キャバレー?スナック?...バブル期を駆け抜けた高級車たちのインテリアはちょっと浮世離れ?

GX71系内装

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お金に余裕ができ、その象徴として80年代のクルマはどんどん高級化をエスカレートさせました。

しかしその中でもインテリアセンスに対する考え方は、まだ「何をもって贅沢か」という基準も曖昧。「センスの良さ」よりも派手でとにかく「わかりやすい」贅沢のカタチをただただ追い求めていました。

これが90年代に入ると「趣味の良さ」という価値観が浸透して一定の見識を持つようになります。そこまでの「ちょっとした」インテリアセンスとその変遷からは、当時の日本人の生きざまさえ垣間見せてくれます。
Chapter
贅沢に慣れていなかった日本人の模索
ルーズクッションのシートはまさしく当時の「豪華」を体現
迷いに迷ったR31スカイライン
そしてその数年後には大きな反動も
あの頃に見る日本人の国民性

贅沢に慣れていなかった日本人の模索

ハイソカーという言葉も直訳すると「上流階級の車」という意味合いになり、つまり高級車ということでいいと思うのですが、とにかく昭和の日本人は仕事一辺倒で経済成長に没頭し身を投じてきましたから、「豊かな生活」というものに慣れていなかった。それ故に「なにが贅沢なのか」という基準も、価値観も曖昧で、その模索をしていた時期だったように思うのです。

画像はクレスタですが、マークⅡシリーズというクルマは大衆乗用車「コロナ」の上級機種として、ちょっと贅沢な設えを施すことで人気を得ていくシリーズとなっていくわけです。しかし当時の日本人における、「現実的な贅沢のカタチ」とは、実際のハイソサエティな生活ではなくて、クラブやキャバレー、スナックでの「豪遊」のようなところにありましたから、しごく当然のようにこれらのクルマには「キャバレー趣味」のインテリアが採用されていくことになります。

評論家筋にはいたって不評で、やれクルマのシートとしての機能が低いとか、サイドサポートが悪いなどと酷評され、またセンスについても、あまりにも土着的で日本国内しか見ていないクルマ作りに対する批判も少なくありませんでした。

ルーズクッションのシートはまさしく当時の「豪華」を体現

フカフカのモケットをふんだんに使い、ルーズなクッションをあしらったGX71系(マークⅡ・クレスタ・チェイサー)の、これは発売当時の最上級グレード、グランデ・スーパールーセント・アバンテのツインカム24エンジン搭載車の内装。これにシャンデリアでも吊り下げたらそのまんま銀座のクラブ、というより地方のキャバレーの内装といったおもむき。

でも昭和日本人の「贅沢観」にはこれがぴったりとマッチして、顧客の側からはいたって好評を得ていくのです。

贅沢というのは、「いいなあ、贅沢だなあ」と思わせることが必要。いわゆる顧客満足ということになりますが、このインテリアがこの時代のこのクラスのクルマを購買する層にとって、まさしくストライクの設えだったというわけです。客注のほとんどがこの最上級グレードに集中していました。

GX71系ではこれの他に、部分本革を使用したものや、GTツインターボモデルのスポーツシートも存在するわけですが、それでもカラーリングはこのエンジといいましょうか、マルーンといいましょうか、ちょっとドぎつい感じの色合いがメインで、他にベージュやブルーもあったものの、それはやや少数派だったと記憶しています。

迷いに迷ったR31スカイライン

R31型スカイライン。このスカイラインというクルマ、日産の社内事情でどうしても同クラスのローレルと車台共有をせねばならず、「どのようにローレルと違うクルマづくりをするか」というところが、今考えると彼らの課題であり、テーマになっていたような気がします。

そしてこのR31の、その中でも前期型はもっともローレル寄りに振られたクルマとして記憶に残っています。

折からの「ハイソカー」ブーム。先代のR30はRSターボで鳴らした生粋のスポーツカーだったわけですが、R31型からは完全にハイソカー路線に転換。マークⅡシリーズに見られるようなルーズクッションの「ニュークラシックセレクション」、少し洗練された「モダンセレクション」、またスカイラインの本分ともいうべきスポーツシートを採用した「アドバンスセレクション」、この三種類のインテリアがほぼ自由に選べるようになっていて、顧客の動向に柔軟に対応できる体制を採りました。メーカーとしても手探りだったのでしょう。

しかし、その姿には、従前のスカイラインファン、のみならず、世の中全体からも「これはスカイラインじゃない」という超えが大勢を占め、スカイラインはこの後1年足らずでスポーツテイストを復活させた2ドアGTSシリーズを追加したり、ヨーロピアンコレクションといったスポーツシートにイタルボランテステアリング、ハルトゲホイールやストライプを与えた特別仕様を設定したりと、スポーツ回帰路線に転じます。

R31は明らかに迷っていました。開発責任者の伊藤修令さんはあくまでも櫻井眞一郎さんのリリーフとして就任。しかしこの自らの責任によるものではない「不評」を目の当たりにしてご自分のスポーツセダンに対する信念をより確かなものにしたといいます。

迷ったR31があったからこそ、のちのR32という名車が誕生した、それはまさしく怪我の功名のようなものだったのです。

そしてその数年後には大きな反動も

この画像は1988年、日産セフィーロ初代モデルで好評を博したザックリとした織物を用いた「ダンディー」と呼ばれる内装。

71マークⅡシリーズ、32ローレル、31スカイラインなどの、あのフカフカのワインレッドのケバケバしい内装から一転、セフィーロは従来の高級車が追い求めていた「高級観」にはっきりと見切りをつけ、「本当の豊かさとは"センスの良さ"とか"洗練"である」ということを、堂々と示してみせたわけです。

過剰に豪華、贅沢、また見栄を張ることを旨とはしない、でもおしゃれで都会的、キャバレーやクラブなどより表参道や六本木のブティックのような雰囲気を印象づけるセフィーロのインテリアは、これ以降の様々な高級車のインテリアづくりに一石を投じた格好になりました。

これ以降、日産、トヨタに限らず、高級車の内装は方向性を大きく変えていくことになります。ベージュ、ブルーグレー、グリーン、あるいは渋いタン(明るい茶色)などの欧州車を思わせるカラーに、本革をはじめ、エクセーヌ(アルカンターラ)、趣味の良いベロア、織物やニットを用いた趣味の良い素材、また美しい木目や漆塗りを思わせるパネルを用い、日本車独自の高級車像の追求が始まっていくのです。

あの頃に見る日本人の国民性

何よりすごいと思うのがあのドぎつい趣味から、先のセフィーロに見られるような洗練されたインテリアが受け入れられるようになるまでの期間、それはわずか3年~4年という期間でのことだということです(GX71マークⅡやR31スカイライン発売から起算※参考)。4年前からのこの変貌ぶり、またユーザーの嗜好の急激な変化とは一体何に要因があったのか。

やはりそこには急速な経済成長のみならず、精神性の成熟というものがあったはずです。昭和の日本人はとにかく貪欲で、さらに良いものを、さらに豊かなものをという向上心が非常に高かったことが、この短期間での嗜好の変化に現れているような気がするのです。

今ではちょっと考えられない...。それくらい昭和の日本人は「良いモノ」への感受性が鋭く、アンテナの感度も高く、また柔軟に受け入れる、人としての受容性の高さをも兼ね備えていたということも言えると思う。

それに比べると平成の、いま現代の日本人の成長や進歩の歩みは極めて「ゆっくり」です。そしてあの頃ほどに貪欲でもない。目的意識を失っているということもあるでしょうし、なにより金銭的に余裕がないという事情、というより流布される「風潮」が、すなわち精神の余裕や豊かさも奪っていると筆者は思います。

あの頃を懐かしむ、あの頃は良かったと思う人は少なくありませんが、しかし経済や政治の事情はひとまず横に置いておき、人としての向上心や貪欲な考え方を持つということは不可能ではないという気もしています。

昭和日本人と平成日本人の違いとは、まさにそこ、ではないかと...。インテリアの変遷ひとつ切り取っても、そんな側面が見えてくる、そこがクルマの面白さでもあると思うのです。
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