世界でも好評価!日産フェアレディZの魅力とは?

フェアレディZ 初代 S30

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世界でも高い人気を誇る日産のスポーツカー、フェアレディZ。バブル期には、Z32型のフェアレディZと言えば街で見かければ誰もが振り向くほどの憧れの車でした。今でも記憶に残っている方も多いのではないでしょうか?現在ではZ33、Z34型と進化したフェアレディZ、今回はその魅力に触れてみたいと思います。
Chapter
そもそもフェアレディZとは?
2代目フェアレディ「スーパーZ」
3代目はZ31型
1989年、今でも人気のZ32型が登場!
Z33、Z34の時代へ
海外での人気もスゴイ

そもそもフェアレディZとは?

もともとは『ダットサン・フェアレディ』に代わって発売された『フェアレディZ』。

1969年に初代S30/S31型は発売され、ヨーロッパの高級スポーツカーに匹敵するほどの魅力あるスタイリングや高性能なスペックを持つにもかかわらず、それらよりも安価に販売されたことから大ヒットしたクルマです。

日本でもベーシックグレードは84万円からということで若者を中心に人気を博しました。今でも初代の程度の良い物は高値で取引され、ビンテージ市場でも人気の車種です。

2代目フェアレディ「スーパーZ」

その後、1978年にS130型系の2代目が登場。

この代ではテレビドラマ『西部警察』に登場するパトロールカー「スーパーZ」としても使用されたことは有名です。

3代目はZ31型

1983年には空力性能を重視して、エクステリアをシェイプアップした3代目が登場。

Z31型と呼ばれ、今までの直6エンジンではなくV6エンジンを搭載。230psを誇ったVG30ET型のエンジン搭載の欧州向けモデルでは最高速度はついに250km/hを達成しています。

1989年、今でも人気のZ32型が登場!

そして1989年、Z32型が登場。

斬新なデザインにワイド&ローというスポーツカーのイメージを色濃くアピール。エンジンは3リッターV6のNAとターボの2種類。NAは230ps、ターボは280psを誇りました。ちなみに、この時運輸省からの指導により馬力の自主規制が導入され、この280psというのが規制値となり、その後、長く日本車は280psという規制に縛られることになるのです。

なお、このZ32型は2シーターおよび2by2の2種類のボディを持ち、Tバールーフやコンバーチブルのモデルも発売され、その後、2000年9月まで発売されるという日本車にしては珍しく長寿命な車種となりました。

Z33、Z34の時代へ

Z32の生産終了後、しばらくは絶版車となっていましたが、2002年に3代目となるZ33が発売されました。

海外では『350Z』という名称のこの車、デザインは大きく変更され、丸みを帯びたデザインになり、2シーターのみの設定となりました。

空力性能が非常に優れており、フロントゼロリフトを達成、前後スポイラー装着車になるとCd値が0.29で、フロント・リアともにゼロリフトを達成。エンジンは新型のVQ型エンジンが搭載され、3.5LのV6NAエンジンから280PS、後期型では313PSを発生。

このモデルからは年次モデル制度が導入され、輸入車のように毎年少しづつ改良されていくという形になったことも大きな特徴です。

そして、2008年には現行のZ34型が登場。Z33型のデザインを踏襲しながらも、シャシーはCV36型スカイラインクーペのものが基本的なベースとなり、リアサスペンション周辺の構造変更やアルミニウムの採用など大きく変更。

その結果、先代と比べてねじり剛性を40%、前後曲げ剛性を10%、横曲げ剛性を60%向上しています。エンジンは3.7Lになり、これに伴い海外での車名は『370Z』に。そして、パワーは336PSにまで高められました。

海外での人気もスゴイ

フェアレディZは海外でも非常に人気です。

そのことを物語るエピソードとして、初代の開発・販売を企画した米国日産の社長であった片山豊氏(故人)などは『Z-carの父』と呼ばれていました。世界各国で慕われ、亡くなられた時にはTwitter上に「#Mr_K」のハッシュタグが作られ、そこには多くの悲しみや哀悼のメッセージが寄せられたのです。

もちろん、各地でオーナーズクラブやファンミーティングも開催されています。往年のモデルから最新のZ34型までZファンが集まり、Zに対する熱い想いが世界各地で語られているのです。

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