LAST CHANCE 憧れのままでは終わらせない

アヘッド ラストチャンス

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いつか、そのうち、貯金ができたら…。人生の折り返し地点を過ぎても若いころと同じ理由をつけてやりたいことを先延ばしにしていませんか。
もしくは、仕事が忙しいとか子供がいるからと仕事や家族のせいにして自分をごまかしていませんか。

text:小沢コージ、山下敦史、まるも亜希子、伊丹孝裕、photo:長谷川徹、山岡和正
[aheadアーカイブス vol.153 2015年8月号]
Chapter
超高級車に挑む
理想のクルマを創り上げる
リアルガレージライフのススメ
「即今当処自己」〜今ここで自分が…
以前に比べて健康でいられる年齢が高くなってきているとはいえ、いつまでも体力や気力を維持できるわけではないはずです。憧れてきたことを実行に移すには今が最後のチャンスかもしれません。本当の自分と向き合って、もう一度だけ少し熱くなってみませんか。

超高級車に挑む

●アストンマーティン ヴァンキッシュ
車両本体価格:¥31,490,000(税込)
排気量:5,935cc(V型12気筒)
全長×全高×全幅:4,720×2,067(ミラー含む)×1,294mm
最高出力:573kW/6,750rpm
最大トルク:620Nm/5,500rpm
最高速度295km/h
0-100km/h加速:4.1秒
駆動方式:FR
トランスミッション:
6段オートマチック(タッチトロニック2)

text:小沢コージ

年齢は50歳前後。子供もそろそろ手離れしつつある。よし、今が最後のチャンスだ! 持ってた株も運良く値上がったし、昔から憧れていたスポーツカーを買ってみようと、思う人もいるかもしれない。だがそういうひとに向けて、これから非常に夢のない、所帯じみた現実話をするのでお許しいただきたい。

もちろん欲しいクルマが高くても300万円前後のマツダ・ロードスター級ならまったく問題はない。ただし、今までは買ってもVWゴルフやBMWセダンの人が、一足飛びにポルシェを越えて家が買えるほどのフェラーリやアストンマーティン級のスーパースポーツの購入を考えているとしたら、買えるだけのお金があったとしても「ちょっと待った」と言いたい。それは単純なクルマの購入では済まなくなるからだ。

当たり前のことだが購入のための諸経費だけでもかなりのもの。例えば現在3070万円のフェラーリ488GTBの場合、自動車税が6万6500円で自賠責が4万円ちょい。これはまだいい。それより本体価格に準じて取得税がイッキに上がって85万5900円!、任意保険も50万円オーバーは楽勝。つまり諸経費だけでフィットやVWアップが買えるのだ。

そのなんとも言えない金銭配分感に加え、普通、新型フェラーリを月極駐車場に駐車するなんて考えられない。盗難はもちろんイタズラの心配を考えると、屋内の防犯設備の整った駐車場が必要だ。新車のスーパーカーを買うということは事実上、屋内駐車場付きの持ち家が必須になる。

それだけじゃない。万が一ぶつけたとしたら。例えば488の場合、アルミボディなのでフェンダー交換だけで100万円オーバーは確実。もちろん車両保険に入っているのなら、ちょっとした自損事故でも保険で解決できるだろうが、そもそもフェラーリの車両保険金額を想像してみてほしい。

つまりなにを言いたいかというと、新車のフェラーリを買うということは当初の負担のみならず普段の維持費もケタ違いで、これが日常的にその人の金銭感覚をいたく刺激するのだ。断言するが、都心で飲んで郊外まで帰るのに、1万円程度のタクシー代をもったいないと考える人にそれはムリだ。例えるなら、普通に可愛くスーパーで数円でも安い野菜を求める倹約家の奥様と離婚して、金銭感覚のまるでないキレイな女優と再婚するようなものである。

始めはそれも嬉しいだろうが、私の知る限り、カードで1日数十万円の金を平気で使い、買い物を都心の成城石井だけで済ませる女性と本当に生活していける日本の男性は少ない。しかし超高級車と生活するのはそれに近いことなのだ。

昔、フェラーリを初めて購入した有名人が嘆いていた。「俺はクルマを大切にし過ぎた。フェラーリに負けた」と。一方、新型マクラーレンで十勝サーキットを全開にするのが趣味の不動産経営者は「走って全損にしても笑える余裕がないとね」とニヤっと笑った。

お金だけのハナシではない。この手のスーパーカーを自分のモノにするとは、とんでもない収入と金銭感覚、損得勘定を必要とするのだ。大抵の人は何とか買えたとしても〝単に持つだけ〟で終わるだろう。

しかし意外な副作用もある。彼らが一様にクチにするのは、普段の生活では出会えない人と親しくなれることだ。そのメンツは、俳優、アーティストはもちろん、大成功した医者、経営者、F1ドライバーなど多岐にわたる。彼らは普通ではない才能や感覚を持っている。その相手から同じ価値観を持つ友人として見られるのだ。そこでは、ひとクラス上のお付き合いができるはず。

しかし、ポンッと遺産や不動産などの収入が入っただけでこの手のクルマを買ったひとは、次第に話題について行けずにツラくなってくると思う。悦びやチャンスはもちろんあるが、同時に自分の器も赤裸々になってしまうのである。超高級車を購入するということは過酷な道を通り抜けた成功者たちの世界に足を一歩踏み入れることでもある。問題は果たしてその覚悟が本当にアナタにあるか! なのだ。

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text:小沢コージ/Koji Ozawa
雑誌、ウェブ、ラジオなどで活躍中の “バラエティ自動車ジャーナリスト”。自動車メーカーを経て二玄社に入社、『NAVI』の編集に携わる。現在は『ベストカー』『日経トレンディネット』などに連載を持つ。愛車はロールスロイス・コーニッシュクーペ、トヨタ iQなど。

理想のクルマを創り上げる

text:まるも亜希子

人が想像できるものは、必ず人は実現できる。そう言ったのはどこの誰だっただろうか。

人生の折り返し地点を過ぎる頃になると、夢見ていたもののひとつやふたつは手に入れているか、とうにあきらめているかのどちらかだ。たいていのものは、お金さえ出せば自分のものになるのだと悟ったり、幼い頃は心が震えるほどに感動したものさえも、だいたいそんなものかと心に響かなくなってくる。今いる場所、囲まれているものたちにしがみついて、決して満足しきっているわけでもないのに、失うことを怖がる。手にしているものを手放してまで、まだ見ぬ自分に会ってみようなんて思いもしなくなっている。
▶︎リムジンを名乗るだけあって、後部座席は豪華なリビングルームを思わせる。大型の液晶テレビを正面に据え置き、左右にスピーカーを装備するなど、外観からは想像できないファーストクラス以上の独立したくつろぎ空間を実現。テレビはラック部に収納されるので、フロントシートとのコミュニケーションも可能。

そんな大人たちが多い中で、立ち止まらず、常に新しい何かを追い求めている大人の輝きは、とてつもなく眩しい。ランドクルーザーやハイエースなどの専門店形式の新車・中古車販売を行うフレックスには、なぜか、そうした輝く大人たちが集まってくる。タレントの哀川翔さん率いるチームで過酷なラリーに挑戦したり、クルマをただ仕入れて売るのではなく、商品開発部を置いてこだわり抜いたカスタムカーをリリースしたりと、フレックスの活動は変化にあふれている。そして、周りの人たちまでもワクワクさせてくれる。

いったい、フレックスには何があるのだろう。そう考えた時に浮かんだのは、「想像しつづける力」なのではないかということだ。そもそも中古車というのは、走行距離や色、内装など、すべてが思い通りの条件で手に入れることは難しい。いや、中古車に限らず新車でも、何もかもが理想の1台を見つけるのは奇跡に近いのかもしれない。
▶︎リムジンらしくフロントシートも高級感を醸し出している。ダッシュボードにスエードの生地をあしらい、カロッツェリアのカーナビ&カーオーディオも装備。荷室は、重低音用のサブウーファーを配置しながらも余裕の収納スペースを実現している。

でも、だからといって理想の1台をあきらめるのか? 自分をだましだまし、吊るしの状態に甘んじるのか? それほど愚かなことはない。無いなら、創ってしまえばいいというのが、フレックスの想像力だ。

その究極の1台が、先ごろ完成したというランドクルーザーのリムジンだろう。これを見た時に、「その手があったか!」と胸のすくような想いが涌き上がってきた。キング・オブ・オフロードと呼ばれるランドクルーザーは、砂漠だろうが何だろうがものともしない、高い走破性が魅力だ。数あるオフロードモデルの中でも、中東やアフリカなど実際に道なき道が多い地域での人気が高いことから、その実力はお墨付き。

ただ、居住性はそれほど褒められたものではない。7人乗りのスペースはあるものの、優雅にクルージングするというイメージとはほど遠い。でも、そのボディを600㎜ほどストレッチしてリムジンにすれば、ゆったりと座ってリラックスして過ごせる空間ができる。走行中に快適なだけでなく、辿り着いた場所に停めればどこでもリビングルームの代わりにもなりそうで、これは最強の組み合わせかもしれない。挑戦者の象徴ともいえるランクルと、成功者の象徴であるリムジンがひとつになると、カッコ良さも最強だ。
このランクルリムジンを発注したのは、タレントのヒロミさんだそうだ。釣りやキャンプなどアウトドア好きで、ベストファザー賞を受賞したイクメンでもあるというから、家族や仲間たちと大自然の中でのんびりしたいという思いが、この最強の1台を想像させたのだろう。そして、フレックスのカスタムカー造りのノウハウが、この世になかった新しい夢を生み出した。

想像したものは、必ず現実になる。そう思うとどうだろう、グレーがかっていた世界がとたんに明るく見えてこないだろうか。これでいいのだと、半ばあきらめていた夢が再び輝きはじめたりしないだろうか。そうなったら、あとはやるのみだ。理想のクルマを手に入れるまでは、まだまだ人生の幕を下ろすわけにはいかない。

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text:まるも亜希子/Akiko Marumo
エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集者を経て、カーライフジャーナリストとして独立。ファミリーや女性に対するクルマの魅力解説には定評があり、雑誌やWeb、トークショーなど幅広い分野で活躍中。国際ラリーや国内耐久レースなどモータースポーツにも参戦している。

リアルガレージライフのススメ

text:山下敦史 photo:山岡和正

アメリカ映画に出てくるような、納屋みたいなガレージに憧れていた。今でもどこかで憧れている。心ゆくまで愛車やバイクを磨いたり整備したり。あるいは愛車を眺めながらコーヒーを飲んだりできれば至福だろうなあ、と。まあ我に返れば、ガレージどころか駐車スペースもない賃貸暮らし。そんなものは夢物語と頭の片隅に追いやっていた。

そんな中、一般的な商業写真のほか、クルマやアウトドア、旅といった分野を得意とされるフォトグラファー、山岡和正さん宅のガレージを取材させていただくことになった。といっても夢のようなガレージライフをご紹介というものではなくて、頑張れば手が届くかもしれない、自然体のガレージライフを実践する山岡氏をモデルケースに、もう一度ガレージのある暮しを現実に考えてみようという提案だ。
山岡さんのお住まいは杉並区の緑が多い閑静な住宅街。1階がガレージ、2階と3階が居住スペースというメゾネット形式の賃貸マンションだ。レトロ調の装飾を施された独特の外観も落ち着いた雰囲気を醸し出す。正面からの写真だと、山岡さんの愛車、BMW・X5の大柄なボディが一杯に収まって空きがないようにも思えるが、実はガレージの奥行きがかなりゆったりしているのだ。

X5の奥には、BMW・K1300RとヤマハDT230ランツァという大小2台のバイクが収まり、壁側には趣味であり仕事道具でもあるアウトドア用品が並んだ自作の棚も設置されている。それでいて、奥のDTとX5の間には、この取材も行なった大人3、4人が十分対面で座れるスペースが確保できるのだ。ここはバイクの簡単な整備や、仕事の後にちょっとくつろぐ場などとして活用されているという。

さらに普段は、X5の手前にもう1台、ジムニーも置かれているというのだからかなりの収納力といえるだろう。奥が窓ではなく、裏庭部分へ抜ける引き戸になっているところも特徴的だ。これによってガレージの足元までが明るく、風も通りやすくなっている。物は多いのだが、いい意味で雑然として、取材の短い時間でも居心地の良さを感じられた。
そもそも山岡氏がガレージのある物件を探した理由は、第1にバイクを安心して置ける場所が欲しかったからだという。バイクを野ざらしにすると盗難も心配だが、各所がすぐに劣化してしまうからだ。

その言葉通り、ガレージのK1300Rは3万5000㎞の走行距離を感じさせないコンディションを保つ。雨風日差しを防ぐだけでなく、日常のメンテがやりやすくなるという理由もあるだろう。第2は、職業上機材が多く、仕事の度に大荷物を抱えて住居と駐車場を往復することが非効率という理由だ。雨の日などはその手間がさらに増えることになる。
育ち盛りのお子さんがいることもあって緑や公園の多い場所、という条件を加え、物件探しは3カ月ほどにも及んだという。その後、今のマンションに巡り会ったわけなのだが、最初の感想は「(賃料が)ちょっと高いなあ!」だったとか。

かなり悩んだとのことだが、都心部で駐車場を借りると相場で月3万円ほど、2台なら6万はかかる。加えてバイクの分までとなれば結構な負担だ。考えた末、多少割高に思えてもトータルコストと利便性でメリットのほうが大きいと判断。結果、期待以上の満足を得ることができたという。
もちろん、誰もが山岡氏の場合と同じようにうまく行くとは言えない。だが結局のところ、憧れへ向けて踏み出せるかどうかが問題なのだ。そりゃあ、リビングや書斎と一体化したような夢のガレージ、は夢かもしれないけど。でも、叶う、叶わないの二択で無理と諦めるのではなく、できる範囲、見つかる範囲からのガレージライフでもいいんじゃないかと思う。

それは妥協ではなくて、最初の一歩なのだ。まずは雨風をしのげるだけでもいい。それだけでも、愛車への安心感と愛着が増すことだろう。バイクを盗まれたくない、野ざらしにしたくない、というところから始めた山岡さんもそうだったように、ガレージに憧れる心の大本には、愛車を大切にしたいというシンプルな気持ちがあったはずだ。そこを忘れなければ、きっとガレージライフは遠い夢物語ではなくなっていく。

目の前のクルマとどう暮らして行こうか。愛車と対話し、向き合うことで、憧れに近づいて行ける。

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text:山下 剛/Takeshi Yamashita
1970年生まれ。東京都出身。新聞社写真部アルバイト、編集プロダクションを経てネコ・パブリッシングに入社。BMW BIKES、クラブマン編集部などで経験を積む。2011年マン島TT取材のために会社を辞め、現在はフリーランスライター&カメラマン。

「即今当処自己」〜今ここで自分が…

text:伊丹孝裕 photo:山下 剛

中学生の頃、憧れの職業が3つあった。レーシングライダー、レーシングドライバー、パイロットというのがそれで、実際そのひとつを叶えようと航空高等学校に進学する準備をしていた。ところが急速に近視が進んだ結果、受験どころか願書の送付資格さえクリアできずに断念。15歳なりに挫折感を味わったことを覚えている。

それからはなにかに憧れを抱くような気持ちは薄れていった。まだ2つ残されていたものの16歳で2輪の、18歳で4輪の免許を手に入れ、いざ自分で運転するようになるとなんとなくそれで満足してしまったのだ。もちろん漠然とした思いは残しながらも、それは「レーサーってカッコいいなぁ」という夢うつつのようなものに過ぎず、「宝クジが当たればいいなぁ」という戯言と大差なかった。それでいて「今からじゃ遅いし、お金掛かるし、どうせ才能ないし」とあきらめと言い訳には事欠かず、いつの間にか35歳を迎えていた。

いわゆるアラフォーへの突入である。それにふと気がついた時、強烈に感じたのは「もう時間がない」というアセリだった。すぐにやってくるであろう40歳を基準にして残り時間を計算すれば、まさに人生の折り返し地点。年齢を重ねるのはいいとして、なににも挑戦しないまま、なにも残さないままそこに至ることが急に不安になったのである。そしてほどなく、勤めていた会社を辞めることにした。

その時に得たいくらかの退職金と精算した会社の持ち株とを引き換えに手に入れたモノは一台のレース用バイクと自由になる時間、それにレーシングライダーとして「マン島TTに出る」という決意だった。当時はプロでもなんでもなかったが、我ながらそれを夢うつつとも戯言とも思わず、できると強く信じていたのだ。もっとも傍から見ればほとんどヤケッぱちの人生に思えただろうし、少なからずマン島TTを知る者は自殺願望にでも突き動かされているように見えたかもしれない。それでも家族だけは何も言わず応援してくれた。

「即今当処自己」という古い言い回しがある。そのまま現代語訳すれば「今、ここ、自分」という意味に過ぎないが、「今しかない、ここしかない、自分しかいない」という 瞬間瞬間の気構えを説く禅語として広まった言葉でもあり、時にそれを思い出しては自分の気持ちを発奮させ、ここぞという局面で拠りどころにしてきた。

そうやってどうにかレースに参戦し続けた結果、38歳の時にマン島TTに参戦。目に見えるカタチとして手に入れたモノは完走を証明するメダルに過ぎなかったが、ひとつの挑戦の証として手元に残すことができた。

もちろん順風満帆に事が進んだわけもなく、プロライセンスを取得するのに3シーズンを費やし、その間骨折も幾度か経験。車両のパーツ代、タイヤ代、遠征費…とすべてをレースのためにつぎ込んだ結果、ありとあらゆる支払いを滞らせることを余儀なくされ、お金が無くなるどこかマイナスになる恐怖をイヤというほど味わった。家のポストを覗く度、どこかから督促状が届いていなければ安堵し、その文字が見えた瞬間の、締め付けられるように心拍数が上がるあの経験はもう2度と繰り返したくない。家族にももちろん言えなかった自分の中の暗部でもある。

だからこそ、「夢があるなら一歩踏み出してみよう」などと明るく語るつもりはないし、「夢に向かって頑張りました」などと美談にする気もない。人生最初で最大のチャレンジがマン島TTであり、年齢的な限界を考えるともうあれ以上は待てないラストチャンスだったことは確かだが、そのために限りなくダークな世界の淵に立ち、それでもなんとかもがいて結果的に脱出できただけの話でもある。

それがあったからか今では少し賢くなり、決してイージーではないものの無謀過ぎることもないギリギリの高さに夢や目標を設定するようになった。マン島TT以降、挑戦しているパイクスピークや鈴鹿8耐の参戦がそれに当たり、走る度に「タラレバ」を抱えながらも、だからこそそれをモチベーションにして挑戦を重ねている。もしそれを感じなくなればきっと新しいなにかを探すのだと思う。

そう思えばラストチャンスはなにも一度きりではない。なにかを夢見る気持ちがあればそれが一歩踏み出すきっかけになり、その数だけラストチャンスも増えていく。僕はこれからもそれを見つけて生きていくつもりだ。もちろんかつて憧れたパイロットやレーシングドライバーへの思いもあきらめる必要などなく、それが職業でなくとも近づくことはできるかもしれない。

人生はずいぶんと楽しく、生きがいに満ちている。44歳を控え、折り返しを過ぎた今だからこそ本当にそう思う。

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text:伊丹孝裕/Takahiro Itami
1971年生まれ。二輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTやパイクスピーク、鈴鹿八耐を始めとする国内外のレースに参戦してきた。国際A級ライダー。
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