バイエルンの青い空 〜人はなぜBMWに魅かれるのか

アヘッド バイエルンの青い空

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現在は不明ながら、E36型3シリーズ、ということは1990年代の後半だと思うけれど、開発中のBMW車の主にハンドリングについて(だったと記憶する)、最後の最後にオッケーのサインをするMr. BMWがいた。エンジニアでありながら運転のうまいひとで、スキッドパッドでドリフトしまくっていた。

text:今尾直樹、ピーター・ライオン [aheadアーカイブス vol.182 2018年1月号]
Chapter
バイエルンの青い空 〜人はなぜBMWに魅かれるのか
僕にとってBMWの魅力とは

バイエルンの青い空 〜人はなぜBMWに魅かれるのか

R51(1951)
そのMr. BMWに、なぜBMWはBMWなのかたずねる機会があった。ステアリングホイールの直径と形状、それにステアリングのギア比は重要だ、と彼はいった。さらに彼はこう語った。「バイエルンの青い空と白い雲の下でつくっているからさ」 冗談かと思ったけれど、真顔だった。

BMW、Bayerische Motoren Werke(バイエルンのエンジン工場)は、1916年に航空機エンジンを生産するために創立された。当時の航空機はこんにちのロケット、あるいはコンピューターに匹敵するような先端技術だったろうから、想像するに、きわめて野心的な起業だったに違いない。

最初につくったエンジンが、いまもBMWの代名詞であるストレート・シックスだったことはまことに感慨深い。このエンジンがドイツ軍に正式採用となり、BMWは急速に拡大する。ところがドイツは第一次大戦の敗戦で、航空機の生産が禁止されてしまう。BMWがモーターサイクルや自動車に進出するのは、つまりそれしか生きる術がなかったからだ。

4輪車は、オースチン・セヴンのライセンス生産をしていたアイゼナハ自動車製造会社を買収し、生産設備とノウハウを手に入れる。独自の6気筒エンジンと、BMWの象徴であるキドニー・グリルを備えた小型サルーン、303を発売するのは買収から6年後のことだ。
Junkers Ju52(1932)
第二次大戦中は、ユンカースJu52やフォッケウルフFw190などに搭載された航空機用エンジンを製造する。筆者は80年代後半、第2世代のM5が出たときの国際試乗会で(だったと思う)ユンカースJu52に乗せてもらい、ミュンヘン上空を遊覧飛行した。3発の、現代の目からすれば小さなプロペラ機で、ブオオオオオッというエンジン音と振動が通奏低音のように耳と体にいまも残っているような気がする。

低空で風がなかったせいか、不思議とそう揺れることはなくて、怖くはなかった。当時はまだ、第二次大戦の頃、小林彰太郎さんに代表される「元ヒコー少年」だった方々が現役バリバリの自動車ジャーナリストで、そうした元ヒコー少年たちにとって1930年に開発され、大戦中、輸送機として使われたユンカースJu52に搭乗できた日の感慨やいかばかりだったろう。

ということは、BMW AGにだって、元ヒコー少年たちが在籍していたはずで、だからこそBMWは航空機エンジンを製造していたという自社の歴史に強烈な自負を持っていたのだろう、といまになって推察する。自分たちが好きでなければ、そんな古い飛行機に世界中からご招待したジャーナリストを団体で乗せて飛ばさないでしょう。

第二次大戦後のBMWは、爆撃で工場のほとんどを失っていたし、東ドイツにあったアイゼナッハ工場はソ連の占領下にあって、航空機用エンジンはもちろん、自動車の生産もままならなかった。残された工作機械でナベやヤカン、自転車をつくるしかなかった。戦後初の自動車は、1951年発表の501なるラグジュアリー・サルーンで、敗戦から発表まで6年かかった。

501にはその後、初のV8モデルが加えられたけれど、ラグジュアリーにすぎて時代に合わなかった。イタリアのイソのライセンス生産のイセッタなんぞをつくったのも、ナベ、カマ同様、食いつなぐためだった。
1959年、BMWは倒産寸前となり、ダイムラー・ベンツに合併を申し込む。それを救ったのが、いまもBMWの大株主であるクワント家だった。こと製品の一貫性を考える上で、オーナー・ファミリーの存在は大きい。トヨタ車の統一感に対して、日産車がバラバラに思えるのは、片方には豊田家があるのに対して、片方にはない、という事実が大きいのではあるまいか。

個々のホンダ車がバラバラに思えるのも、本田家の不在ゆえではあるまいか。BMWを考える上でクワント家は欠かせない。とはいえ、ドイツ有数の大富豪といわれるクワント・ファミリーは表に出てこないことでも有名で、その実態はよくわからない。

これだけはいえる。創業からおよそ半世紀のあいだ、バイエルンのエンジン工場はけっして順風満帆ではなかった。BMWの快進撃が始まるのは、クワント家がオーナーとなり、1962年に「ノイエ・クラッセ」と呼ばれた1500が発売されてからのことだ、と。
40years 3 Series
〝Neue Klasse〟とは、英語だとニュー・クラスという意味である。ドイツでは戦後早々にフォルクスワーゲン(ビートル)の生産が始まり、50〜60年代に奇跡的な経済復興を遂げた。メルセデス・ベンツ300SL〝ガルウィング〟の発表が'54年、BMW507も同じ頃のはずで、当時のBMWにはV8の高級車とイソ・イセッタはあったけれど、中産階級のための商品がなかった。その穴をノイエ・クラッセが埋めた。

高性能スポーツ・サルーンとして人気を博し、大ヒット作になった。この1500が5シリーズの源にもなったし、02シリーズ、3シリーズへと発展もする。現在のBMWのすべてのルーツになるのである。

当時、BMW1500、のちの02シリーズがいかのほどのインパクトを自動車界に与えたかというと、すぐに浮かぶのが日産ローレルと510ブルーバードである。前ストラット、後ろセミトレーリングアームの4輪独立懸架をいち早く取り入れ、「技術の日産」をアピールしたのだった。
i3
BMWがBMWであるのは、原点であるノイエ・クラッセをつねに念頭においてクルマづくりを行っているから、といえると思う。BMWは、いまもV6エンジンをつくらない。完全バランスの直列6気筒からエンジンづくりを始めた彼らにとって、V6の振動は許せないのだろう。

メルセデス・ベンツ、ときにポルシェを仮想敵として、メルセデスやポルシェと同じことはやらない、ということも徹底している。高性能SUVをいち早く開発したのはBMWだったし、その高性能SUVのX5はエンジン縦置きの後輪駆動ベースで、その意味では背の高い高性能スポーツ・セダンのようなものだった。

排気量エンジンを好むメルセデスに対して、 BMWは小排気量・高回転でもって対抗する、という姿勢もノイエ・クラッセ時代から変わっていない。安全性よりも、フロイデ・アム・ファーレンを重視したハンドリングもまたしかり。ヨーロッパのドリフト野郎の御用達はBMWであって、メルセデス・ベンツではないのはゆえなきことではない。 

前後重量配分50:50は、E36型3シリーズあたりからBMW自身がいいはじめたことだけれど、ここにもBMW独自のノウハウが詰まっているはずだ。4WSを採用しても、前輪駆動、EVさえも、BMWがBMWっぽいのは、BMWがいかにフィーリング重視で開発されているかの表れだろう。

バイエルンに青い空と白い雲がある限り、BMWは永遠に不滅です。
New 5 Series

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text:今尾直樹/Naoki Imao
1960年生まれ。雑誌『NAVI』『ENGINE』を経て、現在はフリーランスのエディター、自動車ジャーナリストとして活動。現在の愛車は60万円で購入した2002年式ルーテシアR.S.。

僕にとってBMWの魅力とは

2002TI
僕がティーンエージャーの時、寝室の壁には2枚のポスターが貼ってあった。1つはあのチャーリーズ・エンジェル主演の金髪美人ファラ・フォーセット、もうひとつはBMW2002tiiだった。ファラちゃんの話はさておき、1972年に登場した2002tiiは名車、いや動く芸術だと思った。そのさりげない曲線と横長のライン、丸いヘッドライト、しかもあのキドニー・グリルの組み合わせは何とも言えないほど美しい。

有名な画家に4、5枚の代表作があるように、自動車メーカーも4、5台の代表的なクルマがある。言い換えれば、自動車業界に大きな影響を与えたクルマ。人によって内容は少し変わるだろうけど、僕にとっては2002の他に1956年に生まれた507、シャークノーズの635 CSIと最高級のロードスターのZ8が記憶に残る。

当然、そういうクルマに乗るチャンスがあれば、いつでも張り切って乗るけど、仕事では新車を試乗することが多い。今年は、5シリーズ、X3、M2、などいろいろなBMW車に乗って評価した。このブランドの魅力って、何かなと思った時に、やはり代表的なデザイン・ランゲージのキドニー・グリルから始まって、性能と走りは無視できない。
SuperGT 300 BMW Team Studie
BMWのエンジン作りは昔からとても尊敬している。特にあの有名な直6と後輪駆動。力溢れるこの直6とデュアルクラッチのコンビはBMWのブランドイメージにぴったり。BMWはThe Ultimate Driving Machine、つまり究極のドライビング・マシンであることを売り文句にしているが、それはBMWだからこそ堂々と主張できることだ。

それだけBMWは運転の楽しさやスリルを開発するために絞り込んでいる。でも、楽しさの他に提供しているXドライブ (4WD) の技術とドライバーの安全支援システムも高く評価している。そういうフィロソフィを尊敬するね。だって、もし性能やハンドリングがごく普通というか、他の欧州メーカーと変わらないのなら、そういう言い回しは生きてこないし、ブランドイメージも保たれない。

そういう意味でBMWのレース活動にも注目している。スーパーGTやツーリングカー選手権などに参戦しているけど、一番感動を覚えたのは、Z4がニュルブルグリンク24時間レースに優勝した時。僕にとって、そういうところが魅力的だね。

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Peter Lyon●国際モータージャーナリスト。オーストラリア・パース生まれ。西オーストラリア州大学政治学部(日本研究科)卒。’83年に奨学生として慶応大学に留学。’88年から東京を拠点にモータージャーナリストとして活動を始める。NHKワールド「Samurai Wheels」で、片山右京と共に海外150ヵ国に英語で日本のクルマ文化を発信。ワールド・カー・オブ・ザ・イヤー&日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。
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