忘れられないこの1台 vol.73 日産 R35 GT-R

アヘッド 日産 R35 GT-R

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人生で初めて乗ったクルマは箱スカだった。母親に抱えられ、オヤジの運転で産院から帰宅する際の出来事である。これは後に聞いた話であり、もちろん自分の記憶の中にはない。だが、この刷り込みこそが、後に我が人生をいい意味で狂わせる。

text:橋本洋平 [aheadアーカイブス vol.151 2015年6月号]
Chapter
vol.73 日産 R35 GT-R

vol.73 日産 R35 GT-R

▶︎2007年12月登場の日産GT-Rは、V6ツインターボで480馬力を達成。トランスアクスルに搭載されたツインクラッチ搭載のミッションを介し、4輪駆動を達成する独特のレイアウトが特徴的な一台。いまも改良を続け、現在は550馬力。


オヤジは根っからのスカイライン党で、新型が出ればすぐに買い替え。おかげで幼少期だけで5台ものスカイラインの助手席を体験するほどだった。けれども、その歴史はR31型を最後に途切れることになる。病に倒れ、他界してしまったからだ。僕が12歳の時の出来事だった。

いつかはオヤジの後を受けて、最新型のスカイラインに乗ってやろう。そんな思いがいつしか芽生えた。

三つ子の魂百までとはよく言ったもので、オヤジが他界した後も興味を持つクルマはいつもスカイラインだった。だが、免許を取得しても、就職しても、スカイラインを購入するには至らず。ドラテクも経済力も、まだまだだと判断していた。

それが33歳の時に一変。R35型の日産 GT-Rが、あまりにも強烈なインパクトを残して登場したからだ。

初試乗をした仙台ハイランドというサーキットでは、走り出しの強烈なGに負けて頭はクラクラ。重たいクルマなのにブレーキングもコーナーリングも今までとは別次元で、そう簡単には乗りこなせなかった。

レース経験もそれなりに重ね、どんな市販車が来ようとも即座に手の内に収めてタイムを叩き出していた僕にとって、これは打ちのめされたに近い状況だった。何とか自分のものにしてそれを克服したいと考えた。
スカイラインという名こそ撤廃されてしまったが、形式名も丸型のテールランプも、スカイラインの後継であることは明らか。全く新しい別次元のメカニズムと速さは、オヤジが生きていたらきっと購入したに違いないと思えたことも僕を後押しした。

だからこそ清水の舞台から飛び降りるかの如く、レースカーもマイカーも、そして趣味のオートバイまで全て売りさばき、それを頭金に突っ込んで無理して購入したのだ。月々の支払は都心のワンルームマンション並。収入からすれば、それは無謀極まりないローンの旅だった。

だが、それで良かった。自分よりも全てが勝るこのクルマは、僕を様々な意味で成長させてくれた。ドラテクはさらに引き上げられ、GT-Rでプロと変わらぬタイムを叩き出すことに成功。他のどのクルマに乗ってもビクつかない度胸もついた。

そしてオヤジとようやく肩を並べられたような感覚になれたことも嬉しかった。「オヤジ、これでオレも一人前になれたかな?」 もう会話することもできないが、天国と繋がったかに思えた時間は、今でも愛おしい。

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text:橋本洋平/Yohei Hashimoto
自動車雑誌の編集部在籍中にヴィッツ、フォーミュラK、ロドスターパーティレースなど様々なレースを経験。独立後は、レースにも参戦する“走り系モータージャーナリスト”として活躍している。走り系のクルマはもちろん、エコカーからチューニングカー、タイヤまで執筆範囲は幅広い。「GAZOO Racing 86/BRZ Race」には、84回払いのローンで購入したトヨタ86 Racingで参戦中。
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