S30やZ32等…フェアレディZは今と昔でどれくらい変わったのか?

ダットサン240Z(S30)

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今回は日産 フェアレディZの進化についてのお話です。

日産が経営危機によりルノー傘下に入った時でも、カルロスゴーンが「ブランドイメージのためにZは必要」として今まで生き残ってきたフェアレディZ。昔と今では何か違うのでしょうか?
Chapter
日産 フェアレディZとは
初期のZは米国日産のイメージリーダー
日本でも初代はスポーツカーとして大人気
2代目 S130型は厳しい排ガス規制でガマンを強いられた
3代目 Z31型は円高で高級スポーツ路線に
4代目 Z32型は280馬力規制を作った重厚なラグジュアリースポーツ
「俺たちのZを返してくれ!」
その男は、Zに再び翼を与えた。5代目 Z33の登場
日産 フェアレディZは現在も北米日産のスポーツカーとして君臨
【現行Z34フェアレディZ NISMO vs 悪魔のZ(S30Z)】土屋圭市さんと柳田真孝選手が43分徹底解説!!

日産 フェアレディZとは

フェアレディZは日産が1969年から販売しているスポーツカーです。特徴的な名前「フェアレディ」はミュージカル映画の「マイ・フェア・レディ」から名付けられたもので、淑女や美しい女性といった意味があり、クルマにも美しさを求めて命名したと言われています。また、Zはアルファベットの最後の文字であることから、未知への可能性と夢を意味しています。
 
フェアレディZの初登場は1969年で、長い歴史のあるロングセラーモデルです。そのためモデルチェンジの回数も多く、2020年現在に販売されている現行型は6代目になります。

各モデルの販売時期は以下のようになっています。

初代 S30型(1969年~1978年)
2代目 S130型(1978年~1983年)
3代目 Z31型(1983年~1989年)
4代目 Z32型(1989年~2000年)
5代目 Z33型(2002年~2008年)
6代目 Z34型(2008年~)

それでは順に、モデルの経緯と特徴の比較をしていきましょう。

初期のZは米国日産のイメージリーダー

米国日産ではフェアレディZが生まれる前に、「フェアレディ」というオープンスポーツカーを販売していました。1000ccのダットサンスポーツ1000に始まり、最終的には2000ccのSR型フェアレディ2000まで進化はしていましたが、あくまでヨーロッパ風ライトウェイトオープンスポーツだったフェアレディでは、「日本のダットサン(「ニッサン」ブランドになるのはだいぶ後の話)」のイメージが今ひとつ弱かったとも言えます。

そこで北米市場でのブランドイメージ向上のため、市場で求められる実用性と走行性能を満たしつつ、「カッコ良くてイメージリーダーになれる車」として生まれたのが初代S30型フェアレディZ(1969年~1978年)です。

思惑通りに「ダットサンのズィーカー(Zカー)」として全米で旋風を巻き起こしたフェアレディZは、空前の大ヒットとなります。2代目のS130型になってもそれは続き、IMSAなど現地のモータースポーツシーンでも大活躍したのでした。

日本でも初代はスポーツカーとして大人気

日本でも「日本グランプリ」などで活躍し、ゼロヨンのタイムならGT-R(ハコスカPGC/KPGC10の時代)にすら負けないと言われたSR型フェアレディの後継として、S30初代フェアレディZは歓迎されます。

日本オリジナルモデルとして、GT-Rと同じ2リッター直列6気筒DOHCエンジンのS20を搭載した「Z432」と、その軽量化レーシングベース「Z432R」も存在しました。

日本市場におけるイメージリーダーとなったのは、2.4リッター直6SOHCのL24を搭載した「240Z」と、Gノーズと呼ばれるフロントのエアロパーツを装着した「240ZG」でした(ただし最量販モデルは2000ccのL20を搭載したベースモデル)

最高出力は110.3kW(150PS)/5,600rpm、最大トルクは206Nm(21kgm)/4,800rpmと当時としては充分なハイスペックでレースシーンでも活躍することになります。 「Zの柳田」または雨のレースにめっぽう強かった事から「雨の柳田」とも言われた名レーシングドライバー、柳田春人などのヒーローを生んでいます。

また、サファリラリーにバイオレットの後継として投入された240Zが総合優勝を果たした事も、人気に拍車をかけました。結果的に全世界における売上台数が約52万台を突破し、大ヒットモデルとなりました。

2代目 S130型は厳しい排ガス規制でガマンを強いられた

2代目のS130(1978年~1983年)は、先代S30の特徴であったロングノーズ、ショートデッキ、丸目のヘッドライト等のデザインを引き継いでいます。ボディサイズは全長4,420mm、全幅1,690mm、全高1,295mmとなり、リアシートの居住性が向上しました。

S130は6年間で約10万台を販売し、それなりには人気がありました。しかし、国内にもライバルが登場したことにより、やや地味な存在となっていたのも事実です。

先代のS30より大きく重くなり、排気量も2.8Lとなりましたが、最高出力は155PSとなっており、大幅な出力向上とならず、当時採用された厳しい排ガス規制に泣かされました。これは同じ日産のC210スカイラインも同様で、後に2リッターターボが追加されるまではガマンの時代だったのです。

3代目 Z31型は円高で高級スポーツ路線に

3代目のZ31型(1983年~1989年)はヘッドライトが丸目からリトラクタブル変形の「パラレルライズアップヘッドランプ」に代わり、見た目が大きく変わりました。これにより空力性能を向上させました。ボディサイズは全体的に少しだけ大きくなり、全長4,535mm×全幅1,725mm×全高1,310mmとなっています。

一方メカニズム的には大きな変化があり、搭載エンジンが直6のL系からV6エンジンのVGに切り替わり、2リッターターボ、または3リッターターボの高級かつ高性能路線に転じました。最高出力は195PSと先代のS130から大きくパワーアップしています。 

またZ31型が登場した頃は経済が大きく動いた時代でした。折りしも、デビュー2年後の1985年にはプラザ合意によって1年で1ドル=235円から150円へと急激な円高が始まります。

それまでの「安くて実用性の高いスポーツカー」という、北米でのフェアレディZの評価は一変する事になりますが、Z31型は円高で日本車の高価格化が進む前に高性能化を進めていたため、以後は付加価値の高いラグジュアリースポーツとして、ポルシェ924などがライバルになっていきます。

国内では後に直列6気筒エンジンのDOHC 2リッターターボのRB20DET搭載モデルが追加されました。そのおかげで、RB26DETTに換装したチューニングカーなども現れはしましたが、歴代モデルの中では今ひとつ人気の出なかったモデルでもあります。

Z31型は時代の影響を大きく受け、大排気量高出力化の方向へと進んだフェアレディZの一つの転機となったモデルだと言えるでしょう。

4代目 Z32型は280馬力規制を作った重厚なラグジュアリースポーツ

1989年、R32GT-Rに先駆けて280馬力を発生した3リッターV6DOHCツインターボ「VG30DETT」を搭載した4代目Z32(1989年~2000年)が登場します。

重量は1,430kg~1,570kgとさらに重たくなっており、先代のZ31から舵を切ったコンセプトとなり、どんどんとハイパワーなモデルらしく進化しています。全長4,525mm×全幅1,800mm×全高1,255mmと先代のZ32からは車幅が大きく増え、全高は低くなっています。

当時の日産は「1990年代までに技術の世界一を目指す」とした、「901運動」の下に自動車開発を行っていました。Z32は280馬力規制のきっかけとなったハイパワーと、独自の4WSであるスーパーHICASも駆使した優れたハンドリングを実現し、「901運動」が色濃く反映されたモデルでした。

そんなZ32ですが、レースで活躍する事を目的としたスカイラインGT-Rとは違い、重厚なラグジュアリースポーツとしてモータースポーツのイメージから一歩遠い位置にありました。

米国ではIMSAやデイトナ24時間レースに出場して好成績を残し、日本のGT選手権にもほぼそのままのワイド&ローの姿で登場した事もありましたが、スカイラインGT-Rがレース活動をしていた日本では、スポーティな印象が薄いままとなりました。

またZ32は32、33、34と進化していったスカイラインGT-Rとは対照的に、バブル崩壊の影響もあり極度の販売不振に陥った日産の中で半ば放置されたようになります。Z32の販売期間は約11年とロングセラーなモデルとはなりましたが、日産がルノー傘下に入った翌2000年に後継モデルが無いまま生産終了し、フェアレディZは一度その歴史を閉じます。

「俺たちのZを返してくれ!」

一方で、1996年には既にZ32の販売を中止されていた北米では、初代S30をレストアした「ビンテージZ」が1997年から発売されるなど、「古き良きズィーカー」としての評価が始まります。

フェアレディZの販売中止を受け、「Zを復活させてほしい」という声が北米の熱狂的なZファンたちから上がります。そして彼らは動いたのです。アメリカにある日産のデザインスタジオを強力にバックアップし、なんと1999年の北米自動車ショーにS14シルビア(北米名240SX)をベースにした北米日産オリジナルの「240Zコンセプト」が展示されるという事態にまで発展します。

そしてその熱い願いが届いたのかどうか、それとも一番熱い想いをもっていた人間が、たまたまZの運命を握るポジションにいたというべきか。フェアレディZは不死鳥のように復活を遂げたのです。

その男は、Zに再び翼を与えた。5代目 Z33の登場

日産を立て直すべくルノーから派遣されたその男、カルロス・ゴーンは、存亡の瀬戸際に立たされて間違いなくリストラ対象になると予想されていたスポーツカーのフェアレディZに対して、大方の予想と反する想いを抱いていました。

ミシュランに在籍していた頃、Z32を愛車にしていた彼は「ブランドイメージのためにZは必要」とし、開発を命じます。そして2002年には5代目 Z33として復活したのです。先代のZ32からはデザインもスペックも大きく変わっていながらも、フロントミッドシップにVQ35DEエンジンを搭載したロングノーズ・ショートデッキの姿はまさにフェアレディZそのもの。

流線形の近代的なボディは、全長4,310mm/4,315mm×全幅1,815mm×全高1,315mmとワイドスタンスに、最高出力は最終的に230kW (313PS)/6800rpm、最大トルクは358Nm (36.5kgm)/4800rpmまでパワーアップしています。3.5Lの大排気量が生み出すパワーはかなりのものです。

日産 フェアレディZは現在も北米日産のスポーツカーとして君臨

Z33の売れ行きはおよそ順調で、2008年に6代目となる現行のZ34へとバトンタッチしました。34ではホイールベースを短くし旋回性能の向上させたほか、排気量を更に200cc増やして3.7Lとなりました。最高出力も247kW(336PS) /7000rpmへとパワーアップしています。

販売再開された北米市場でもスカイラインクーペがインフィニティQ60として高級スポーツとなっているのとは対照的に、フェアレディZは現在でも日産ブランドのスポーツカーとして、スーパーカーのGT-Rと共に日産の重要なイメージリーダーとして君臨しています。

とはいえ6代目Z34のデビューから12年が経ち、そろそろ次期型モデルなど何か新しい話が欲しいところです。そんな中、なんと2020年9月に新型フェアレディZのプロトタイプが発表されました。詳細なスペックはまだ公表されていませんが、今後の動きに目が離せませんね。

フェアレディZ日本でも人気のスポーツカーですが、本来は北米のスポーツカーファンへ向けた「ズィーカー」でした。きっとこれからも、北米のファンがそれを望む限り、それは変わらないでしょう。
日産 フェアレディZは、50年以上の歴史を持ち、海外市場をターゲットにしているなど、他の国産スポーツカーにはない特徴が詰まった車です。

世代と共にデザインも変化していき、それぞれの世代によって印象が違うのもフェアレディZのポイントでしょう。人の年代によって、フェアレディZとは?と聞かれて思い浮かべる姿が変わってくるはずです。

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