高度経済成長の結晶!ソアラはなぜ人々に求められたのか?

完全な脇役となってしまったレパード

日産 レパード F31

同時期の日産には、ソアラのライバルとしてレパードをラインナップしていました。しかし販売は振るわず、登録台数では常に下位に低迷。あまりに不幸でした。

初代でソアラに出遅れ、2代目では初代ソアラをターゲットにして作られたと言われるレパードですが、最初からソアラの敵ではありませんでした。

日産はまだY31セドリックを端緒とするイノベーション、夜明けを迎える前の従来のクルマ作りのワクのなかで考え、その結果としてレパードを作っていましたから、ソアラが備えていた”意識の高さ”や”先見の明”に敵うはずもなかったことは、ある意味当然でした。

しかしその後、レパードはレパードで、後年、また次元の異なる分厚い支持を確実に得ていくことになるわけで、それはレパードにとって別の意味で大変幸せなことになります。

後世にも影を落とした大きな存在感

ところが、バブル崩壊を境に日本はまた新たな時代となります。昭和という繁栄と成熟の時代が終わり、人々は新しい目的を探して、また別のステージに入って行きます。

そんな時代に投入された3代目ソアラは、それまで日本人のための高級車だったコンセプトを大きく変え、アメリカで描かれたデザインを採用した国際車としてリニューアルされました。そして残念なことに、2代目ソアラのほどの熱狂は得られませんでした。

時代がソアラとすれ違ってしまったからにほかなりません。光り輝けばこそその影は大きい…その意味で3代目ソアラは、2代目の存在の大きさのなかで苦戦したようにも見えます。

クルマが持つ「夢」を与える力

2代目ソアラというクルマは、昭和日本の成熟期に、その時代の日本人の琴線を大きく刺激した「夢」そのものだったと言えるかもしれません。

いまでもあの時代と、あの時代に生きたクルマの象徴としてソアラを懐かしむ声は根強くあります。それほど人々の心に深く刻み込まれたクルマでした。しかしそれは、現代にソアラほどに熱狂、あるいは共鳴できるクルマが存在していないという寂しさの裏返しともいえます。

時代は自動車に強く影響し、自動車も時代に強く影響していた。そんな時代の雰囲気が、ソアラのようなクルマから見て取れる気がします。

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