かつて存在したサターンという車、その歴史や現在は?

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かつて、日本に存在していたサターン。「ユーザー・ファースト」を武器に、一定の支持を得ましたが現在ではブランド自体が廃止、ほとんどその姿を見ることはありません。今回は、サターンの歴史や日本から撤退した理由について紹介します。

文・PBKK
Chapter
サターンは、日本車に押されていた時代に登場
サターンは燃費や環境などに配慮し、手厚いサポートで支持を得ていく
サターンは日本から撤退、ブランド自体も消滅

サターンは、日本車に押されていた時代に登場

1970年代以降、アメリカではオイルショックなどの問題から、より燃費性能の高いクルマが求められるようになり、その要望を満たす日本車に大きな注目が集まりました。燃費だけでなく使いやすい日本車は大きな人気を博し、アメリカ市場で大きなシェアを獲得しました。

そんな状況で、アメリカの自動車メーカーは、自分たちのクルマが売れにくい状況を打破すべく、日本車にも対抗できるようなクルマを作ろうと考えます。そして1985年、GM車が打開策として新ブランド「サターン」を設立します。

サターンは燃費や環境などに配慮し、手厚いサポートで支持を得ていく

GM社は、アメリカ各地にサターン用のディーラーを新設しました。また、製造工場を本社のあるデトロイト州ではなくテネシー州の田舎に建設するなど、今までのGMとは一線を画す体制で販売網を築きました。

サターンブランドのクルマは燃費性能の高さに加え、ボディーに樹脂製素材を使用してヘコみ等の耐性を高めたりと、メンテナンスコストにも配慮した設計が特徴でした。また、サターンはその販売方法が大きな武器でした。

GM社は、サターン設立前に行った市場調査で「GM社のディーラーは高圧的で、女性が入りにくい」などの悪評が目立ったこと受け、ユーザーファーストを徹底し、「接客」を第一にします。

過度な声掛けをしないノンプレッシャー営業、値引き交渉せず公平に販売を行うワンプライス制など、当時の米国ディーラーでは類を見ない手法を続々と取り入れていきます。その結果、お客様に不快感を与えず満足してもらえる販売店作りが好評、市場で大きく成長していきました。

その後、日本でもサターン導入への声が高くなり、1997年からジェイアール東日本自動車販売やいすゞ自動車などがディーラーとして参加し、販売を開始します。燃費や環境などに配慮した作りや丁寧な接客スタイルは日本でも受けがよく、人気を得ました。

サターンは日本から撤退、ブランド自体も消滅

順調に見えたサターンですが、長期的に見ると販売車種の少なさやディーラー網の小ささなどから人気は継続せず、徐々に販売は落ち込んでいきます。そして、2001年には日本から完全に撤退してしまいます。

その後もアメリカ国内やカナダで、SUVやスポーツモデルなどを展開していましたが結果は振るわず、2009年にGM本社が経営破綻したことを受け、サターンも2010年にブランド自体が消滅してしまいました。
当時は画期的であったユーザーファーストの販売方法は、トヨタなどが経営の参考にしていると言われています。それだけに、ブランドの消滅は惜しいものです。

自動車の「販売」という点で、アメリカだけではなく世界に新しい風を吹き込んだサターンでしたが、時の流れの残酷さには抗えなかったようです。
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