Vol.8 22歳女子大生、父との思い出の象徴だった車

寡黙な父は、普段めったに優しさを見せない。そんな父のことを思うとき、いつも傍らにあのクルマがあった。
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初めて助手席から見た景色
「えっ、車売っちゃうの?」
大学4年の春休み、就職活動も終えて久しぶりに実家に帰ると、両親は車のカタログを手にはしゃいでいた。
「だってお父さん12年も乗ってたのよ。もういいでしょ。最近ハイブリッドのほうが良さそうだし」
そうだ、銀色のホンダ ストリームが我が家にきたのは確かに私が小学生の頃だった。
高校教師の父は、毎週末部活で生徒の荷物を乗せるからと大きなクルマを選んだ。娘である私よりも生徒たちのほうが大事なように思えて、素直に喜べなかったのを覚えている。
でも中学生の時、塾が終わったあと、毎日ストリームで迎えに来てくれるのは父だった。
中学2年の夏休み、好きだった男の子とこっそり花火大会に行ったら、心配して駅まで来たお父さんにバレて怒られたっけ。
高校生になり、部活で夜遅くまで残るようになると、夜道は危ないからと後部座席を倒して自転車を乗せてくれた。時々、友達も一緒に送ってくれた。自転車の横に身体をぐいと押し込めるのが不思議と楽しかったのはなんでだろう。
大学入学で一人暮らしが決まったときは、助手席に母、後ろにはたくさんの荷物を乗せて東京まで…後部座席左側が、私の定番だった。
「お前も東京でそのまま就職だしなあ。お父さんも来年で定年だから、もうこんなに大きいクルマじゃなくていいよ。」
不意に父の言葉にどきっとした。そうか、来年は弟も高校を卒業して県外に就職する。お父さんとお母さんはふたりきりの生活になるんだ…
思い出の詰まったストリームはもう要らない。だんだんと、私達家族が離れていく。急に寂しさがこみあげてきた。
夕暮れ時になり、せっかくだから久しぶりに港でも行くか、と、父に連れられて家の近くの小さな漁港までドライブした。
初めて助手席から見た景色はなんだか新鮮だった。でも、もうこの景色を見ることはない。
車を降り、2人で缶コーヒーを飲んだ。西陽がくすんだボディに反射して眩しく、そっと目を細める。
橙色に輝く大きなストリームに、父の優しさが重なって見えた。