ROLLING 50's VOL.119 恋愛3年説

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実は今、物凄くクルマを買い替えたくなっている。4年半前に新車で買った今のSUVには、何の問題や不満もない。性能や燃費も良いし、格好も好みだ。しかも自分の趣味などの必要に応じて、幾つかカスタムも施している。点数で言うのなら95点くらいと言っても良いであろう。これ以上に何を望むのだ、というくらいに気に入っていた時期もある。

text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.189 2018年8月号]
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VOL.119 恋愛3年説

VOL.119 恋愛3年説

しかし、2ヵ月くらい前からその気持ちに陰りが出始めた。「別れの予感」というやつである。

その最初の兆候と言うのは、室内マットの汚れなどを気にしなくなることから始まる。目立ちはしないが、車内の足元と言うのはどうしても汚れる部分なので、そこに気を使うか否かというのは愛着の原点だ。

次には、手洗い洗車をしないで、洗車機を使い始めたことである。今の洗車機はかなり進化をしていて、下手くそな手洗いよりマシだと言うような記事を読んだことがあるが、その一手間を省くということは明らかに愛着が大きく薄れ出した証拠である。

そして今現在、私はネットで下取り予想などのサイトを見始めている。これが始まってしまったらもう終わりだ。あっと言う間に、最終段階である新車・中古車情報サイトを見始め出すだろう。

この一連の流れ、まるで男女の恋愛関係に似ていると言えないだろうか。室内マットの汚れを気にしなくなり、洗車機を使い出すというのは、恋人と会うときの身なりを気にしなくなり、次にデート費用をケチり出すというような事と同じではないだろうか。

そして下取り値段を調べ出すというのは、彼女と別れた後の生活を夢想するようなものである。恋愛初期の脳は、まるで薬物使用者と同じような状態だというのは有名な話だ。また脳の中がその恋愛モードでいられるのは3年だという科学的説もあるので紹介しておきたい。

「恋愛3年説は、子孫繁栄の本能から生まれた脳内のシステムだという。人間は哺乳類的基準でいうと『未熟児状態』で出産をする。そのため、出産後3年間程は、24時間の保育が必要とされる。つまり、男女が仲違いせずに協力して子育てをする期間が、どうしても3年程度必要なのだ。そこで脳内物質の助けにより、出産・子育てという3年間、男女の心をつなぎとめておくと言う訳である」

この話はあくまで一部の人類学者の説なのであるが、神秘であったはずの恋愛を解剖するかのようで、何とも物悲しい限りである。だが本能と進化というのは残酷なまでにシッカリと機能するもので、その3年間という時間が男女の関係において意味するものは大きいと納得せざるを得ない。

それが1年間でもなく、5年間でもなく、やはり3年間であると言うのは、人生経験の上で当てはまることも多い。日本の車検制度が、恋愛人類史と奇しくも同じく初回3年間というのは不思議な一致だ。だが壮大な人類史と関係の無い、市井の小さな部分においても、やはり買い換えたくなるタイミングというのはある。

私などは、身体から経済まで、総合的に調子の悪いときにクルマを買い替えようとは思わない。やはり何となく未来志向になっているときに、今までとは全く違う、別の自分のスタイルを見たくなったときにクルマを買い替えたくなる。

なので、180度違うタイプに買い換えることが多い。例えばスポーツカーの迫力に耽溺していたが、次は自然と遊びたいとSUVに買い換えたり、その反対もある。昭和的に言うのなら「イメチェン」というヤツであろう。

そういう買い替え方をすると、都会派から自然派、軟派から硬派としてなど、周りからの見られ方も大きく変わる。こういう変化により、新しいつながりが出来たり、別の自分の在り方に気がついたりするので面白い、仕事にプラスに反映されることなどもなくもない。

昨今では、若者のクルマ離れや、カーシェアリング社会を語る機会も多くなった。「マイカー」という言葉自体が昭和的古臭さを持ち始め、若者の間ではもはや完全に死語である。

だが私たち、最後の昭和を生きた世代にとって、「マイカー」とはまだまだ大きなアイデンティティーである。自分と言うものを表現したり、自分の人生の指標となり、その存在が人生レベルで影響を持つことが多々あると言っても過言ではない。

そんな時代の終焉を思わせるかのように、今年は異常気象のレベルを越えたような災害的気象が荒れ狂っている。明らかに温室ガスによる環境変化は地球の気候システムを変え始めている。

そういう事実を目の当たりにするごとに、エネルギー消費の権化のような「マイカー」などは、遅からず無くなってしまうのだろうと予感する。そういう時代になったとき、「マイカー」で自分というものを表現したりするこの時代などは、まるでお侍さんがアイデンティティーとして刀を持っていた時代のように、奇妙な社会があったものだと思われるのかもしれない。

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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
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