年間17万台から4,000台に…日産 スカイラインはかつての人気車に戻ることはできるのか?

日産 スカイライン 200GT-t

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1957年4月に初代モデルが発売されたスカイラインも、2017年4月で誕生60年を迎えました。最盛期には、年間17万台ものセールスを記録しましたが、2016年度の販売は、4,000台強にまで落ち込んでいます。はたしてスカイラインは、再び日本国内で絶大な人気を取り戻すことができるのでしょうか?
Chapter
歴代スカイラインで最多販売は「ケンメリ」
ケンメリが大ヒットした理由とは?
今後、ヒットの期待が薄い?その理由とは?

歴代スカイラインで最多販売は「ケンメリ」

歴代スカイラインで最多販売台数を記録したモデルは、4代目のC110型でした。4年間で67万台が生産されたので、平均で年間17万台、月間1万4,000台を売り上げたことになります。

「ケンメリ」の愛称で知られるC110型は、CMで使用された「ケンとメリー~愛と風のように~」がオリコンにチャートインし、ちょっとした社会現象にもなったのです。

ケンメリが大ヒットした理由とは?

マニアックなスカイラインが一般向けに!

ケンメリの先代、C10型スカイラインは、レースで活躍し、スカイライン=スポーツカーのイメージを定着させました。

開発者の桜井眞一郎氏は、「玄人が乗って楽しめるハコで速いクルマ」と理想のスカイライン像を持っており、それを具現化したのがC10型でした。

C10型は製造台数31万台とヒットしましたが、当時の日産首脳陣からは「もっと売れるクルマ」を作るように言われ、結果、C10型の走りの良さをベースに一般受けしそうなスカイラインとして開発されたのが、C110型でした。

玄人向けのマニアックな車として認知されていたスカイラインが、一般ドライバーでも楽しめるクルマになったのです。

C10型のイメージを継承

レースで49連勝を記録したC10型のイメージを継承したことも、ケンメリの大ヒットの要因です。

C10型はデビュー当初は硬派路線でしたが、途中から軟派路線に変更し、キャッチコピーに「愛のスカイライン」を使用しました。

レースでは速くて、デートカーとしても使えるスカイラインのイメージを継承し、さらにソフトな「ケンとメリーのスカイライン」のキャッチコピーを使用し、人気を博しました。

1970年代の時代背景

1970年代は日本のモータリゼーションが進み、新車販売規模は1960年代の10倍と爆発的に成長しました。さらに日本経済は、高度成長中の時代です。給与は右肩上がりに増え、将来の展望も明るく、高価なスカイラインであってもローンを組んで購入する人が多かったのです。

また1970年代後半は、第一次ベビーブーム世代が結婚する時代でもありました。当時、恋人を作るためには自動車はマストアイテム。女性は、彼氏にするならクルマを持っていることが最低条件とさえ言い切った時代です。デートカーとしてのスカイライン需要は、高かったのです。

今後、ヒットの期待が薄い?その理由とは?

ケンメリが大ヒットした理由が、今後のスカイラインに当てはまるのかという観点で見ると、大ヒットは難しいと考えられます。その理由は以下2点が挙げられます。

●スカイラインのイメージの継承
スカイラインのイメージは、いまなおC10型に端を発したサーキットのイメージです。しかし、2017年現在は当時ほどモータースポーツは大衆の興味を集めていません。

さらに、ハコで速い2.0L直6のFR車でないと「スカイライン」として認めないファンに訴求することは難しそうです。かといって、モデルチェンジに莫大な費用を投入するほど、国内マーケットがあるとも思えません。ライバルの多いセグメントでヒットをとばすのは至難のワザかもしれません。

●社会情勢の違い
経済があまり上向いていないこともマイナスに作用しそうです。500万円クラスとなったスカイラインが、そうそう売れるはずがありません。また、少子高齢化や公共交通機関の発展により、そもそもの車に対する需要が減っているためと考えます。

日本では4,000台強ほどの販売に留まるV37型ですが、同車はインフィニティQ50としてワールドワイドで販売され、2016年度全世界で8万台強のセールスを記録しています。合計すると8万4,000台強もの台数が売れています。

日本の新車市場は、年々縮小し、スカイラインも販売台数を減らしていますが、世界的に見ればインフィニティで健闘を続けています。国内で「スカイライン」ブランドが消滅したとしても、そのコンセプトはインフィニティへと引き継がれることでしょう。
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