世界のホンダを創り上げた本田宗一郎氏。彼が引退するに至った理由とは?

しかし、時代は空冷より水冷…ホンダ1300の失敗がそれを証明する。

しかし、本田宗一郎氏が空冷エンジンへ情熱を注ぐも時代は水冷化へと進んでいきます。

冷却のコントロールが水冷と比べて非常に難しい空冷エンジンでは排ガス規制を突破できない…。「空冷に未来は無い」というのが若手の技術者たちの共通認識でしたが、本田社長は依然として空冷エンジンへの想いを貫きます。

しかし、社内で水冷空冷論争が勃発する中1969年に発売したホンダ1300が失敗し、状況は変わっていきます。

「あなたは社長なのか?技術者なのか?」副社長の藤澤氏が本田宗一郎氏を説得

空冷エンジンを搭載した1300の失敗により打撃を受けたホンダ。創業以来、本田社長の右腕であった副社長の藤澤氏が技術にこだわり続けた本田宗一郎氏に「あなたは社長なのか?技術者なのか?」と発問。

暫くの沈黙の後、本田社長は「自分は社長でいるべきだ。」と答え、空冷エンジンへの夢を諦めます。

その後エンジニア達に水冷エンジンの開発進めるよう指示を出し、73年には副社長の藤澤氏と共に引退を宣言。自身の判断の失敗を認め、取締役最高顧問に退きました。

…本田社長の引退には、このような背景がありました。実業家でもあり、技術者でもあった本田宗一郎氏。
73年に世代は変わりましたが、彼のクルマづくりへの想いは後世に受け継がれ、ホンダを世界のホンダへと発展させていきました。

これからホンダはどのうように進化し歴史を作っていくのでしょうか、楽しみですね。

関連キーワード

この記事をシェアする

関連する記事

最新記事

     
アヘッド Car & Motorcycle Magagine ahead archives