【プロフェッサー武田の現代自動車哲学論考】第一章:フォルクスワーゲン e-Golf

VW e-Golf

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これまでのフォルクスワーゲンには、EV(電気自動車)というイメージが薄いと思われる向きも多いだろう。

しかしフォルクスワーゲンは1970年代からEVの開発・実験を積極的に行い、1989年に「ゴルフ2 CityStromer」、1993年に「ゴルフ3 CityStromer」というEVをドイツ国内で実験的に販売した実績もあるという。

さらに言うなら、フォルクスワーゲンの歴史の原点には、実はEVがあったのだ。

文・武田公実/Takeda Hiromi

武田 公実|たけだ ひろみ

かつてロールス・ロイス/ベントレー、フェラーリの日本総代理店だったコーンズ&カンパニー・リミテッドで営業・広報を務めたのちイタリアに渡る。帰国後は旧ブガッティ社日本事務所、クラシックカー専門店などで勤務ののち、自動車ライターおよびイタリア語翻訳者として活動。また「東京コンクール・デレガンス」、「浅間ヒルクライム」などの自動車イベントにも参画したほか、自動車博物館「ワクイミュージアム」ではキュレーションを担当している。

武田 公実
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【プロフェッサー武田の現代自動車哲学論考】第一章:VW(フォルクスワーゲン) e-Golf

【プロフェッサー武田の現代自動車哲学論考】第一章:VW(フォルクスワーゲン) e-Golf

自動車史に詳しい方には周知の事実かもしれないが、フォルクスワーゲンの開祖と言えば、ポルシェの開祖でもあるフェルディナント・ポルシェ博士。そして若き日の博士が初めて開発したクルマは、実はEVだった。

ポルシェ博士は、21世紀の現代においても数多くのエンジニアが挑戦しているテクノロジー、前輪ハブにモーターを組み込んだ「インホイールモーター」を採用した「ローナー・ポルシェ電気自動車」を開発。1900年のパリ万博に出品し、センセーションを巻き起こした。

その後、自動車設計者として確たる地位を築いていたポルシェ博士は、時のドイツ・ナチス政権の求めに応じた国民車を開発。それが1938年に誕生した「KdF」のちのフォルクスワーゲン・タイプ1である。ところが第二次大戦の勃発とドイツの敗戦により、KdFプロジェクトは頓挫を余儀なくされてしまった。
そんな悲しい歴史からスタートしたこともあってだろうか、戦後に「フォルクスワーゲン」として再起した新会社を担った人々は、技術的良心に基づいたクルマづくりに努めてきたと言えるだろう。

タイプ1、すなわち愛すべき「ビートル」や、「ブリー(ブルドック)」の愛称で呼ばれたキャブオーバー型商用車タイプ2は、そのシンプルながら上質なメカニズムと頑丈さから、世界のありとあらゆる場所で重用される、まさしく「人民の(Volks)自動車(Wagen)」となった。

そのフォルクスワーゲンの技術的良心が生み出した現代の傑作が、ゴルフである。1974年に登場して以来、7世代のゴルフはそれぞれの時代の小型車のトレンドセッター。すべての小型大衆車が、フォルクスワーゲン・ゴルフをお手本としてきた。
そして2017年秋、日本国内でも販売がスタートしたe-Golfは、まさしくその延長線上にあるモデル。

あまりに自然なフィールに、自分がEVに乗っていることをしばしば忘れてしまうほどなのだが、それほどクルマに慣れてきたころには、もう一つ重要なことに気づかされる。

それは自動車の三大要素といわれる「走る・曲がる・止まる」が、e-Golfでは実に真摯に作られていることである。

この点では「ゴルフⅦ」と呼ばれる現行型ゴルフの内燃機関モデルは、極めて高い評価を得ているクルマ。e-Golfはその美点はすべて備えた上で、EVならではの圧倒的な静粛性や目の覚めるような加速感を体現しているのだ。
このごろ急速に吹き荒れている「EVフィーバー」、他業種や新興国によるEVシフトが進行し、「自動車の産業構造が変わる!」とか「もはや既存の自動車メーカーの時代ではない」という極論まで飛び交う昨今だが、e-Golfのごとく、自動車としての本質が本当にしっかりしたEVに乗ると、それがいかに机上の空論であるか……!と痛感してしまう。

良いEVを創るには、まずは良い自動車を作らねばならない。EVフィーバーの中で忘れられがちな当たり前のことを、e-Golfは気づかせてくれたのである。
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