埋もれちゃいけない名車たち vol.59 イタリア国内専売になったランチア「ランチア・イプシロン」

アヘッド ランチア・イプシロン

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イタリアという国は長い歴史を持つ分だけ奥深く、その〝奥深さ〟というのも〝イタリアらしさ〟を表すひとつの象徴的な言葉だと常々思っている。そういう意味で相当にイタリアらしい自動車ブランドが、今、消滅の危機にある。ランチア、だ。

text:嶋田智之 [aheadアーカイブス vol.174 2017年6月号]
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vol.59 イタリア国内専売になったランチア「ランチア・イプシロン」
ランチア・イプシロン

vol.59 イタリア国内専売になったランチア「ランチア・イプシロン」

1906年に誕生したランチアは、先進的な技術に支えられた高性能とイタリアの伝統的な上質さを併せ持つ高級車を作り続けてきた。1969年にフィアット・グループに収まった後も、フィアット製メカニカル・コンポーネンツを巧みに利用し、グループ内の高級車部門として、大人のための上品かつ格式の高いクルマ達を生み出してきた。

が、後にアルファロメオやマセラティ、クライスラーなどが同じ傘の下に収まると、グループ内に競合車種が並ぶことになり、ブランドの再編成が必要とされた。その流れの中で、ランチアは次第に行き場を失うことになってしまった。

そして2014年に発表された中期経営計画の中で、ランチアはイタリア国内専売になることが示唆され、先頃、イタリアを除く各国のウェブサイトも閉じられてしまった。数年前までは素晴らしく上品なセダンなどもラインアップしていたのに、いつしかラインアップはボトムのイプシロンのみとされ、それすらいつまで続くか、という現状だ。

現在のイプシロンは3代目にあたるが、1994年に初代が発表されたときは、ちょっとした衝撃だった。成り立ちからしたらコンパクト・ハッチバックだが、それではどれだけ経済的なのか、あるいはどれだけホットな性格なのかという点でしか語られなかったようなこのクラスに、新たな価値観をもたらしたモデルだったからだ。

そのスタイリングはランチアのかつての格式高い雰囲気を上手く織り込んだデザイン・コンシャスなものとなり、インテリアは12色の標準カラーと100色ほどのオプション・カラー、アルカンターラや本革などのトリムの素材などを組み合わせ、自分好みの仕様を創り出すことができたのだ。

それが造形や色というものに敏感なイタリア人の感性を強く刺激した。しかもこのクラスにありがちなチープさを排除した上質な雰囲気。ファッショニスタや若い女性を中心に人気を得て、大きなヒット作となった。

小さいクルマだからって心が貧しいわけじゃない、ということを証明してくれる存在になったからだ。プレミアム・コンパクトカーの先駆けのような存在である。その精神性のようなものは現行モデルまでまっすぐ貫かれていて、イタリアではイプシロン各世代の姿を目にすることが少なくない。

まだブランド消滅が正式発表されたわけではない。でも明るいニュースがあるわけでもない。そして何とか生き残って欲しいと思ってるのは、僕だけなんかじゃないはずなのに。

ランチア・イプシロン

※初代イプシロンは1994年に発表されたランチア・ブランドのコンパクト・ハッチバック。スタイリングは当時ランチアのデザインセンターを率いていたエンリコ・フミアによる冒険的ともいえるものだったが、プラットフォームそのものはフィアット・プントのものをショート・ホイールベース化したといえるもの。

エンジンはフィアット製の直列4気筒のファイア・ユニットで、1.1リッターの実用系から1.4リッターのスポーツ系まで数種が用意されていた。この初代は2002年まで生産されて2代目にバトンタッチ、2011年に現行の3代目にモデルチェンジされている。

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text:嶋田智之/Tomoyuki Shimada
1964年生まれ。エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集長を長年にわたって務め、総編集長として『ROSSO』のフルリニューアルを果たした後、独立。現在は自動車ライター&エディターとして活躍。
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