おしゃべりなクルマたち Vol.88 クルマと傘と教育と

アヘッド おしゃべりなクルマたち

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私がまだ10代だった頃、母はよく「アンタはこんなことも知らなくてこの先、生きていけるのか」、こう嘆いたものだった。彼女の気持ちが今になってよくわかる。

text:松本 葉 [aheadアーカイブス vol.157 2015年12月号]
Chapter
Vol.88 クルマと傘と教育と

Vol.88 クルマと傘と教育と

私も最近、しばしば、ウチの娘はこんなことでこの先、生きていけるのだろうかと真剣に心配する。 母が言った“こんなこと”は、着物のたたみ方とか衣服用の糊の作り方で10代にはかなりハードルが高いもの。

かわって私が案ずる“こんなこと”はたとえば傘の閉め方だ。10代後半の人間が出来ぬこととはとても思えぬ。

先日のこと。雨降りのなか友達と映画を見に行く娘をいつものようにクルマで送ったが、映画館の前が工事中で、それでちょっと手前で彼女を下ろした。

私の傘を渡し「さしていきなさいよ」とこう言って。クラッチをつないでしばらくすると携帯が鳴った。受話器を耳にあてると叫び声がする。

「この傘、どうやって閉めるのおお??」  開いた口がふさがらなかった。私が渡したのは特殊な傘ではなく、ごく一般的なそれ。カサとしか呼びようのない傘だ。

それが閉じられぬとは何事ぞ。結局、一緒にいた友達も閉め方がわからず(これにも驚くが)、開いたまま映画館に入り、開いた傘をシートにのせたら(床に置くとは考えぬのか)、警備員が飛んできて閉めてくれたそうだ。

その晩、この話をダンナにすると何事につけても娘の肩を持つ彼が「そりゃマズイんじゃないか」と言ったのでますます心配になった。ダンナが息子を呼んで尋ねる。「お前、雨の日、どうしてる?」  息子の答え。「俺、パーカー被って走ってる」

ウチの子供はクルマに乗り過ぎて社会常識を備えていない。これがダンナと私の結論。田舎に暮らすのだからクルマはライフラインだと乗ること、駆ることを奨励し、雨の日は軒先きまでいつも送った。

今になって後悔が募る。そういえば私は子供用の長靴を買った覚えがない。レインコートも。「そういえばあ奴ら、電車に乗ったことあるか」、ダンナが言い出し呆然とした。

ないんである。パリやニューヨークでは地下鉄に乗ったが、あれは観光。かわって日常で電車に乗ったことはない。試しにウチにあった古い電車の時刻表を娘に読ませてみたが、使い方がわからぬ様子。

「インターネットがあるんだからこれは意味ないでしょう」、こう言うから呆れる。料理研究家の大原照子さんが「炊飯器があっても、ごはんを鍋で炊けることは生きる基本だ」と何処かに書いていたが、この話を思い出す。

インターネットに打ち込めば乗るべき電車を教えてくれるが、時刻表を見ながらルートを知り、時間をはかり自分で電車を決めることこそ旅の基本ではないか。

オートマがあってもマニュアルを扱えることは運転の基本であるのと同じこと、と言いそうになって慌てて言葉を飲み込んだ。こういう、自動車をベースに据えた子育てが社会常識の欠如した豚児を作り上げたのではなかったか。深く反省している。

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text:松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。
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