お蔵入りとなった"幻の和製スーパーカー"、日産のMID4ってどんなクルマ?

MID4開発の経緯

1970年代の中頃、日産自動車は国内の自動車販売シェアにおいて、首位のトヨタに追いつかんばかりの勢いがありました。しかし、80年代にかけて販売戦略が失敗、トヨタの後塵を拝するようになってしまいました。

日産はその状況を打開すべく、まったく新しいコンセプトカーの開発に着手します。そしてそのコンセプトカーは、元々サファリラリーで実績のあった日産が、WRCに導入される予定だった新カテゴリー「グループS」への参戦を意識したものでもありました。

MID4の発表

日産 MID4 1985

MID4は、”スカイラインの父”とも呼ばれた故・櫻井眞一郎氏によって開発が進められました。MID4の名前は、ミドシップレイアウトと、フルタイム4WDの駆動方式から名付けられました。

ミドに横置きで搭載されたエンジンは、V6 SOHCのVG30型(Y30型セドリック・グロリア、マキシマに搭載)をDOHC化した最高出力230psのVG30DE。それにオーストリアのシュタイヤー プフ社が供給する4WDシステム、4WS(HICAS)を備えたスーパーカーになりました。

また、リトラクタブルヘッドライト、2シーターミドシップの特徴であるサイドエアインテークなど、スタイルもスーパーカーの王道をいくものでした。

MID4は、1985年9月に開催されたフランクフルトモーターショーで発表され、同年の第26回東京モーターショーにも出展されると、その高い完成度が話題となりました。

MID4-Ⅱへと発展

MID4-Ⅱ

MID4の評判がモーターショーで上々だったことから、日産は市販化を前提にMID4の改良に着手。2年後の1987年に東京モーターショーにて「MID4-Ⅱ」を発表しました。

初代に比べると、丸みを帯びたデザインとなり、ボディサイズは、全長、全幅ともに拡大。縦置きとされたエンジンは、MID4に搭載されたVG30DEにインタークーラー付きツインターボを装着したVG30DETT。最高出力330psを発生するエンジンに合わせ、トランスミッションもフェアレディZ(Z31型)用をベースとした縦置きへと変更されました。

サスペンションは、MID4が前後マクファーソンストラット式であったのに対し、MID4-Ⅱではフロントがダブルウィッシュボーン式、リアがマルチリンク式に変更され、高性能車としての走りにさらに磨きがかけられました。

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