特集 日本のクラシックについて

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欧州には、古いクルマを文化遺産としてとらえる価値観が根付いている。

それは、国の歴史だという視点に基づいていたり、貴族意識に起因していたりする。

そして自動車メーカーも自分たちの製造してきたクルマを

後世に残していこうとする姿勢が古くから備わっていた。

翻って戦後の日本人の生活を支えてきた日本のクルマたちは、

欧州のように文化的な価値を認められてきたのだろうか。

text:若林葉子 photo:長谷川徹 [aheadアーカイブス vol.123 2013年2月号]

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日本自動車博物館 個人の意志が集めた500台のクラシックたち 若林葉子
ノスタルジックヒーロー 日本のクラシックを27年も伝えている 世良耕太

日本自動車博物館 個人の意志が集めた500台のクラシックたち 若林葉子

石川県は小松市。日本有数の名湯と言われる粟津、片山津、山代、山中の4つの温泉が集まる加賀温泉郷の一角に、日本自動車博物館がある。展示面積1万2000㎡、展示車数約500台という規模で、クルマ専門の博物館としては日本初、そして日本最大級である。なぜ小松市にそんなすごいクルマの博物館があるのだろう、と素朴な疑問を抱きつつ、私たちはクルマで関越道をひた走ったのだった。

 小松市街の国道から少し外れて、山の方へ向かってカーブを曲がった先の左手に突然、威風堂々とした煉瓦造りの立派な洋館が現れた。そうと知らなければ自動車の博物館とは気付かないかも知れない。ヨーロッパの旧市街の広場にでも迷い込んだような、本格的な造りで、自然と、これからこの建物の中で過ごす時間への期待が高まる。

 中に入ると、天井までの吹き抜けの空間に出迎えられる。見渡すとフロアは3つ。そこにびっしりと往年のクルマたちが並べられ、どこから見たらいいのかしらとちょっと圧倒される。もちろん各階ごとにテーマはあって、さらに細かく分けられており、全部で51のコーナーに分かれている。

 この博物館の何が一番素晴らしいかと言うと、メーカーの枠を超えてあらゆるクルマが一堂に会していること、まずはこれに尽きると思う。トヨタも日産もホンダもマツダもスバルもいすゞも日野もダイハツも、さらにはジャガーもフォードもボルボもローバーもシトロエンもルノーも…。よくこれだけのものが集まったものだと感心し、これが純粋に一人の方の個人コレクションであると聞いて、今度は感心を通り過ぎて疑問が湧いた。いったいどんな人が一代でこれだけのクルマを集めることができたのだろう。

 その人とは日本自動車博物館の初代館長である故・前田彰三氏である(現館長の前田智嗣氏はご子息)。この博物館の母体は前田彰三氏が生業としていた石黒産業で、今も富山県小矢部市に本拠を構えている。石黒産業は煉瓦やブロック、生コン、住宅設備、運輸、ガソリンスタンドなどを手掛ける会社である。もともとクルマ好きだった前田氏は煉瓦会社を経営する家業を継ぐ前、どうしてもと一時は横浜の自動車修理工場でアルバイトをしていたこともあるという。当時はまだ珍しかった様々なクルマに触れることができるというのも理由の一つだったかも知れない。富山に帰り、家業を継いでからは給料をすべてクルマに継ぎこんだそうである。ちょうど、注文のあった煉瓦を駅まで運んでいた馬車が3輪自動車や4輪自動車に代わる昭和30年代ころのことである。前田氏自身も自動車に乗るようになり、注文先に直接、煉瓦を納品することが多くなり、全国各地をクルマで駆け回るようになる。

 昭和40年代になると、経済が活気を呈するのと同じくして、クルマもどんどん良くなっていった。性能も日々磨かれ、次々とモデルチェンジした新車が発売され、新しいクルマに乗りかえるのが良しとされた。前田氏は各地をクルマで走っていると、乗られなくなった古い自動車がたくさんあることに気付く。クルマ好きならではの〝目〟だったのだろう。

「よしクルマを集めてみよう」。そう思ったのは昭和43年のことである。商品を納品したら帰りは空荷になる。どうせガソリンを使うならクルマを積んで帰ろう。そう考えたそうである。初代館長と長く行動を共にし、現在も日本自動車博物館で専門研究員を務める大渕加市氏は当時をこう振り返る。「当時はどんどん新しいクルマに乗りかえることがステイタスに思えた時代で、解体業者のスクラップ場には古いクルマが山のように積まれていたんです。初代館長は一緒にクルマで走っていても、その中に気になるものを見つけると『今そこに変わったクルマがあった』と言ってクルマを停めて、その1台を助け出す。そんな人でした。自動車には誰もがそれぞれにいろいろな思い出を持っている。なのにそんな思い出のある古いクルマが顧みられることなく廃車になる。残しておきたくても方法がない。いったい誰が残すのだろう。誰かが残さなければ今に無くなってしまう。そういう熱い思いがあったんです」。  

 自分でクルマに乗せて連れ帰ったクルマ。買い取ったクルマ。数が増えるに連れて、「富山に物好きがおる」と噂が噂を呼び、しだいに人から譲られたり寄贈されたりするクルマも多くなっていった。もともと人望のある方でもあったのだろう。それなりの人たちとの人脈もあり、協力や情報提供も少なくなかった。そうでなければダイアナ妃が来日の折りに乗られたロールス・ロイス・シルバースパーや、ライシャワー米駐日大使が愛用したキャデラックリムジンなどがこの博物館に展示されることはなかったはずだ。

 とは言え、「人と車の調和ある発展の道を拓く」という理念を掲げる前田氏が、基本的に大切にしたのは人々の生活に密着したクルマであった。だから大衆車がメインであり、スーパーカーは、ほとんどない。また資料的価値を第一とするメーカー系の博物館とは違い、完全なノーマルに戻して展示するというようなことはしていない。現実に走っていた姿に近い形で展示されているため、その当時に思い出のある来館者はより懐かしさを誘われるのである。「例えば、当時流行っていたエンブレムやホイールなどはそのままにしています。それを全部外してノーマルに戻したら面白くない。そういう考え方の人でした」(大渕氏)。だからカーマニアも「分かってるな」と拍手したくなるのだろう。

 大渕さんによると、前田氏は時には自ら手に油してレストアすることもあったという。「すべてがレストアの必要なクルマばかりではないが、どうしてもこのクルマはきちんと残して置かないといけないというものに関しては、相当の手間がかかってもきれいにしました。実際に自動車工場に行って、ここはこういうふうにしたらどうか。このクルマのパーツを利用すればいいんじゃないかとか、現場でやってましたね」。

 そういう人であるから、この日本自動車博物館を建てるときにもとことんこだわった。ヨーロッパまで視察に行き、イギリスの建物を参考にして、途中、何度も設計変更をしたという。いざクルマを容れるというときには設計図に付箋を貼って、何度も何度もやり直した。博物館という観点で見れば、もう少し余裕を持った展示にした方がいいのかもしれないという思いはあるとのことだが、隙間なく並べられたクルマたちはそのまま前田氏のあふれるような思いが形になったのだと理解できる。

 この博物館は前田氏が自分のコレクション、自分の偉業を見せたいがために造られたわけではない。クルマが大好きだった氏が、時代を築いてきたクルマたちを何とか後世に残したいという一心で造られたのだ。「日本自動車博物館」という名称の〝日本〟という2文字に、私は前田氏の強い決意、意気を感じ取らないわけにはいかない。

 この博物館は、昔も今も完全な個人経営で、市からも国からも一切の援助を受けていないとのことだ。クルマを産業遺産であると考え、母体である石黒産業の社会貢献の一部と位置付けているそうである。母体が健全であるうちはいいけれど、万が一というとき(縁起でもないが)、いったいここにあるクルマたちはどうなってしまうのだろうか。そうなる前に、手を差し伸べる人なり企業なり団体などはいないものかと余計な心配をしてしまうのは私だけだろうか。

 前田氏は亡くなられる少し前、どうしてももう一度ここに来たいと車椅子で訪れ、すべてのクルマを静かにゆっくりと見て回られたそうだ。1台1台とどんなお別れをされたのだろう。




 クルマほど人の思い出や物語を色濃く残す文化的遺産は他にないのではないかと、この博物館に来て、私は改めてそう思う。ここにあるクルマは1台1台すべてにストーリーがあり、前田氏の想いが込められている。しかしそれは同時にここに来たすべての人たちのストーリにも成り得る。実際、クルマの前でじっとたたずみ涙ぐむ人がいる。当時の思い出を語り合う夫婦がいる。クルマは個人の思い出でありながら、時代を映す鏡であり、多くの人が共有できる思い出にもなるのだ。

 ただし、すべてのクルマが人の思い出や物語を残せるわけではない。

 「人と車の調和」を掲げた前田氏の目にかなうクルマを、私たちの時代は後世にどのくらい残すことができるだろうか。

日本自動車博物館

1978年に富山県小矢部市にオープン。1995年に現在の石川県小松市に移転した。現在の博物館は敷地面積27,000㎡、展示面積は12,000㎡を誇り、そこに世界各国の名車約500台を収蔵・展示している。

●開館日・時間 毎週水曜定休(祝祭日の場合は開館)/12月26日〜12月31日は休館。

9:00〜16:00(入館は15:30まで/12/1〜3/31)

9:00〜17:00(入館は16:30まで/4/1〜11/30)

●入館料金 大人(高校生以上)1,000円、小人(小・中学生)500円

●住所 石川県小松市二ツ梨町一貫山40番地(国道8号線小松バイパス沿い)

●問い合わせ www.mmj-car.com TEL.0761(43)4444

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若林葉子/Yoko Wakabayashi
1971年大阪生まれ。Car&Motorcycle誌編集長。
OL、フリーランスライター・エディターを経て、2005年よりahead編集部に在籍。2017年1月より現職。2009年からモンゴルラリーに参戦、ナビとして4度、ドライバーとして2度出場し全て完走。2015年のダカールラリーではHINO TEAM SUGAWARA1号車のナビゲーターも務めた。


ノスタルジックヒーロー 日本のクラシックを27年も伝えている 世良耕太

『ノスタルジックヒーロー』の前身、『ノスタルジック'60』は、芸文社が発行する自動車総合誌の臨時増刊号として1986年に発売された。1960年代のクルマにスポットを当てた内容で、ユーザーサイドの盛り上がりを感じ取っての制作だった。

 中古車よりもう少し古いクルマに興味を示す層が各地でランダムに発生し、情報交換を通じてネットワークを形成しつつあった。手頃な価格で手に入るから古いクルマに興味を示すのではなく、現代のクルマにはない魅力が所有欲を刺激したのだ。

 ユーザー側のそんな動きに答える形で専門店が現れた。手応えを感じ取った芸文社は、1987年に『ノスタルジック'50&'60』を発行すると、同年には1950年代から1970年代までのクルマを扱う『ノスタルジック・ヒーローズ』を発行。1988年に発売した6号目から現在の誌名に改めた。

「幼少の頃に家にあった」

「若い頃のあこがれだった」

「レースでの活躍に刺激を受けた」

「開発ストーリーに惚れた」

 その時代を生きた自分、あるいはおぼろげな記憶とその時代のクルマが重なり合うことで、当時のクルマに強く引き付けられるようになる。400万円を投じて最新のスカイラインに乗るのもいいが、同じ金額を投じて箱スカをあの当時の状態で保有することに価値観を認める人たちが少なからずいるということだ。

 単に歴史があるだけでなく、スタイルや評価が定着した物事を「クラシック」と表現するが、現代のクルマにはない個性を備えた往年のクルマはやはりクラシックカーだ。だが、ひと口にクラシックカーと言っても、欧米と日本では事情が異なると、〝ノスヒロ〟ことノスタルジックヒーローの石井成人編集長は言う。

「メルセデスは創業時からその当時のクルマを大切に保管し、代々残していると聞きます。メーカーとして歩み始めた当初から、後世にきちんと残そうとする姿勢があった。一方、日本のメーカーには作ったものを残そうとする発想はなく、『残す』という意識なり動きに関しては、ユーザーレベルの方が早かった」。

 残った歴史あるクルマに対する扱いも同様だ。

「ポルシェの場合、古いクルマの部品はいまだに手に入る。メルセデスにはレストア部門があり、個人ユーザーからレストアの依頼を受けたり、中古車の販売を手がけたりしている。古いクルマを大事にする姿勢が伝わってきます。ところが日本の場合、型代や資産管理の事情もあり、古いクルマのパーツはすぐ手に入らなくなる。最近はメーカー系のミュージアムが増えてきました。こうした動きが出てきたこと自体は歓迎すべきですが、ユーザーの価値観とリンクしているかと問われると疑問で、そこがちょっと残念です」。

 ノスヒロが創刊して十数年、2002〜03年頃に1980年代のクルマを取り上げた。発売時から少なくとも10数年は経過しているので十分にノスタルジックだ。ノスヒロを創刊した頃にケンメリ・スカイラインを取り上げるようなもので、資格は十分にあるはずだった。

 ところが、読者の反応は「ノー」。「まだ新しい」「世代が違う」という意見だった。そこで『ハチマルヒーロー』という雑誌を立ち上げ、1980〜90年代のクルマをカバーすることにした。バンパーが鉄ならノスヒロ、ウレタンならハチマルという区分がわかりやすい。

「輸入車のチューニングやカスタマイズを扱う『eS4(エスフォー)』の編集長も兼任していますが、『国産に乗りたいクルマがない』から輸入車を選んでいるという読者の声を耳にします。ノスヒロやハチマルの読者も同じ思いです」。

 日本におけるクラシックカー文化の隆盛を歓迎したくなる半面、心配もある。果たして20年後にクラシックと呼べる国産車が〝いま〟目の前に存在しているかどうか──。
第5回『Nostalgic 2days』 

旧車専門誌『Nostalgic Hero』ならびに姉妹誌・'80~'90年代クルマ情報誌『ハチマルヒーロー』がプロデュースする旧車イベント『Nostalgic 2days』の第5回目のイベントが2月23日(土)〜24日(日)、パシフィコ横浜(横浜市みなとみらい地区)で開催される。

 当日は『Nostalgic Hero』や『ハチマルヒーロー』の表紙を飾った名車8台や、読者オーナーの希少なクルマ10台が展示されるほか、全国の旧車専門店やパーツメーカーなどがブースを出展。また、ステージ上ではトヨタ・パブリカスポーツ復刻プロジェクト・トークショー、レーシングドライバーの館 信秀氏、関谷正徳氏、北野 元氏、星野一義氏らの対談、クレイジーケンバンドの横山 剣氏のトークショー等も行われる。

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世良耕太/Kota Sera
F1ジャーナリスト/ライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『F1機械工学大全』『モータースポーツのテクノロジー2016-2017』(ともに三栄書房)、『図解自動車エンジンの技術』(ナツメ社)など。http://serakota.blog.so-net.ne.jp/



●開催日・日時:2月23日(土)〜24日(日)10:00〜17:00

●場所:パシフィコ横浜C・Dホール

●ステージイベント

○2月23日(土)

・トヨタ パブリカスポーツ復刻プロジェクト・トークショー:

諸星和夫氏×満沢 誠氏×安藤純一氏

・レーシングドライバー対談:館 信秀氏×関谷正徳氏

○2月24日(日)

・レーシングドライバー対談:北野 元氏×星野一義氏

・トークショー:クレイジーケンバンド 横山 剣氏

●入場料 :2,000円(前売り券1,800円)

●問い合わせ:Nostalgic 2days事務局/芸文社

http://nos2days.com/ TEL.03-5992-2052
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