超リフトアップにベタ車高・・・いったい何のためにやるの?

改造車

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常識的にはちょっと理解不能な極端なリフトアップや、ベタベタに車高を下げてタイヤをハの字に取り付けるカスタマイズ。これやるだけで相当な手間とお金がかかっているはずなのに、一体何のためにやっているのかわからないようなところがありますよね。

もちろんお遊びだし、趣味の範囲、ご本人の自由の範囲だとは思いますが、そうさせる理由がわからないよ、という声をよく耳にします。今回はちょっと視点を変えてその心理に迫ってみたいと思います。
Chapter
一見無意味!? でも本当は意味がある「改造」
既製品じゃ我慢できない!常識をぶち壊す快感!
じつはコミュニケーション抜群?優しい人たち?
そこまでの改造はしなくても、メッキ加工で印象は大きく変わります。

一見無意味!? でも本当は意味がある「改造」

たとえばこうしたリフトアップ。岩場などの踏破性を上げるためのもの、といえばもっともらしいですが、こういうクルマを街中で走らせている人も多いですよね。一度渋谷のスクランブル交差点を渡っている時に、近くに居て観察したのですが、まるで巨大なタイヤに踏み潰されるんじゃないかというくらいの迫力がありました。運転手さんも乗り降りのために、小山にでも登るかのようにとても苦労しているみたいで、とても街中での実用性は高そうではありません。

注目は集めると思います。実際に筆者が目撃した時もかなりの歩行者通行人が物珍しそうに「品川ナンバー」のランクルを見上げていたものです。目立つ、注目を受ける、その快感というのはあるかもしれません。しかしそれだけなら別に新車でも目立つクルマや色のものはあります。ランクルを買って何百万もかけるならポルシェの新車でも買ってしまったほうが早いかもしれませんよね。

でもそうじゃない訳です。これはファッションであると。渋谷や原宿のようなファッションの最先端をゆく町をまるで迷彩色のアーミールックで歩くような感覚。服飾の趣味に様々あって、その自由な感覚を今の時代は受け入れていると思います。それは自動車においても同じことなのかもしれません。人とは異なる自分だけのファッション、ある意味の異物感を醸し出すことで強いアピールになる。

これが改造車、カスタムカーのひとつの醍醐味なのかもしれません。誰もが常識的でおとなしいスタイル、ファッションのクルマを身にまとっていることに対して、ちょっとイカツイ、威圧感のある姿かたちを身に付けるというのは、「定番ハズシ」のファッションです。

こういう乗り方、着こなし方もある、筆者はそう思って見ています。

既製品じゃ我慢できない!常識をぶち壊す快感!

誰しも突き詰めれば既製品、量産品では満足できないという心理があると思います。自分だけのオーダーメイド、たとえばスーツなんかではそういう世界観があることを理解しやすいと思いますが、自分のためのオリジナルであることは大きな満足感になるはずです。

しかしクルマという商品はどうしても量産製品ですし、メーカーのしてくれるカスタムといっても範囲が限られます。色だって既成のものしかありませんし、ホイールやエアロも既製品です。

そこでというか、自分の好みに合ったエアロ、ホイールを選んで、なんならオールペンで色まで自分専用、さらには車高も下げて既製品では得られない地を這うようなスタイリングまで完成させてしまう。内装も張り替えてモニターを入れたりウーハーを突っ込んだり…全部実用品じゃないし、どこにそれをやる意味があるの?と思ってしまったら切りがないわけですが、しかし誰もが「意味」を求めることに対して「無意味」だけど「格好いい」ということにある意味命をかけているのが、こうしたカスタマイズに走らせる要因だと思うのです。

あるいは、無駄なところがいいのです。世の中無駄を極度に嫌う傾向があって、それが強い常識になっているようなところがある。そうした「常識」だけにとらわれていると視野が狭くなるということも実はあったりするわけです。「常識」に極度にとらわれすぎることが狭苦しい、堅苦しい、そんな心理が働いているようにも思えます。

彼らは「常識」がイヤなのです。メーカーの言われるがままに、おまかせでモノを与えられることに満足していない。わがままといえばわがままだけど、でも自分の気持ちに正直に、しかも行動に移しているその行動力というものがある。それと、けっこう「常識的な人」からは軽蔑されているようなところがあるのも、おそらく本人たちには「むしろそれでいい」という感覚だと思う。なにせ「常識」から離れたい、「枠」にハマりたくない、自由な人たちなのですから。

個人的には彼らのことを「自由人」と呼んでいいと思ってます。

じつはコミュニケーション抜群?優しい人たち?

じつは全塗装、オールペンひとつ取っても、全剥離でやるのかそうでないのか、どれくらいの彩度にするのか、パールは何色系で何層にするのかなど、相談すべき項目はたくさんあります。満足のゆく仕上がりを得るためには何度も何度も打ち合わせをしなければならない。だけど本格的にやりたい人というのはそういう時間も厭わない、これは塗装の本職の方から実際聞いた話です。ボディカラーというのは表現する部分としては非常に大きいですから妥協もできない、だからきちんとコミュニケーションする、というわけです。

足回りのキャンバーの角度、ツライチセッティングの具合など、これもミリ単位のお話し。正直言ってこんなことをやってもタイヤが片減りするだけですし、なにも実用的なことはないけれど、でも本人たちはかなり真面目にセッティングを出すわけですね。

もちろんショップに依頼するにも、まあ中にはお任せコースの人もいるかもしれないけれど、筆者の知る限り、この手のクルマのオーナーさんは非常にこだわりも強く、そしてやっぱりというか、コミュニケーションがしっかりした人です。

じゃあ実際にそういう人って仕事もデキる人なんじゃないか、というふうに想像したりもしますが、きっとそうだと思います。なんせこういう改造、ものすごいお金かかりますから、それなりの資金力、あるいは集金力は必要です。

要するに、見た目やクルマで人を判断してはいけない、ということですね。ま、中には中途半端に終わってしまう人もいないとは言いませんが、隅から隅まで自分仕様に、しかも高いレベルの仕上げをもってカスタマイズをまっとうしている人というのは、それなりに能力のある人だと思います。そして、常識にとらわれない、あるいは常識を嫌う自由人でもあると。

ある人が首都高でクルマがエンコしてしまい往生している時に、優しく声をかけて助けてくれたのは「ベタ車高のカスタムカーのお兄さんたちだった」というエピソードを聞いたことがあります。見た目がイカツイからといって、中身までイカツイかというとそういうわけじゃないんですね。やっぱり見かけだけで判断してはいけないんだな、と改めて思います。

あくまでもそれは「衣装」なのであって、ご本人たちをそのまま示すものではないのだと。今回はカスタムカーとそのオーナー心理をちょっといつもとは違った視点で捉えてみましたがいかがでしたか。


そこまでの改造はしなくても、メッキ加工で印象は大きく変わります。

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