おしゃべりなクルマたち Vol.96 パンダとエアコン

アヘッド おしゃべりなクルマたち

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アスファルトから煙がたつ、そんな灼熱の夏日のことだった。我が家から高速に乗り、愛車パンダの鼻先をイタリアに向けた。トリノ近郊の街で泊りがけの仕事があって、それで出掛けることになったのだが、走り始めてすぐ、エアコンから冷えた風が出てこないことに気が付いた。最初は外の気温が高過ぎるのかとも思ったが、最強にしても冷える気配が感じられない。これはガスが、すぐにこう思った。

text:松本 葉 [aheadアーカイブス vol.165 2016年8月号]
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おしゃべりなクルマたち Vol.96 パンダとエアコン

おしゃべりなクルマたち Vol.96 パンダとエアコン

私は日頃から夏は暑いものだと豪語している人間で、実際、ウチにはエアコンがない。文句を言う豚児にいつもこう言っている。「暑さくらいでジタバタするでない」。

暑さくらいでジタバタしない私は熱風を感じ取り、どうしたか。窓を開け、昔はみんなこうしていたと悠然と構えアクセルを踏み続けたのではなく、すぐ高速を降りて最初に見つけた「ガス交換 56€」の看板を上げるガレージに飛び込んだのである。

50分ほどで作業は完了と言われ、私は事務所の椅子をクーラーの下に置き、どっかり座ったわけだが、座ったとたんにメカニックが呼びに来た。「フィルターに穴が空いています」。だからガスを注入出来ないと言う。ここからはもう泣き落としである。トリノに病気の母がいて、彼女を乗せなければならないとは言わなかったが、ほとんどそれに近いウソを並べ、すぐに修理して欲しいと頼み込んだ。

ところが。メカニックがこう言うではないか。「部品のストックが底をついて9月まで修理は無理です」。このメカニックと私とどちらがウソ付きかとふと思ったが、考えている暇はなかった。なんとかせねば。名案が浮かんだ。仕事は前述の通り、トリノ近郊で3日間。この3日の間に修理が出来れば帰りは涼しく戻れるではないか。

すぐ内田盾男さんに電話を掛けた。本誌7月号にも登場された、トリノで自動車製作に携わるクルマのプロ、私が敬愛する人物。普通は弟子が師匠に仕えるものだが、私の場合は反対、クルマで困ったことがあるといつも彼に泣きつく。だから今回も泣きついてみた。

「わかった」 タテオさんはこう言った。「ウチに寄ってパンダを置いて、キミは僕のクルマで仕事に行きなさい。その間に修理しといてあげるよ」 普通は涙声でお礼を言うものだと思う。なのについ、口が滑ってしまった。「何を拝借できますか?」 タテオ・コレクションは20台ほどあるのである。「レクサスRX、キミ、運転したことないでしょう。いい経験になるよ」

私は3日間、このクルマで走り回り、そのパフォーマンスと快適性に舌を巻き、押し出しの強さとクーラーがじんわり実によく効く日本車らしさに驚いた。「いやはや、素晴らしい」 内田さんに感想を伝えると彼が笑いながらパンダの鍵をくれる。

「すべてオッケー。フィルターも変えさせたから」 恥ずかしさと嬉しさで汗が出た。そう言うと、内田さんが答えた。「パンダのエアコン、ばっちり効きますから」

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text : 松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。
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