ロータリーで出るはずだった「マツダ シャンテ」…なぜロータリー計画は頓挫した?

マツダ シャンテ

※この記事には広告が含まれます

1960年代から70年代にかけて、マイカーブームが隆盛していた頃の日本には数々の軽自動車が存在していました。マツダも今のようなOEMではなく独自に自社開発をしていて、魅力的なスタイリングや技術的アドバンテージを持ったちょっと「進んだ」軽自動車を世に放っていた時期でもありました。

そんな中でひときわ異彩を放っていたのが「シャンテ」。このクルマ、聞けばなんとロータリーエンジンを搭載して登場する予定だったのだとか…どんなクルマなのでしょう。
Chapter
REシャンテ
シャンテ本体の魅力
なぜ、どうしてロータリー計画は頓挫したのか

REシャンテ

RE雨宮が制作したチューンドカー「REシャンテ」はご存知の方も多いのではないでしょうか。360cc2気筒エンジンのためのエンジンルームに12Aロータリーエンジンを詰め込んだこの小さなモンスターマシーン、最高時速は240Km/hにも到達するという超ド級のパフォーマンスを持つケタ外れの軽自動車です。

しかしこのマシーン。ただただ、軽自動車の車体にロータリーエンジンを搭載したというだけではなかったわけですね。もともと、シャンテというクルマの計画段階ではこのREシャンテとは異なりますが、専用のシングルローターエンジンを搭載することが予定されていて、それが様々な事情で頓挫してしまった、という経緯があったわけです。

このREシャンテ、いうなれば本来のシャンテの姿にオーバーラップさせるような、そんなオマージュ的な意味合いもあって制作されたということなのではないでしょうか。

所ジョージさんの自動車番組、0-200m大会でもREシャンテは大活躍していました。

シャンテ本体の魅力

シャンテというクルマ、世に出てみればエンジンこそ従来のレシプロエンジンではあったものの、スタイリングやパッケージングはちょっと進んでいて、とくに、この時期の軽自動車としては異例なほど、前後ホイールが隅に追いやられている、ロングホイールベースが目立ちます。おかげで、当時の軽自動車としては、異例なほど室内空間に余裕があったのだとか。

当時のマツダはロータリーエンジンのみならず、なにか、どこか、他とは違うものを、という姿勢でクルマを開発していましたから(今もそうですね)、ロータリーを載せずとも、そもそものシャンテというクルマそのものが単体で魅力的なクルマに仕上がっていたということは容易に想像がつきます。

しかし、世の中の流れや市場からの要求、またマツダ自身の方針などから、小型乗用車以上のクラスのクルマへのウエイトも高まり、シャンテは約四年のモデルライフを終えて、1976年に販売が終了するのです。

なぜ、どうしてロータリー計画は頓挫したのか

当時はまだ、ロータリーエンジンそのものが抱える技術的なハードルもありました。そこへ、このシャンテに搭載される計画だったのはシングルローター。それまでとは全く新しいチャレンジになっていったことは想像に難くありません。それは、「攻め」た設計のきわどいクルマ作りになっていくことでもあり、当時、例えば排ガス対策などにも手を回さねばならなかったマツダにとっては大きな障壁となったはずです。

また、ロータリーエンジンの高性能ゆえの足かせもありました。各メーカーや監督官庁が、この高性能エンジンを軽自動車に搭載して売り出すことに難色を示したと言われます。飛び抜けた性能や個性を持つことは、当時の日本において「社会的に」許される風潮ではなかったということなのかもしれません。時代が違っていたら、周囲はどんな反応をしていたでしょうか。

さて。スカイアクティブで一世を風靡している現代のマツダ。しかしその常識を覆してやろうという精神は、例えばこのシャンテひとつとっても、70年代という今から40年以上前にあっても変わらなかったのだということが分かる気がします。

今はスズキなどのOEMでラインナップしているマツダの軽自動車ですが、また、スカイアクティブなどの最新技術を用いて、独自のテクノロジーと個性、性能を有した魅力的なモデルが誕生すると人気が高まるのではないか、そんな気がしますね。
【お得情報あり】CarMe & CARPRIMEのLINEに登録する

商品詳細