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プリメーラのデザインは本当に良いのか?異色のセダン、プリメーラとは?

これはFFのスカイラインだ

初代プリメーラの開発を統括した津田靖久さんという方は、じつはヨーロッパ駐在が長く、その間にも日産が国内でノックダウン生産することになるVWサンタナのプロジェクトでも活躍された方です。

既に開発の始まっていた初代プリメーラの統括は途中から(日産ではこのパターンが多いみたいです)受け持ち、三年間携わってデビューまでこぎつけたのだとか。
既にあったプロジェクトの引き継ぎながら、しかし津田さんのヨーロッパでの経験やVWサンタナの国内生産で得たノウハウはかなり色濃くこのクルマに注入されていたと見ていいでしょう。それは出来上がった実物を見れば、乗れば何より明らかでした。

「これはFFのスカイラインだ」

当時国内市場やジャーナリストからの評判は概ねこういった調子。ガッチリと基礎を固めた骨格、下から十全にトルクを持ち、トップエンドまで衰えることなく(ちょっと喧しかったけど)回りきる気持ちの良いエンジンはATでも十分以上の速さ。そしてご存知フロント・マルチリンク/リア・パラレルリンクストラットの足回りは固められながらも高い剛性の車体がきちんと受け止めるためストロークが自然で、硬くても不快じゃない・・・

こんなあたりがまさしく「ヨーロッパ」を感じさせた要因だったと思います。同じく開発に携わった水野和敏さんは「ヨーロッパの実用車はあんなに走るのが楽しい、その理由は何なのか」ということを考えながらこのクルマの開発に携わっていたといいます。オーソドックスな実用車でもハンドルを握るのが楽しくなる、そんなクルマを作りたい・・・。

じつは昨年、このクルマのハンドルを握る機会がありました。さすがにくたびれて、日産車オヤクソクのヤレ、ワイパーブレードの色とびなんか酷くてまったく期待していなかったのですが、乗ってみれば、ガッチリしたボディというのは年数を経てもヤレが少なくじつにシャキっとしていて、足回りの確かさ、ハンドルの手応え、エンジンの快活さなど、まさに「あの頃のまま」。色褪せるどころか、常に「優しい走り」に終始する現代の乗用車に対してじつに「硬派」で、運転が素直に楽しく思える、そんな瞬間を思い起こさせてくれる、ちょっと感動的な再会でした。

初代プリメーラとは、この他にも優れたパッケージングによる広い室内とトランク、機能性と空力性能を両立したスタイリングなど、「無難」なセダンが多かった国内市場にあってまさに「異色」の存在だったわけですが、それが多くのユーザーの支持を得てモデルライフを通じて高い人気を誇りました。

地道にコツコツ、熟成改良の二代目

初代で大ウケした商品の二代目を作るという作業は、どの業界でも難しいと言われています。初代をそのまま踏襲するのか、まったく異なる価値観を追求して、新しい顧客層を開拓するのか・・・。そう考えたときに日産はプリメーラの二代目を初代の踏襲と熟成改良といったあたりを主眼に据えて作った、ということのようです。

広かったとは言え後席のレッグスペースとヘッドルームがやや狭かったことや、なにより「硬派」過ぎたアシ、乗り心地への対応、また静粛性や快適性への要求なども無視できず、これらを適切に、丁寧に潰していくというやり方は、ある意味このプリメーラの質実剛健なキャラクターに合っているとも言えました。

ただ、それだけではなくて、この時期はポストバブルのコストダウン、合理化策の嵐が吹き荒れていましたから、プリメーラも例外なくその対象となるのです。細かいところではインジェクションの形式がやや簡易的なものに置き換えられたり、また、目立ったところではリアサスペンションを前回の独立式パラレルリンクストラットから、部品点数の少ない「マルチリンクビーム」と呼ぶ、ちょっと凝った支持方式を持つ左右一体型のサスペンションに置き換えられたりして、少なからず初代の「妥協のなさ」が後退してしまったことも確か。

のちにワゴンボディを追加したり、NEO VVL仕様のSR20エンジンとCVTなどを積極投入して巻き返しを図ったものの、初代ほどの名声は得られなかったのがこの二代目。やっぱりうまくいった初代の次というのは、本当に難しいのでしょうね。

ただ、乗ってみて、「これはプリメーラなんだ」と思わなければ、けっこう落ち着いた雰囲気のサルーンで、それでいてボディはしっかりしているし、良い乗り心地や静かさもあり、走りもほかと比べてそんなに悪くない、というかむしろまだまだいい、というクルマで、初代よりこちらのほうを良しとするユーザーも少なくなかったとか。

二代目プリメーラは少し大人びた印象で、やや間口を広げようとしたクルマ、しかしやはり自動車にとって冬の時代に突入していましたから日産自動車もバブル期ほど十全の自信をもってクルマ作りを行えていなかったようにも見えるのです。

一気にモード系に走った最後の3代目

二代目プリメーラの末期、日産は経営不信に陥っており仏ルノーとの提携が決まっていました。日産車はこれからどうなるのだろう、どのように変わっていくのだろうと誰もが思いを巡らせていた、そんなときに登場したのが三代目プリメーラでした。

このデザインはちょっと衝撃的でした。あの保守的な日産がこのような、いうなれば派手なデザインを施してくるというのは、やはりルノーの影響が早くも現れたということなのか・・・。

しかし事実は異なりました。このデザインは日産のヨーロッパデザインチームによるものでしたが、しかしまったくルノーの息が掛かっていない、純然たる日産デザインなのだとか。あれだけ保守的で日本的なデザインを地で行く日産のデザイン部門にも、このようなモダンで美しいデザインを描けるセンスを持ったデザイナーがいて、そしてその方のデザインがたまたま会社の方針で採用されなかっただけだった、ということもわかってくるのです。

新車発表は東京都現代美術館で行われ、のちに経済産業省「グッドデザイン賞・金賞」、ドイツ「レッド・ドット・デザイン賞」ほか数多のデザイン賞を獲得。

ただ・・・従来のプリメーラファンにはちょっと難解だったのかもしれません。なんといってもプリメーラは現代の「羊の皮を被った狼」でしたから、ジミであることがひとつの美徳のようなところがありました。それがこの目立つデザインとなると、ちょっと抵抗があったかもしれません。もちろんプリメーラの伝統であるフロント・マルチリンクサスペンションによる走りの良さやルーミーな室内など、実用車としての資質も十全に備えてはいましたが、やはりいつも薄化粧だった嫁さんが突然派手になる、というのはどうにも受け入れ難かったようで・・・。

さらにはITドライビングと称してナビと携帯電話端末の連携を図って情報を引き出す仕組みをはじめ、そもそもあのダッシュボードの真ん中にノートPCがあるような操作性にはどうにも馴染めない、というユーザーも少なくはなく・・・。

玄人筋には非常に評判の良かった三代目プリメーラも、セダン全体の販売不振という潮流に飲まれるように2005年限りで国内では姿を消しました。

プリメーラというクルマ、バブル期の日産が「走りの良い実用車」をスローガンに901運動の中生まれてきた、生粋のスポーツセダンだった初代に始まり、熟成改良し各部を磨き上げるも合理化策が足を引っ張り人気を落とした二代目、そして新時代を予感させる未来的なデザインを施し華々しく登場するも、従前のユーザーには理解を得られず、新たな顧客層を開拓もできず終わっていった三代目・・・という変遷をたどりながら、しかし一貫して言える事は従来のセダンの「固定観念」の外でクルマ作りをしようという「意思」が常に存在した、ということでしょうか。

常識に従うことや、従来の考え方を踏襲することは簡単です。しかし、新しい考え方や生き方、価値観を見つけ出すには常識の外でモノを考えなければならない時もある・・・。プリメーラというクルマの歴史は、そうしたチャレンジの歴史だったのかもしれません。

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