速度無制限速のアウトバーンって渋滞しないの?

アウトバーン

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ドイツのアウトバーンは、速度無制限道路として有名です。しかし実際には、速度制限区間と無制限区間があり、推奨巡航速度は130km/h。日本の高速と同様、スピード違反取締機もあります。そんなアウトバーンが首都高さながらに、渋滞していると言うのです。
Chapter
ドイツで高性能車が発達した理由
アウトバーンの歴史
アウトバーンに渋滞発生
現在のアウトバーンの交通事情

ドイツで高性能車が発達した理由

ドイツには、ポルシェ、メルセデス・ベンツ Sクラス、BMW 7シリーズといった超高性能車が伝統的に生産されています。その理由は、”高性能車を購入すれば時間を節約できる”という考えがあるからです。

『バイエルンのオフィスから、鹿料理の旨い店にランチに行こう。なに、レストランまでほんの200kmだ。すぐに帰って来れるさ、BMWならね。』

これは、筆者の記憶では1980年代のBMWの広告ですが、なんだかカッコイイですね。

時速200km以上で快適・安全に運転できる高性能車なら、200km離れた評判のレストランでもお昼休みに往復できる、というわけです。

時間をお金で買うという発想がドイツの高性能車造りを支え、高性能車が快適に走る自動車専用道路がアウトバーンでした。

アウトバーンは、長距離を時速200km以上で巡航できる高性能車造りに一定の役割をはたし、ドイツの自動車メーカーをプレミアムメーカーに成長させたとも言えます。

アウトバーンの歴史

アウトバーンは1913年より、区間ごとに工事が開始されますが、進捗状況は思わしくありません。当時の政治家たちの道路行政への考え方は、アウトバーンは不要でした。

しかし第1次大戦後、600万人もの失業者を雇用し世界恐慌を乗り切るため、ナチス党のヒトラーはアウトバーン工事をニューディール政策として行いました。ヒトラー政権下では、失業者は35万人にまで減ったとのことで、ヒトラーの数少ない功績のひとつと数えられます。

第2次世界大戦後、ドイツは東西に分裂。西ドイツは東側陣営に対抗するため、アメリカが主導となって行ったマーシャル・プラン(戦後復興プラン)と、西ドイツの軍事傾倒化を防ぐために設立した欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)により、西ドイツの基幹産業は復興しました。

その結果、自動車産業が発展し、経済も回復。アウトバーンの存在もあり、高性能車が生産されるようになり、200km離れたレストランまでランチに行けるようになったのです。当時のアウトバーンに、速度制限区間は現在ほど多くありませんでした。

アウトバーンに渋滞発生

アウトバーンで渋滞が起こり始めたのは、1990年の東西ドイツ統一後と筆者は記憶しています。旧東ドイツ製のトラバントが、アウトバーンを走り始めたことが一因とされました。

トラバントは、0.59L直列2気筒2ストロークエンジンを搭載した2ドアセダンおよびステーションワゴンで、1953年から1990年にかけて生産されました。最終モデルのスペックは最高出力23hp(23.3ps)/3,800rpm、最大トルク5.5kgm/3,000rpm、最高時速95-105km/h(4名乗車時は80km/h程度)とのこと。

日本の550cc規格初期の軽自動車並の性能ですから、ポルシェやBMWなどが高速で走行するアウトバーンでは、渋滞の原因になるのは目に見えています。

現在のアウトバーンの交通事情

現在のアウトバーンは、隣国の高速道路と直接接続され、欧州の東西地域をつなぐ要所となっています。その重要性からか通行量が増大し、比例して道路の損傷も激しくなり、補修工事がいたる箇所で行われています。

アウトバーンの財源は鉱油税の一部と、12トン以上のトラックの通行料です。これだけでは不十分のようで、補修工事は遅々として進まず、長期化しています。

ドイツではアウトバーンの整備は、接続する道路やバスやLRTなどの近距離公共交通と一体となり、交通行政全体として取り組まないと効果がないとして、地方自治体に運営・管理・予算管理を委託しています。しかし、地方自治体でも道路整備は進まず、公共交通はサービスが悪いと敬遠され、アウトバーンの改善にはつながっていません。

Twitterによれば、現在のアウトバーンは高速道路ではなく、工場のベルトコンベアとのこと。往年の速度無制限区間の多かった自動車専用道路の姿を取り戻すには、財源負担や交通量規制などを含め、欧州全体で取り組まなければいけない課題です。

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