センチュリーの祖!? 国産初のV8エンジン搭載車「クラウン エイト」とは?

国産初のV8エンジン搭載車、トヨタ クラウン エイト

トヨタ クラウン セダン 2代目

※写真は2代目クラウン

高度成長期、クルマもそれに合わせた進歩、成長が進んでいきました。1955年にデビューした初代トヨペット・クラウンもその一台。当時、実用車(トラック)レベルのクルマが多いなかで、前輪独立懸架、低床シャーシといった乗用車専用設計をしたのも、後に繋がる重要な起点であったといえます。

クラウンは1962年に2代目へと進化。翌年、当時、海外のクルマが主流であった企業や官公庁向けの大型車カテゴリーに進出すべく、2代目クラウンをベースに大型セダン「クラウン エイト」を発表します。

基本デザインこそ2代目クラウンに似ていたものの、全長(+120mm)、全幅(+150mm)、前後トレッド(+120mm)、ホイールベース(+50mm)をそれぞれ伸ばし、全長4,720mm×全幅1,845mm×全高1,460mmという非常に大型のサイズに仕立てました。

とはいえ最大の特徴は、国産初のオールアルミ製 水冷V型8気筒エンジンでしょう。排気量2,599ccの90度V型8気筒エンジンは、 最高出力115ps/5,000rpm、最大トルク20kgm/3,000rpmをそれぞれ発生。ミッションは、トヨグライド2段ATで、クルーズコントロールを備えていました。

※後に4速MTフロアシフト車や3速OD付MT車が追加されています。

大型VIPカーの先祖とも言えるモデル…充実の装備

このクライン エイトには、ATのほか、パワーステアリング、パワーウィンドウ、電磁式ドアロック、コンライト(オートライト)、オートドライブ(クルーズコントロール)など、当時としては画期的な装備が搭載されていました。また現在では見ることの少ない三角窓も、電動開閉機構を備えていたというから驚きです。

ゆったりとした大型のボディ、充実した装備の数々は、要人にふさわしい高級車に仕立て上げるためのものでした。ではこのクラウン エイトに乗った要人とは?

クラウン エイトを使用した要人は?

このクラウン エイトを使用した要人は、第61代内閣総理大臣となった佐藤栄作です。1964年の11月9日に内閣総理大臣に就任したというタイミングも、クラウン エイトが公用車として採用された事情といえそうですね。

競合したのは、1963年2月に発売された日産セドリック スペシャルやプリンス グランド グロリアでした。このグランド グロリアは、宮内庁に多数納入され、各宮家にも愛用されていたようです。

しかし、専用ボディとして新開発したクラウン エイトと違い、他車は既存のボディに大型エンジン(2.0L 直6)を載せたモデルであり、室内空間はライバルと比較してもアドバンテージがあったといえます。

要人の使用や法人・官公庁への導入、という意味でも各社せめぎ合っていたのでしょうね。

一代限りの最上級モデル

トヨタ センチュリー

クラウン エイトは1965年にマイナーチェンジを受けたものの、1967年にモデルライフを終了しています。生産台数は3,834台。

後継車はご存じ、トヨタ センチュリーです。エンジンは、クラウン エイト用をベースにした3.0L V8で、その後このエンジンは排気量を拡大していきました。

一方クラウンは、直6エンジンを最上級グレードに配し、V8エンジンの復活となるのは、1987年に登場する8代目の1UZ-FE(3,968cc)まで待つこととなります。

クラウン エイトは、結果的に一代限りとなったものの、国産初のプレステージサルーンであり、センチュリーの始祖。高度成長期のモータリゼーションのなかで、重要な役割を果たしたモデルといえるでしょう。

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