私の永遠の1台 VOL.3 ディーノ 206GT 246GT/GTS

アヘッド ディーノ 206GT 246GT/GTS

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気持ちの中に住みついて離れていかないクルマは何台だってある。でも、その中から1台だけ選べといわれたら、やはりディーノだろう。僕は1970年代半ば過ぎのスーパーカーブームの敗残兵みたいなもので、おかげで自動車雑誌の編集者を経由してクルマにまつわるモノ書きに堕ちた幸せな転落人生を過ごしてるわけだが、あの頃すでに、最も綺麗なクルマはディーノだと言い放っていた覚えがある。根は深いのだ。

text:嶋田智之 [aheadアーカイブス vol.161 2016年4月号]
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VOL.3 ディーノ 206GT 246GT/GTS

VOL.3 ディーノ 206GT 246GT/GTS

▶︎文中のディーノとは、1967〜1969年に作られたディーノ206GTとその後継である1968〜1974年のディーノ246GT/GTSのこと。ピニンファリーナがデザインした流麗なボディに、V型6気筒DOHCエンジンをミドシップマウントする。2.4リッター版は195psとパワーは小さかったが、ハンドリング性能では他のフェラーリ達をも凌駕していた。


そう。ディーノを初めてこの目で見たときのことは、今も忘れられない。豊かな曲面で陽光を様々に柔らかく反射させ、刻々と表情を変えながら僕のいた交差点を曲がり走り去っていったときのあの美しさは、子供心にも衝撃的だった。

クルマというモノを見て呆然と立ち尽くしたのも、あれが初めての体験だった。

けれど、ただ美しいから心に残ったのかといえば、そういうわけでもなかった。ディーノはV型12気筒が主流だったフェラーリの家系にあって〝たかが〟のV6エンジンだったし、そもそも〝フェラーリ〟の名が冠されていなかった。

曰く、〝ディーノ〟というのはフェラーリの創設者であるエンツォ・フェラーリの亡き息子のニックネームであり、エンツォは小さなフェラーリにその名を冠したのだ。曰く、V6エンジンは病床にあったその息子が考えたものだった。──云々。その美しいクルマの背後にそうした物語が見え隠れして、僕はそこにも惹かれたのだ。

そして時が経ち、様々なクルマを体験することができた中でディーノの美点のひとつであるハンドリングの夢見心地の素晴らしさを知り、憧れをさらに募らせた。

そしてある日、ふと疑問を覚えたのだ。伝説の中心人物であるディーノってどんな人だったんだ? と。

本名はアルフレッド、ディーノはアルフレディーノ(小さなアルフレッド)からきたものであり、筋ジストロフィーで1956年に24歳で亡くなったことは知っていたが、彼自身のパーソナリティについては何ひとつ語られていない。どんな書物にも記されていない。

僕は職権を乱用してイタリアのモデナに飛び、アルフレッドの幼馴染みや生前の彼を知る人達にお会いして話を聞いてきた。

その模様は過去に何度も記したからここでは繰り返さないが、自分が長く生きられないことを知っていたクルマ好きの青年の切ない生き様があり、溺愛しながらも不器用に見送るしかなかった父親の親心があった、ということだ。とても温かくて、とても人間くさい物語だった。心を強く打たれた。

関わった人の顔が見えるようなクルマに今も惹かれるのは、だからなのかも。僕はクルマ好きだけど、それ以上に、きっと人が好きなのだ。

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text:嶋田智之/Tomoyuki Shimada
1964年生まれ。エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集長を長年にわたって務め、総編集長として『ROSSO』のフルリニューアルを果たした後、独立。現在は自動車ライター&エディターとして活躍。
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