禄を食む私としては、心配でたまらない。
text:舘内 端 [aheadアーカイブス vol.178 2017年9月号]
text:舘内 端 [aheadアーカイブス vol.178 2017年9月号]
- Chapter
- VOL.1 資本主義的自動車世界
VOL.1 資本主義的自動車世界
私の心配は、ずばり「自動車を職業にしていて食べて行けるか」だ。日本の自動車販売台数は激減し、自動車雑誌の売れ行きも(本誌を除いて)かんばしくない。人々の自動車への関心も薄れている。このままでは自動車物書きは辛い。
EVにシフトすると、エンジン技術者も、整備士も、エンジン部品を生産する企業も、EVに詳しくない物書きも困るに違いない。
さらに自動運転になると、教習所の教官、各種ドライバー、腕自慢の自動車評論家、レーシングドライバーも困る。
これらは馬車から自動車へ、蒸気機関車から電車へ変わった時や、自動織機が登場したときや、その他、新しい技術が登場したときには必ず起こったことだ。
そうして効率を高め、生産性を向上させ、人手を省き、その結果、経済が拡大し、企業が大きくなって、私たちは豊かな生活を送れるようになったのだ。それが自動車の世界に起きるわけだから、私たちは失業しても次の職業を探せばいいのだ?
このような文化、文明の大変化が起きたのは、日本でいえば明治維新であった。ただ、明治維新のときは、そうすることで資本主義経済が発展し、成長する余地がたくさんあったのだが、現代はもうない。
拡大に次ぐ拡大を行ってきた資本主義が行き詰ったのは、1980年代のことである。その先頭に立っていた米国が大きく舵を切った。その余波を受けて日本が変わった。
まず起きたのが日米自動車摩擦であった。米国が、日本車の輸出攻勢に音を上げ、米国に自動車工場を作らないと自動車の関税を高めると言い出した。アメリカン・ファーストであった。
そして、これを機に日本車の海外生産が本格化する。やがて私たち日本のユーザーは米国市場やら、中国・アジア市場やら、欧州市場向けの日本車のお余をありがたく頂戴することになった。現在では、カムリしかり、カローラしかり、シビック、アコード、NSX、レガシィしかりである。
日本のカーメーカーが世界で生産する自動車の台数はおよそ2700万台だ。うち国内生産が1000万台で、国内市場で売れるのがたった500万台弱。つまり、日本のカーメーカーは生産台数2700万台の81%を海外で売って経営を成り立たせているのである。
日本のカーメーカーは日本市場よりも海外市場に目を向けている。サイズも、デザインも、性能もすべて国際規格で作るようになった結果、どれもこれも似かよった世界車になってしまった。
だが、対前年比の売上を伸ばし、わが世の春を満喫しているカーメーカーの足元で大きな変化が起きている。自動車離れである。日本の自動車販売のピークは1990年の780万台である。それが2016年は497万台だ。しかも自動車離れは自動車先進国では軒並み起きている。そして自動車にまだ夢中のアジアの販売の伸びも早晩、鈍化する。だが、資本主義下では成長、拡大は必須だ。
自動車市場を牽引してきたのは新技術によるイノベーションである。1908年から19年間に及んだ同一モデルのT型フォードの生産を止めたのは、GMのフルライン、矢継ぎ早のモデルチェンジによるユーザーの欲望拡大戦略であった。ここから資本主義的自動車がスタートしたのだった。
そして現在。フロンティアを失いつつある自動車メーカーが仕掛けているのが、決死のイノベーションである。いち早く自動運転車とEVを開発して他社のシェアを奪うという戦略だ。これは他社のシェアこそがフロンティアとしての市場だという終末的競争の始まりである。
だが、本当の問題は自動車がおもしろいと感じられなくなってしまった私なのである。
真実は次回に。
EVにシフトすると、エンジン技術者も、整備士も、エンジン部品を生産する企業も、EVに詳しくない物書きも困るに違いない。
さらに自動運転になると、教習所の教官、各種ドライバー、腕自慢の自動車評論家、レーシングドライバーも困る。
これらは馬車から自動車へ、蒸気機関車から電車へ変わった時や、自動織機が登場したときや、その他、新しい技術が登場したときには必ず起こったことだ。
そうして効率を高め、生産性を向上させ、人手を省き、その結果、経済が拡大し、企業が大きくなって、私たちは豊かな生活を送れるようになったのだ。それが自動車の世界に起きるわけだから、私たちは失業しても次の職業を探せばいいのだ?
このような文化、文明の大変化が起きたのは、日本でいえば明治維新であった。ただ、明治維新のときは、そうすることで資本主義経済が発展し、成長する余地がたくさんあったのだが、現代はもうない。
拡大に次ぐ拡大を行ってきた資本主義が行き詰ったのは、1980年代のことである。その先頭に立っていた米国が大きく舵を切った。その余波を受けて日本が変わった。
まず起きたのが日米自動車摩擦であった。米国が、日本車の輸出攻勢に音を上げ、米国に自動車工場を作らないと自動車の関税を高めると言い出した。アメリカン・ファーストであった。
そして、これを機に日本車の海外生産が本格化する。やがて私たち日本のユーザーは米国市場やら、中国・アジア市場やら、欧州市場向けの日本車のお余をありがたく頂戴することになった。現在では、カムリしかり、カローラしかり、シビック、アコード、NSX、レガシィしかりである。
日本のカーメーカーが世界で生産する自動車の台数はおよそ2700万台だ。うち国内生産が1000万台で、国内市場で売れるのがたった500万台弱。つまり、日本のカーメーカーは生産台数2700万台の81%を海外で売って経営を成り立たせているのである。
日本のカーメーカーは日本市場よりも海外市場に目を向けている。サイズも、デザインも、性能もすべて国際規格で作るようになった結果、どれもこれも似かよった世界車になってしまった。
だが、対前年比の売上を伸ばし、わが世の春を満喫しているカーメーカーの足元で大きな変化が起きている。自動車離れである。日本の自動車販売のピークは1990年の780万台である。それが2016年は497万台だ。しかも自動車離れは自動車先進国では軒並み起きている。そして自動車にまだ夢中のアジアの販売の伸びも早晩、鈍化する。だが、資本主義下では成長、拡大は必須だ。
自動車市場を牽引してきたのは新技術によるイノベーションである。1908年から19年間に及んだ同一モデルのT型フォードの生産を止めたのは、GMのフルライン、矢継ぎ早のモデルチェンジによるユーザーの欲望拡大戦略であった。ここから資本主義的自動車がスタートしたのだった。
そして現在。フロンティアを失いつつある自動車メーカーが仕掛けているのが、決死のイノベーションである。いち早く自動運転車とEVを開発して他社のシェアを奪うという戦略だ。これは他社のシェアこそがフロンティアとしての市場だという終末的競争の始まりである。
だが、本当の問題は自動車がおもしろいと感じられなくなってしまった私なのである。
真実は次回に。
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text:舘内 端/Tadashi Tateuchi
1947年生まれ。自動車評論家、日本EVクラブ代表。東大宇宙航空研究所勤務の後、レーシングカーの設計に携わる。’94年には日本EVクラブを設立、日本における電気自動車の第一人者として知られている。現在は、テクノロジーと文化の両面からクルマを論じることができる評論家として活躍。
text:舘内 端/Tadashi Tateuchi
1947年生まれ。自動車評論家、日本EVクラブ代表。東大宇宙航空研究所勤務の後、レーシングカーの設計に携わる。’94年には日本EVクラブを設立、日本における電気自動車の第一人者として知られている。現在は、テクノロジーと文化の両面からクルマを論じることができる評論家として活躍。