トミ・マキネンはなぜ皇帝と呼ばれたのか

WRCとは?

ラリー競技の世界最高峰が、WRC(World Rally Championship)です。ダカール・ラリーのような道なき道を走る競技とは違い、決められた区間(多くは公道)の走行タイム、つまり速さを競う形式の”スプリントラリー”です。毎年1~11月にかけ、約13カ国で開催されます。

タイム計測区間のスペシャルステージ(SS)は、ターマック(舗装路)やグラベル(砂利道)、雪道など、季節や地域によって、さまざまな路面コンディションとなり、ドライバーのテクニックはもとより、そのコースへ車両を適合させるセッティング能力、車両の耐久性なども問われるハードな競技として有名です。

過去には、三菱、スバル、トヨタ、日産、マツダ、スズキ、ダイハツ、 いすゞなど、多くの日本車メーカーが、チャンピオンを目標にWRCへ参戦してきました。

トミ・マキネンとは?

トミ・マキネン

1964年6月生まれ、フィンランド出身。もともとメカニックだったマキネンは、1985年より本格的にラリーを開始し、1987年にWRCデビューをはたします。

1988年の1000湖ラリー(現ラリーフィンランド)では、ランチア デルタHF 4WDをドライブしてグループNクラス初優勝。その後、1991年にマツダ、1992年には日産のワークスチームに加入しましたが、数年後にライバルとなるコリン・マクレーやカルロス・サインツらとは異なり、チームにもマシンにも恵まれず、しばらくは不遇の時代を過ごすことになります。

マキネンに転機が訪れたのは1994年の1000湖ラリーでした。当時、フォードのエースドライバーだったフランソワ・デルクールが事故により出場できなくなり、代わりのドライバーとしてマキネンが起用されました。彼は見事にエスコートを乗りこなし、終始ライバルたちを圧倒、初優勝を成し遂げました。この活躍を見た三菱ラリーアートが、彼と契約を交わすことになったのです。

その後マキネンは、2001年までの8年間にわたって三菱ラリーアートに在籍、その間に4度のWRCタイトルを獲得し、マキネンの名は一躍有名になりました。

当時のWRCは、三菱、スバル、トヨタが同時にワークス参戦をしていた日本車黄金時代で、スバルのコリン・マクレー、トヨタのカルロス・サインツといったライバルとともに、WRCを大いに盛り上げ、ファンからの絶大な信頼を得ました。

またマキネンは、アクセル全開率が非常に高いドライバーとしても有名で、素晴らしいタイムをたたき出すことが多い一方、リタイアとなることも多いドライバーでした。しかし、レース経験が増えていったことで、ドライビングスタイルが進化し、「一発の速さ」から「リタイアしない強さ」を得て、タイトル4連覇も達成したと言われています。

また、4年連続チャンピオン獲得を記念して三菱自動車が販売したランエボの特別仕様車 『ランサーエボリューションⅥ トミ・マキネン エディション』は、当時大きな反響を呼びました。

ランサーエボリューションⅥ トミ・マキネン エディション

マキネンの現在

トミ・マキネン

2015年1月、トヨタがWRC復帰を発表。半年後には、マキネンがTOYOTA GAZOO Racing WRT代表に就任することが発表されました。

WRC3連覇を果たしたTTE(ドイツのTMG:トヨタモータースポーツGmbH)ではなく、マキネンに任せることに、内外から反対意見が出たものの、マキネンの人柄を知る豊田社長が熱意で押し切るかたちで決まりました。

トヨタは、フィンランドにあるTMR(トミ・マキネン・レーシング)施設を車体開発拠点とし、2017年ヤリスWRCでWRCに復帰しました。

マキネンの勝利に対するストイックな姿勢と、強力なチーム作りにかける彼や周囲のサポート、そして、フォルクスワーゲンチームの電撃撤退によるヤリ=マティ・ラトバラ獲得という幸運にも恵まれて、参戦2戦目でトヨタに優勝をもたらすことになったのです。

トミ・マキネン

トミ・マキネンは、メカニックから始まり、ドライバーとしてしっかりチャンスをつかんでレースで結果を出し、さらに認められることで今の立ち位置までたどり着きました。

決して恵まれた境遇ではなかった時代から彼の進化を見てきた我々ファンにとっては、チーム監督となった現在の活躍も目が離せない存在です。

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