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日本で走り続けて40年? 長きに渡り信頼されてきたクムホタイヤ

クムホタイヤ・その挑戦の歴史

セリカ

クムホというと数年前にF1参入の噂があったほどモータースポーツに力を入れているタイヤメーカーとして知られていますが、日本では2000年代からスーパーGTなどのレースに積極的に関わっていき、特にエクスタVシリーズは一部アマチュアレーサーから熱狂的な支持を得るなどスポーツ系のタイヤを得意とする「知る人ぞ知るタイヤ」という印象です。

日本への進出はと言うと意外にも約40年前(1977年)になりますが、日本での販売量を急激に伸ばしたのは90年代後半から2000年代に入ってからとのことです。近年は欧州のカーメーカーへの純正タイヤ採用も増えてきておりまだまだ伸びしろのあるタイヤメーカーといった感じがするクムホですが、今までどのような歴史を辿って来たのでしょうか。

それでは創立以来の歴史をご紹介しましょう。

創業のきっかけは系列会社のバス用タイヤ不足

クムホタイヤ(光州旅客・創業期)

クムホ・アシアナグループは1946年、タクシー事業から始まりました。

その後、「光州旅客(現在のクムホ高速)」として本格的にバス事業にも進出しましたが、当時は韓国でバス用タイヤの確保が難しく、1960年に自らバス用タイヤを製造する事にしました。

こうして系列のバス会社に供給するためにタイヤ業界に参入したのが、クムホタイヤの始まりです。

ただ自らの系列に供給するだけでなく、発展を目指して積極的な投資を行い1日あたり20本程度だったタイヤ生産数を急速に引き上げて1965年にはタイへの初の海外輸出を開始、1966年には米国運輸省の工業規格「DOTマーク」の取得にも成功して、品質面も急速に向上させていきました。

1970年代に入ると工場を新設しつつ設備投資も積極的に行って機械化を促進、生産効率を飛躍的に向上させます。

米ユニロイヤル社との技術提携を行う一方で1975年には自動車用ラジアルタイヤ、それに自動車用タイヤよりはるかに要求性能の高い航空機用タイヤの開発にも成功します。

1976年には年間生産本数が100万本を超えるなど成長のための基盤を確立し、1977年には日本法人のクムホタイヤジャパンを設立するなど、矢継ぎ早の成長戦略を打ち出してきたのです。

次ページ1980年代以降急速なグローバル化で成長したクムホタイヤ

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