“眼”で走るレーシングスペックと同じ思想を持つアイメトリクス
更新日:2024.09.09
※この記事には広告が含まれます
篠塚建次郞さんがメガネと出会ったのは、パリ・ダカールラリーで総合優勝を果たした1997年のことだった。『ベストファーザー賞』の副賞としてメガネをオーダーメイドで作る権利を受け取ったのが切っ掛け。49歳になる年を迎えていた篠塚さんは、近くの文字を読んだりする際に「難儀するなぁ」くらいの自覚はあったという。でも、「メガネをかけるのは格好悪い」と感じていたし、そもそも視力には自信があった。
text:世良耕太 photo:長谷川徹 [aheadアーカイブス vol.114 2012年5月号]
text:世良耕太 photo:長谷川徹 [aheadアーカイブス vol.114 2012年5月号]
- Chapter
- レーシングスペックと同じ思想を持つアイメトリクス
レーシングスペックと同じ思想を持つアイメトリクス
競技生活には不足を感じていなかったのだ。視力を調べてみるまでは。
「で、調べてもらったらね、老眼が出ていますと」。
まあ、ここまでは予想どおり。
「それだけじゃなくて、近視も乱視も出ていると言うんです。えーっ、と思いましたね」。
もっと驚くのはその後である。その年の秋、篠塚さんはWRC(世界ラリー選手権)の一戦『ラリー・オーストラリア』に出場した。人生で初めてメガネをかけての競技出場だったが、「今まで見ていたものは何だったんだ」と衝撃を受けるくらいモノがよく見えた。
「世界が変わりましたね。今まで自分が見ていた世界が『本当』だと思っていたんだけど、そうじゃなかった。本当だと思っていた世界はぼーっとしていて、メガネをかけて見える世界はピシッとしていました」。
皮肉なことに、世界がよく見えるようになったことが、競技人生のひとつに終止符を打つ切っ掛けとなった。ラリー・オーストラリアでは、太い幹に成長したユーカリが立ち並ぶ森の中を時速200キロ近い猛スピードで駆け抜ける。路面は篠塚さんの言葉を借りれば「ボールベアリング」のようで、金属の球を撒いたように滑りやすかった。
「路面は滑る。だけど直線が多いからスピードは出る。ちょっとコースを逸れたらユーカリの木に当たって絶対に助からない。メガネをかけたら木の輪郭がはっきり見えるようになった。よく見えたので怖くなったのかもしれませんね。それで途中で止め、WRCは引退したんです」。
一方で、「よく見えるようになったので、間違いなく速くなった」と力説する競技がある。1986年から2007年まで22回連続出場したパリ・ダカールラリーだ。1998年の大会に向けて篠塚さんは、本腰を入れて競技用のメガネづくりに取り組んだ。それが、現在も愛用しているアイメトリクスである。
「目から入る情報が一番大事なんです。例えばスノードライビングは、路面状況をいかに適切に把握するかが大事。なぜなら、凍っている路面と柔らかい雪と圧雪とでは滑り方がまったく違うから。上手に走るのはテクニックうんぬんより前に、いかに『よく見るか』なんですよ」。
速く走るために機能を突き詰めていくと既製品では物足りなくなり、目的に合わせた専用のスペックが必要になる。サスペンションしかり、タイヤしかりで、競技用の部品がまさにそうだ。
フレームだけでなくレンズもオーダーメイドできるアイメトリクスは、機能を極限まで突き詰めたレーシングスペックと同じ思想を持つ。3D計測技術でユーザーの頭部を立体採寸し、設計するので、フィット感に間違いがない。
「パリ・ダカールはジャンプするから上下の動きが激しい。いちいちメガネのずれを直していたのでは運転に集中できないし、ロスになる。だから、極限まで軽くして、ずれにくいように作ってもらいました」。
競技に使用する篠塚さん専用のメガネは、耳に掛ける部位が強くカールしているのが特徴。先端にばねの機能を持たせて、激しい動きをうまく吸収する仕組みになっている。レンズが大きめなのは、広い視野をカバーするためである。
「とても具合がいいですね。'98年のパリ・ダカール以来、アイメトリクスは欠かせません。走りに欠かせない機能部品のひとつですから、当然スペアも持ち歩いています」。
メガネがなくても運転は続けられるだろうが、競争力は著しく落ちる。そのことを熟知しているから、肌身離さず持ち歩いているのだ。
篠塚さんにとって最初の競技ステージがWRCなら、2番目がパリ・ダカールラリー、3番目が2008年以来打ち込んでいるソーラーカーレースである。東海大学が中心となって製作した車両のドライバーを務め、2008年〜11年の『ワールド・ソーラー・チャレンジ』を4連覇した。
ソーラーカーレースといえば一直線の道路を淡々と走る姿が思い浮かぶが、実際はそんなに甘くない。
「ソーラーバッテリーで発電した電力をいかに効率良く消費するかの勝負です。重くていいことがないのはメガネと一緒。車体に貼るスポンサーのステッカーですら薄く作る。タイヤも極限まで薄く設計しているので、路面に転がった小さな石を踏んだだけでパンクする恐れがある」。
すべてを極限まで突き詰めた車両の中で篠塚さんは、狭いキャノピーに頭を入れ、首は満足に動かせないので目だけを忙しく動かし、100㎞/h前後の車速で走りながらも、効率のいい走りをするために前方の状況を正確に読み取ろうとする。その緊張感がたまらない。
「ドライバーにとって眼は大切。この歳になって走るチャンスがあるのは幸せですね」と篠塚さんは言う。アイメトリクスとの出会いは文字通りの視野だけでなく、ドライバー人生の視野をも広げたようだ。
「で、調べてもらったらね、老眼が出ていますと」。
まあ、ここまでは予想どおり。
「それだけじゃなくて、近視も乱視も出ていると言うんです。えーっ、と思いましたね」。
もっと驚くのはその後である。その年の秋、篠塚さんはWRC(世界ラリー選手権)の一戦『ラリー・オーストラリア』に出場した。人生で初めてメガネをかけての競技出場だったが、「今まで見ていたものは何だったんだ」と衝撃を受けるくらいモノがよく見えた。
「世界が変わりましたね。今まで自分が見ていた世界が『本当』だと思っていたんだけど、そうじゃなかった。本当だと思っていた世界はぼーっとしていて、メガネをかけて見える世界はピシッとしていました」。
皮肉なことに、世界がよく見えるようになったことが、競技人生のひとつに終止符を打つ切っ掛けとなった。ラリー・オーストラリアでは、太い幹に成長したユーカリが立ち並ぶ森の中を時速200キロ近い猛スピードで駆け抜ける。路面は篠塚さんの言葉を借りれば「ボールベアリング」のようで、金属の球を撒いたように滑りやすかった。
「路面は滑る。だけど直線が多いからスピードは出る。ちょっとコースを逸れたらユーカリの木に当たって絶対に助からない。メガネをかけたら木の輪郭がはっきり見えるようになった。よく見えたので怖くなったのかもしれませんね。それで途中で止め、WRCは引退したんです」。
一方で、「よく見えるようになったので、間違いなく速くなった」と力説する競技がある。1986年から2007年まで22回連続出場したパリ・ダカールラリーだ。1998年の大会に向けて篠塚さんは、本腰を入れて競技用のメガネづくりに取り組んだ。それが、現在も愛用しているアイメトリクスである。
「目から入る情報が一番大事なんです。例えばスノードライビングは、路面状況をいかに適切に把握するかが大事。なぜなら、凍っている路面と柔らかい雪と圧雪とでは滑り方がまったく違うから。上手に走るのはテクニックうんぬんより前に、いかに『よく見るか』なんですよ」。
速く走るために機能を突き詰めていくと既製品では物足りなくなり、目的に合わせた専用のスペックが必要になる。サスペンションしかり、タイヤしかりで、競技用の部品がまさにそうだ。
フレームだけでなくレンズもオーダーメイドできるアイメトリクスは、機能を極限まで突き詰めたレーシングスペックと同じ思想を持つ。3D計測技術でユーザーの頭部を立体採寸し、設計するので、フィット感に間違いがない。
「パリ・ダカールはジャンプするから上下の動きが激しい。いちいちメガネのずれを直していたのでは運転に集中できないし、ロスになる。だから、極限まで軽くして、ずれにくいように作ってもらいました」。
競技に使用する篠塚さん専用のメガネは、耳に掛ける部位が強くカールしているのが特徴。先端にばねの機能を持たせて、激しい動きをうまく吸収する仕組みになっている。レンズが大きめなのは、広い視野をカバーするためである。
「とても具合がいいですね。'98年のパリ・ダカール以来、アイメトリクスは欠かせません。走りに欠かせない機能部品のひとつですから、当然スペアも持ち歩いています」。
メガネがなくても運転は続けられるだろうが、競争力は著しく落ちる。そのことを熟知しているから、肌身離さず持ち歩いているのだ。
篠塚さんにとって最初の競技ステージがWRCなら、2番目がパリ・ダカールラリー、3番目が2008年以来打ち込んでいるソーラーカーレースである。東海大学が中心となって製作した車両のドライバーを務め、2008年〜11年の『ワールド・ソーラー・チャレンジ』を4連覇した。
ソーラーカーレースといえば一直線の道路を淡々と走る姿が思い浮かぶが、実際はそんなに甘くない。
「ソーラーバッテリーで発電した電力をいかに効率良く消費するかの勝負です。重くていいことがないのはメガネと一緒。車体に貼るスポンサーのステッカーですら薄く作る。タイヤも極限まで薄く設計しているので、路面に転がった小さな石を踏んだだけでパンクする恐れがある」。
すべてを極限まで突き詰めた車両の中で篠塚さんは、狭いキャノピーに頭を入れ、首は満足に動かせないので目だけを忙しく動かし、100㎞/h前後の車速で走りながらも、効率のいい走りをするために前方の状況を正確に読み取ろうとする。その緊張感がたまらない。
「ドライバーにとって眼は大切。この歳になって走るチャンスがあるのは幸せですね」と篠塚さんは言う。アイメトリクスとの出会いは文字通りの視野だけでなく、ドライバー人生の視野をも広げたようだ。
ソーラーカーレースは平均時速約100km/h。想像する以上の早さで競われている。
タイヤはもちろん、シートに至るまで極限の“軽さ”を追求するため、ドライバーには過酷な環境。
(写真提供・篠塚建次郎氏)
タイヤはもちろん、シートに至るまで極限の“軽さ”を追求するため、ドライバーには過酷な環境。
(写真提供・篠塚建次郎氏)
篠塚さんはふだん、ラリー用(下)、遠近両用(中央)、老眼用(左)と3つのメガネを使い分けている。
ラリーは、上下左右と大きく激しく動く眼の動きに合わせて、レンズは大きめの設計。軽いのに激しい動きでもずれない。アイメトリクスのメガネが競技を支えている。3D計測によって、個人の顔の形にぴったり合ったフレームはもちろん、レンズもオーダーできる。
www.eyemetrics.co.jp/
ラリーは、上下左右と大きく激しく動く眼の動きに合わせて、レンズは大きめの設計。軽いのに激しい動きでもずれない。アイメトリクスのメガネが競技を支えている。3D計測によって、個人の顔の形にぴったり合ったフレームはもちろん、レンズもオーダーできる。
www.eyemetrics.co.jp/
Kenjiro Shinozuka
ダカール・ラリー総合優勝。日本人初の快挙を遂げる。
近年では2009年、2011年「ワールド・ソーラー・チャレンジ」で東海大学のチーム・ドライバーを務め、2連覇を達成している。
ダカール・ラリー総合優勝。日本人初の快挙を遂げる。
近年では2009年、2011年「ワールド・ソーラー・チャレンジ」で東海大学のチーム・ドライバーを務め、2連覇を達成している。
-------------------------------------
text:世良耕太/Kota Sera
F1ジャーナリスト/ライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『F1機械工学大全』『モータースポーツのテクノロジー2016-2017』(ともに三栄書房)、『図解自動車エンジンの技術』(ナツメ社)など。http://serakota.blog.so-net.ne.jp/
text:世良耕太/Kota Sera
F1ジャーナリスト/ライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『F1機械工学大全』『モータースポーツのテクノロジー2016-2017』(ともに三栄書房)、『図解自動車エンジンの技術』(ナツメ社)など。http://serakota.blog.so-net.ne.jp/