ついに!自動運転のプラットフォームの駆け引きが始まりました

ついに市販となる夢の自動運転車だが…

アウディ A8 2017

アウディが発表した新型A8は、クルマとしての完成度もさることながら、世界中で大きく話題になる要素があります。それは、自動運転レベル3を実現した「アウディ AI トラフィックジャムパイロット」。60km以下の速度、同一車線上であれば、ドライバーはステアリングから手を放し、システムに運転をゆだねることが可能なシステムです。

この発表を受け、自動運転レベル3のクルマが増えることは想像に難くありません。もちろん、この自動運転には今後さまざまな課題もついてまわることが予想されます。

日本では、レベル3に相当する自動運転は認められておらず、道交法の改正が必要になるといわれています。ドイツも同様でしたが、2017年5月、近い将来の自動運転車の走行が可能になる道路交通法の改正案が議会で可決されたそうです。それは自動運転車のドライバーがステアリングホイールから手を放し、運転以外の行為を行うためのステップになるといわれています。

このように自動運転技術は、現行の法律が対処できないほど目覚ましい進歩を遂げています。その自動運転技術の「プラットフォーム」について、BMWとフィアット クライスラー オートモビルズの協業が発表されました。

自動運転技術「統一規格化」を進めるべき流れではないだろうか…

自動運転

2017年8月16日、フィアット クライスラー オートモービルズは、こうした自動運転車のプラットフォーム開発分野において、これまでBMWやご存じ半導体メーカーであるインテル、運転支援システムを得意とするイスラエルのモービルアイで行われてきた自動運転開発グループに参加することを発表しました。このグループには、すでにコンチネンタルやアメリカのデルファイ オートモーティブも参加しています。

自動運転技術の開発は、つまるところAI=人工知能の開発となるわけであり、そこには多大なコストと時間がかかります。であれば、すでに技術を確立しているグループと協業するのが、メーカーとしてはメリットが大きい。また、同一のプラットフォームを持ったAIのほうが、なにかと都合が良いということが言えるわけです。

これは、スマホのOSのアンドロイド、アップルのiOS、またWindowsのような、ICTにおける統一規格をイメージすると良いかもしれません。

自動運転技術のプログラムが同一のプラットフォームであれば、互換性を持てますし、同じソフトウェアであれば、公道で走る際もAI同士の相性が良いわけです。または各車がリンクすることで、事故リスクを限りなくゼロに近づけることも可能になります。つまり、多くのメーカーが同一のプラットフォームを使うことのメリットはとても大きいのです。

なんだかSFの世界の話のような気もしてしまいますが、もはやそれも数年以内には実現できそうな勢いですから、非常に興味深いところですね。

新分野だけにこうしたプラットフォーム、統一規格には各社思惑があり、自分たちがイニシアチブを握りたいという意向も強くもっています。日本では国交省が日本自動車工業会などと連携して、自動運転分野における基準作りにおいてイニシアチブを握るべくの自動運転基準の「日本案」を策定し、議論を主導したい構えを見せています。

2025年には世界全体でおよそ5兆円の付加価値、経済効果を生み出すとされる自動運転技術ですから、自動車メーカー、ICTメーカー、そして国連。さまざまな思惑のなかで、議論と主導権争いが当面続くでしょう。それがどういったかたちで収斂するのか、注目が集まります。

一方、ユーザー側としては、安全性と完成度の高い技術の提供を期待するところです。メーカー間にはそれぞれ思惑があろうと思いますが、一部オープンソ―ス化するなどして、信頼性の高い製品開発を期待したいところです。

自動運転車は電気羊の夢を見るか?

間もなく続編が封切られる映画『ブレードランナー』を、ご存じの方は多いでしょう。この映画はアメリカの作家、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が原作となっています。

同作は進化したAIと人間の違いは?というのが根底にあるテーマです。若干脱線しますが、AIと自動運転と倫理について少しだけ触れておきたいと思います。

自動運転車の進化は、今後急速に進んでいくと考えます。いわば、AIが独自の「意思」をもって運転するということになります。状況によっては、ドライバーが予期しない操作をAIが行うこともあるでしょう。

法整備が必要なポイントとして、「誰がクルマを運転しているのか」という点は避けられない議論です。少なくとも、完全にシステムに委ねている間は、ドライバーの意思はクルマの動きに介在しません。となると事故を起こした場合、その責任の所在はAIにあり、製造元にも原因がある…なんてことも解釈上成立します。

もちろん、所有者が責任を負うという方向性が現実的な解釈となるのでしょうが、こうした点も気になるところです。

そして、AIが意思をもっているのであれば、事故を避けるためにどんな判断を下すか、という倫理的問題も避けて通れません。以前話題になったハーバード大学のマイケル・サンデル教授も取り上げた「トロッコ問題(trolley problem)」があります。

知ってる方も多いと思いますが、これは倫理学の思考実験のひとつです。

例題は「暴走する機関車の行く先に5人の作業員が働いています。このまま走って行けば5人が犠牲になります。一方、機関車の進路を変えて待避線に入れば、犠牲者は1人の作業員だけ」といった状況で、どういう判断を下すかというもの。

もちろん、正解はありませんが、道徳、倫理面で非常に考えさせられるものです。若干飛躍してしまいましたが、自動運転のAIはドライバーの安全を優先するのか、その他の命を優先するのか。こうした点も公道に自動運転車が溢れるようになった際、またAIが高性能になればなるほど、筆者は気になるポイントだったりもします。

急速に進化を遂げる自動運転、そしてAI。私達とどのように共存していくのか、気になる未来は、すぐそこにせまっています。

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