Perfect ionist セバスチャン・ロウブ

アヘッド セバスチャン・ロウブ

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ナポレオンによって制定されたフランスの最高勲章である「レジオンドヌール勲章」を授与されたドライバーがいる。その青い目の男は「アイスクール・セブ」と呼ばれ、常に冷静を装い動揺を外に見せることはない。

史上最も成功したラリードライバーの彼は今期を最後にWRCラリーから引退するという。今月は日本を代表するラリージャーナリストの古賀敬介がその男「セバスチャン・ロウブ」について語る。

text/photo:古賀敬介 [aheadアーカイブス vol.129 2013年8月号]
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Perfect ionist セバスチャン・ロウブ

Perfect ionist セバスチャン・ロウブ

「史上最強のドライバー」と誉れ高いロウブ。しかし彼はその評価に胡坐をかくことなく真摯な姿勢で己の道を追求し続ける。WRC9年連続王者は決して驕らず実に謙虚な男だ。
「史上最強のドライバー」はいったい誰か? 100年以上にわたり語られ、議論されてきた壮大なテーマである。オールドファンならば50年代にF1で活躍したアルゼンチンの英雄「ファン・マヌエル・ファンジオ」の名をあげるかもしれない。「当然アイルトン・セナだろう」と言うのはマクラーレン・ホンダの最盛期を知るアラフィフ世代か。

そして「ミハエル・シューマッハ以外にない」と断言する現代のF1マニアにはデータという強い味方がある。7回の世界王座獲得回数は史上最多で、ファンジオの5回やアラン・プロストの4回を大きく上まわる。優勝回数に関しても91回と、プロストの51回やセナの41回を凌駕する。

「セナが生きていれば」と悔しがるファンに対しては勝率約30%という数字をドライに突きつけるだろう。セナの勝率は約25%。結果シューマッハが、少なくともデータの上では史上最強のF1ドライバーだといえる。

しかし、皇帝と崇められるシューマッハを記録でさらに上まわるドライバーがいる。世界チャンピオンになること9回、しかも9年連続。優勝回数は78回とシューマッハにやや劣るが、勝率はなんと約51%。恐るべきレコードホルダーの、その名は「セバスチャン・ロウブ」だ。ただしF1ドライバーではなく、ラリードライバーである。
マシンと観客の近さがWRCの大きな魅力。マシンからはね飛ばされた石が当たりそうなほどの近距離で観客は走りを愉しむことができる。アルゼンチンの未舗装路を駆け抜けるのはロウブ駆るシトロエンDS3 WRC。
サーキット内の舗装されたコースを何周もするレースとは違い、ラリーは自然の中の道を疾駆する。雨が強く降っても、霧で前が見えなくともWRCトップドライバーは臆することなくアクセルを床まで踏み込む。
ラリーと聞いて砂漠を走るダカールを思い浮かべる人は多い。しかし、ロウブが参戦しているのはWRCという別のカテゴリーだ。ダカールはオフロードを走行する耐久色が強いラリーだが、WRCはオフロードだけでなく舗装路や雪道などあらゆる路面で純粋に速さが競われる。(W)ワールド(R)ラリー(C)チャンピオンシップ=世界ラリー選手権というのが正式名称で、ラリーの最高峰に位置づけられるシリーズ戦だ。
 
WRCの存在は知らなくとも「モンテカルロラリー」という響きには聞き覚えがあるだろう。モナコ公国を中心に開催されるモンテカルロラリーは、WRCシリーズの1戦で、1月のフレンチアルプスが戦いの舞台となる。道はすべて舗装されているが、雪で覆われ凍結しているコーナーも多い。

スキー客が時速30キロでそろそろ走るような凍結路を、WRCドライバーは100キロ以上の速度でマシンを滑らせながら駆け抜ける。そして2月の北欧で開催される「スウェディッシュラリー」では、完全に雪で覆われた道をまるで高速道路を走るかのごとくアクセル全開で走行。雪道ながら最高速度は200キロを越え、150キロ以上の速さで飛ぶジャンプの飛距離は40メートルにも達する。

それは信じ難い光景だ。そして、初夏のギリシアで行われる「アクロポリスラリー」では、メロンほどの大きさの石がごろごろと転がるラフロードを、やはり全開でアタック。途中パンクでタイヤがボロボロになっても、スピードを緩めず走り続ける猛者も多い。

このように、WRCはヨーロッパを中心とする世界各国で開催され、未舗装路のみならず、舗装路、雪道など多種多様な道を走行する。しかもコースは次々と変わり、同じ道を走るのは2回程度。平坦に舗装されたサーキット内を周回するレースとこの点が大きく異なるが、そもそも競技の本質からして違う。

サーキットレースの勝敗はライバルとの競争に勝つことで決まるが、対するラリーは基本的に1台ずつ走行するタイムアタック競技だ。定められたコースであるSS(スペシャルステージ)を数日間に分けて走り、合計タイムが少ない者が勝者となる。つまりドライバーが戦う相手はストップウォッチ。派手な見た目と違い、ストイックなレースなのだ。

WRCは現在は年間13戦が行われ、「シトロエン」、「フォルクスワーゲン」、「フォード」、「MINI」といったメーカーのマシンが出場。過去には「トヨタ」、「スバル」、「三菱」など日本メーカーも参戦し何度も世界の頂点に輝いた。

WRCを戦う「WRカー」の外観は市販車と共通点が多いが、その中身は完全に別物と言えるほどに異なる。そもそも競技専用に開発されており、お値段は7000万円以上が相場だ。WRCは4輪モータースポーツにおいて、F1と並ぶ高いステイタスを誇る。

そのWRCで圧倒的な強さを誇るのがフランス人ドライバーのセバスチャン・ロウブだ。1974年生まれのロウブは現在39才。1999年に初めてWRCに出場し、本格出場を開始した2002年から2012年までの11年間で9回ワールドチャンピオンとなった。

優勝回数は2013年8月時点で78回、全てシトロエンで達成した。ラリーの世界においてロウブは絶体的な存在であり、最強のWRCドライバーという評価に対し異論を述べる者はいない。歴代のWRC王者でさえ「ロウブこそチャンピオンの中のチャンピオン」と絶賛するほどである。
サルディニア島で開催されたWRC「ラリー・ド・イタリア」でダイナミックなジャンプを決めるのはロウブのチームメイト、シトロエンのミッコ・ヒルボネン。WRカーのジャンプは何と50メートルに達することもある。
全13戦で開催されるWRCの開幕戦はモナコ公国を中心に開催される「ラリー・モンテカルロ」だ。WRC最長の歴史と高いステイタスを誇るこのラリーでロウブはこれまで6勝をあげている
フレンチアルプスの山岳路が舞台となる「ラリー・モンテカルロ」は舗装路と雪道が混ざり合う特殊な路面コンディション。溝が浅い舗装路用のタイヤで凍結路を走ることも多い。
2013年6月、ロウブはアメリカのコロラド州で開催された「パイクスピーク・インターナショナルヒルクライム」に出場した。マシンは、プジョーがこのイベントのためだけに製作した875馬力を発するプジョー208T16パイクスピーク。車重が875kgしかないモンスターマシンである。

ロウブは初出場ながら8分13秒878という異次元のタイムを記録。去年までのコースレコードを一気に1分30秒以上も縮め、2位に50秒近い差をつけて圧勝した。
ロウブという男は常に冷静沈着、ラテンの血統にも関わらず感情の起伏があまり激しくない。ライバルと激しく競っている時でも表情はほとんど変わらず、たとえ大きなリードを築いても決して浮かれたりはしない。

「まだラリーは終わっていない。最後まで気を抜くことはできない」と、とにかく慎重な姿勢を貫く。そして、優勝しても表彰台でバカ騒ぎすることはなく、慣れた所作でシャンパンを振りまくだけ。あまりにもクールなその態度ゆえに人は彼を「アイスクール・セブ」と呼ぶ。

しかし、だからといってロウブがつまらない人間というわけではないし、心が冷たいわけでもない。実際のロウブはとても魅力的でハートフルな男だ。背丈はそれほど高くなく、顔も特に美男子とは言えないが、それでもロウブが圧倒的に格好良く見えるのは彼の瞳が抜群にセクシーであるからだ。ラリーのスタート前、集中力を高めている時のロウブの瞳は清廉な青い光を放つ。カメラのレンズを向け、瞳にフォーカスを合わせると同性でさえも心が吸い込まれそうになる。シャッターを切るのを忘れそうになるほどだ。

そんなロウブに女性が夢中にならないわけがない。世界各国でロウブに熱い視線を送り、尊敬と情愛の気持ちを伝えんとする女性が何と多いことか。年齢層は幅広いが、オトナの女性が多いのは本物の男を見極める力を持っているからだろう。

日本にも熱烈な女性ファンは多く、ロウブに会うために海外のWRCイベントに出向くひとも少なくない。彼女たちはコースで走りを見るよりも、マシンから降りたロウブとの時間を共有することを重視する。そしてロウブも、そんな彼女たちに真摯な態度で接し、笑顔で記念撮影やサインに応じる。9年連続世界王者の、そうした気さくで驕らない姿勢もまた大きな魅力に違いない。

人間ロウブではなく、彼の走りに魅了された女性ももちろんいる。数年前に取材で初めてWRCを観戦した、とあるテレビ局の女性アナウンサーは、ロウブの走りを見て目を輝かせた。いわく「ひとりだけ走り方が違う。まったく無駄がなくて美しい」。彼女は大学で数学を専攻し、物事を論理的に捉えることが得意な才媛。

マシンを大きくスライドさせるなど派手な走りを披露した他のドライバーには興味を示さず、無駄はないが地味なロウブの走りに夢中になっていた。その女性アナウンサーの所見はまったくもって正しい。ロウブの走りは正確無比。彼の出現により、WRCのドライビングテクニックは大きく変わった。ロウブはWRCの運転技術に革命をもたらした男でもあるのだ。
コースの途中には大きな水たまりが広がっていたり川が流れていることも。しかしWRCドライバーたちはそんなことは気にせずスピードを緩めない。観客が見守る中ロウブが豪快に水しぶきを上げて川を突っ走る。

従来、WRCはマシンの後輪を大きく滑らせるドリフト走行が主流だった。ドリフト走行は一見派手で難しそうに見えるが、実はクラッシュをしないための安全マージンをとった運転でもある。全開走行をしている時にもっとも怖いのは、突然タイヤがグリップを失い、マシンのコントロールができなくなることなのだ。

急な動きの変化に対して適切に対処することは難しい。ならば滑る前に自分から積極的にマシンを滑らせてしまおうというのがドリフト走行で、限界の手前でマシンをわざとスライドさせてその状態をキープするのが長らくWRCの走り方の主流だった。しかし、ドリフト走行はタイヤのグリップ力(=タイヤ性能)をフルには使いきれずロスも多い。

それを嫌ったロウブはマシンを必要以上に滑らさず、タイヤがグリップを失うギリギリのところで走り続けるテクニックをWRCに持ち込んだ。それゆえロウブの走りはマシンのスライド量が少なくオンザレールに近い。

注意深く観察しないと、ただ普通にハンドルを切り簡単に走っているようにしか見えない。だから、一般の人が見るとロウブの走りは地味であまり面白くないのだが、実はもっとも難易度が高い、ミスが許されない走りを彼はしているのだ。
常に冷静なロウブをただ一人狼狽させたのは元チームメイトのセバスチャン・オジエだ。今季はフォルクスワーゲンのドライバーとして優勝を重ね初タイトル獲得はほぼ確実な状況。王者の冠はセバスチャンからセバスチャンへと受け継がれる。

ロウブの走りを真似して突然マシンのコントロールを失い、大クラッシュしたドライバーは多い。しかし、ロウブのようにタイヤの性能をフルに使いきる走りができないと現代のWRCでは勝つことができなくなった。ロウブの出現により、多くの偉大なるチャンピオンたちが現役引退を余儀なくされたのだ。

メンタルの強さもまたロウブの武器だ。先に述べたようにラリーの最中の彼の感情は極めてフラットで、いかなる状況でも冷静な判断力を保ち続けている。そして、攻めるべきところでは120%の力でアタックするが、ワナが仕掛けられているようなクセのあるコーナーではスピードを80%に落とす勇気も持ち合わせている。

その緩急の付け方が実に見事で、常に100%の力で走ろうとしミスを犯すライバルとの差は大きい。勝負どころを瞬時にして見極める勘の良さは天性のものだと思われる。おそらくロウブならWRC以外の世界でも大成したことだろう。そして、もしもF1ドライバーの道を歩んでいたとしたら、シューマッハやセナと同レベルかそれ以上の成功を収めたはずだ。

以前、ローブはF1マシンをテストする機会を与えられ、いきなりトップレベルのタイムをマークした。F1ドライバーに転向してもやっていけると高い評価を得たが、ロウブはその時すでに30才を越えていたこともあり転向を断念。WRCの世界に留まり続けることにした。

しかし昨年、9度目の世界王者を獲得した後に彼はWRCからの引退を決意する。理由は家族と過ごす時間が欲しいから、そして新しいことに挑戦したくなったからだという。突然辞めてはチームに迷惑が掛かると、今年ロウブは、自ら選んだ4戦にのみ参戦することにした。

すでに3戦に出場し、2戦で優勝。その強さは健在だが、仮に全戦に出場したとしても10連覇は難しかったかもしれない。なぜなら、かつてのチームメイトである「セバスチャン・オジエ」が急激に力をつけてきたからだ。

オジエはロウブと同じくフランス人で、シトロエンがロウブの後継者として育ててきた若手有望株である。しかしオジエは次第にロウブに対抗できるほどの力を身につけ、チーム内で内紛が勃発。かつてF1のマクラーレン・チームで起こったセナ対プロストを思い出させる状況となった。

若きオジエはロウブを尊敬しながらも舎弟として素直に従うことはせず、1回でも多くロウブを負かしてやろうと挑戦状を叩きつけた。普段は冷静なロウブも珍しく心を乱し、その結果オジエはシトロエンを追われることになる。野心溢れるオジエは新たにWRC参戦を表明したフォルクスワーゲンに電撃移籍し、マシンが完成するまでの1年間雌伏の時を過ごした。

そして今年、オジエはフル参戦を開始したフォルクスワーゲンのドライバーとして開幕戦からフル出場。連戦連勝でこのままいけば初タイトル獲得は確実な状況だ。スポット参戦のロウブに対する戦績は1勝2敗だが、仮にロウブが全戦に出場したとしても互角の戦いをし、タイトル争いは接戦となったことだろう。

ロウブはオジエとフォルクスワーゲンの勃興を去年から予想し、それも引退を決めた理由のひとつとされる。負ける戦いは絶対にしないのがロウブの流儀。不利な体制、マシンで苦戦することを彼は望まない。勝利の方程式が完全に勝てるという答えを導き出した時のみロウブは勝負に出る。そのあまりにも慎重な姿勢に関しては賛否が分かれるところだが、だからこそロウブは9年連続で世界王者となり得たのだ。
 
ロウブが出場するラリーは残り1戦。生まれ故郷のアルザス地方で10月に開催される「ラリー・ド・フランス」を彼はWRC引退の花道に選んだ。絶対に負けられないロウブの走りは、彼のドライビングアートの集大成となるに違いない。
アメリカで開催されたパイクスピークのレース現場にハーレー・ダビッドソンで登場したロウブ。KTM RC8Rを歴代で所有し、サーキット走行を趣味とするロウブはバイクの腕前も相当なものだ。
2013年ロウブは4戦しかWRCに出場しない。新たなる活動の場をサーキットレースに求めた。来季ロウブはWTCC(世界ツーリングカー選手権)にシトロエンと供に挑む。
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text:古賀敬介/keisuke koga 
『レブスピード』『レーシングオン』の編集部を経て、現在はWRC(世界ラリー選手権)を中心にモータースポーツや自動車の取材を続ける。WRCと言えば古賀敬介と言われるほどこの世界に精通。J-SPORTSではWRC本編の番組解説はもちろん、『古賀ッチ写真館別館』ではレース以外の"素顔”のWRCを紹介し、新たなファン層の獲得に一役買っている。


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