三菱 パジェロが残した伝説。パリダカへの挑戦と優勝

パリダカとは?

三菱 パジェロ  パリダカールラリー (1998)

”パリダカ”の愛称で有名な『パリ・ダカールラリー』とは、1978年に第1回が開催された「世界一過酷なモータースポーツ競技」と言われていたラリーです。

フランスのパリをスタートし、セネガルのダカールまで、その走行距離は約1万km。当初は順位よりもゴールすることを基本とした冒険的要素が強く、走行コースも年ごとに変更されました。

その一方、1990年代からアフリカ北部の治安悪化によるさまざま問題が頻発。2008年には競技がすべてキャンセルされるという事態になり、翌年からはリスク回避のため、走行コースが南米のアルゼンチン~チリへと変更されました。これが現在の「ダカールラリー」です。

パジェロの開発とパリダカ参戦の経緯とは?

三菱 パジェロ  メタルトップ (1982)

三菱自動車は、1953年から米国ウィルス社と提携して、ジープを生産していました。じつはこの経験が、圧倒的な悪路走破性において、長期にわたって他社を圧倒する礎となるのですが、当時、三菱はウィルス社との契約の関係で、ジープを東南アジア以外には輸出できませんでした。

そのため三菱は、オフロード4WDを独自で開発することが急務となりました。そして1982年、初代パジェロが完成します。三菱は、パジェロのオフロード性能を最大限にアピールする舞台として、欧州を中心に注目されていたパリダカールラリーに目を付け、翌年から参戦を開始しました。

パジェロの栄光と2人の日本人ドライバー

1983年、パジェロは初参戦ながら「市販車無改造T1クラス」でクラス優勝(総合順位11位)をはたし、その名を欧州で一躍有名にしました。

翌年には、「市販車改造T2クラス」にステップアップ。車名をパジェロ エボリューションとして総合優勝を狙いますが、「プロトT3クラス」で参戦したポルシェ911と、レンジローバーの後塵を拝する結果となりました。ちなみに、このときのポルシェの参戦が、パリダカを耐久性勝負から、スピード勝負へと変革させるきっかけになりました。

1985年は「プロトT3クラス」にステップアップし、ついに総合優勝をはたします。「市販車無改造クラス」や「マラソンクラス」でも優勝し、パジェロが完全優勝した、記念すべき年となりました。

パジェロの開発に携わったテストドライバーの篠塚建次郎がパリダカに参戦するのは、1986年からで、この年篠塚は「市販車無改造クラス」に参戦し、クラス6位を獲得します。

翌年、篠塚は「市販車無改造クラス」に参戦。総合3位に入ります。この活躍をNHKが取り上げたことで、日本国内でも、パジェロとパリダカブームに火が付きました。

その後、三菱はプジョー、シトロエンというフランス勢としのぎを削ることになり、パジェロは、1992年、1993年と連覇に成功するものの、1988-1990年にプジョー、1991年と1994-1996年にはシトロエンが表彰台の頂点に立ちます。

そして1997年、日本人ドライバーとして初めて、篠塚がパリダカで総合優勝を勝ち取り、大きな話題となりました。増岡浩が2002年と2003年に総合優勝。この増岡の活躍もあり、パジェロは2001年以降、なんと7連覇という偉業を成し遂げるのです。

しかし、2009年になると会社の経営難を受けてワークスチームを撤退。パジェロのパリダカでの栄光は、ここで幕を閉じることになりました。

三菱 パジェロ  パリダカールラリー (2009)

パジェロのパリダカでの総合優勝がもたらしてくれたものは、三菱の名誉だけでなく、日本車が世界に誇れる技術を持つクルマだということを世界に知らしめることができた、という面も大きいでしょう。

現在は、ルノー日産アライアンスの傘下になった三菱自動車ですが、近々パジェロがフルモデルチェンジすると噂されています。期待して待ちましょう。

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文・わんわんエンジニア
某自動車メーカーで30年以上、エンジンの研究開発に携わってきた経験を持ち、古いエンジンはもちろん最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。EVや燃料電池が普及する一方で、ガソリンエンジンの熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きなクルマで、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ること。

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