PIAA ─モータースポーツの灯をともし続ける

アヘッド PIAA

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フィニッシュまで速く安全に走り抜くためには、パワフルなエンジンよりも、ドライビングテクニックよりも、もっと必要なものがある。それが「視界」なのだと言ったドライバーがいた。ライティング、ワイパーブレードのトップブランドとして知られるPIAAは、そんな、ドライバーの気持ちに最も近いところで、共に走ってきたメーカーである。

text:まるも亜希子 [aheadアーカイブス vol.117 2012年8月号]
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PIAA ─モータースポーツの灯をともし続ける

PIAA ─モータースポーツの灯をともし続ける

PIAAのモータースポーツ活動は、実は、ラリーからスタートした。'80年にPIAAブランドが生まれ、'82年にヨコハマタイヤとラリーチームを結成。三菱ランサーターボで全日本ラリーに参戦した。

当時はライティングと言えばヨーロッパ製が主流で、国内では高性能ランプは無いに等しかった。だから参戦目的は、「いいものを作りたい」というシンプルなものだった。ラリーを技術開発の場として位置づけていたのだ。

「あの頃のラリーにはまだナイトセッションが多かったですから、ライトの性能はとても重要でした。弊社からは現地にエンジニアを派遣して、チームと一緒に動いて技術サポートをしていました。まだ発売前の製品をマシンに付けて、壊れるまでテストするんです。一般向け製品としては、JIS規格や数千時間持てば大丈夫だというデータはあるんですが、どこで壊れるかを知ることが大事↘だと。そして壊れたところを克服して、いい製品にしていこうと。またラリーでは明るさはもちろん、ワイドレンジで隅々の障害物を照らす配光が求められるのです。それ以外にも難しい要望がたくさん出てきました」。

同年から伝統あるRACラリーなど世界進出を果たす中で、例えばサファリラリーでジャングルの中を走る時、葉を照らして反射してしまうのではなく、葉を透かすくらいのライトが欲しいと言われたり、2km先のゾウの目が光るようなランプが欲しいと言われたり、エンジニアはその無理難題とも言える課題に悩みながら、開発を重ねていったという。
過酷なスポーツの代表であるラリーに帯同し、十分な設備も住環境も整わない中、常にタイムリミットを抱えながらの技術サポートは、エンジニアたちにとっても過酷な闘いだったにちがいない。その真摯な開発努力は着実に製品にフィードバックされ、PIAAのライトは国内外で実力を認められていく。

一方、サーキットでのPIAAのレース活動は、'84年にスタートした。全日本耐久選手権に参戦したアドバン・ポルシェ956へライトを供給し、'86年にはPIAAのイメージリーダーともなる中嶋 悟へのサポートを開始。'87年に中嶋がF1へ舞台を↖移すと、その翌年より本格的にF1への挑戦を始める。

以降、中嶋が引退してチーム監督に就任した後もパートナーシップは続き、'09年に一旦サポートを休止したが、その絆は現在も途絶えることはない。
「実は中嶋さんのF1参戦1年目には、我々はサポートできませんでした。その時『中嶋 悟を応援して欲しい』というたくさんの声をいただき、ユーザーやファンの方が本当に喜んでくれるのは、中嶋さんを応援させていただくことで、ファンの方と我々PIAAも一緒に夢を追いかけることだと分かったのです」。

いいものを作るために、技術開発の場としてやってきたモータースポーツだったが、いつしかエンジニアたちはチームの一員となり、マシンにはPIAAのライトが欠かせない戦力となり、ひいてはファンにとって、白地に黒のPIAAの文字が、チームやドライバーのイメージそのものとして刻まれていたことになる。

お金を出して、広告宣伝のためにロゴマークをカラーリングする企業が一般的だが、PIAAの姿勢は観る者にも、それだけではない何かを感じさせたのだろうか。
「確かに、協賛金のみのスポンサードの仕方もあるでしょう。それはそれで、モータースポーツが成り立つために必要ですから重要な事だと思います。チームに製品を送って、装着していただけるだけでも十分なのですが、やはり直接現場に行って、どうですかと話を聞いて、何か問題があればすぐに対応するというのが大事なのかなと思います。そしてチームの方、ファンの方、この世界に入ってから関係したすべての方への感謝の気持ちを持ち続けたいと思っています」。

この言葉こそが、PIAAのモータースポーツへの想いそのものかもしれない。技術だけでなく、人、そして心も一緒にサポートしている。だから近頃では、メーカーやジャンルを問わず、「こういうのできませんか?」という相談が持ち込まれることが多いという。

昨年、ニュルブルクリンク24時間レースに参戦したレクサスLFAへのサポートも、関係者の紹介もあり飯田 章選手じきじきのオファーから始まった。時間がない中での開発だったが、昼間はほぼ同タイムのライバル車を夜間では引き離すなど、PIAAライトの効果が少なからずあったと思われる。
昨年のLFAがきっかけでさまざまなチームへのサポートにもつながり、それぞれが結果を残した。そして今後も、できる限りいろいろなジャンルのモータースポーツをサポートしていきたいと言う。

「今後はEVなどクルマも変わっていくでしょうから、新たな技術にチャレンジしていきたいですね」。

'09年には、フォーミュラ・ニッポン用にLEDオーバーテイクランプを開発し、新しい見どころを創るための一翼を担ったPIAA。闘うだけでなく、心に永遠に残るシーンを届けるためにも、PIAAの挑戦はこれからも続く。

▶︎『2012 SUZUKI GSX-R1000』
PIAAの活動は、二輪レースにも及んだ。ライトの大きさや重さに制限があり、振動も激しいバイクレースは、クルマと違う技術が求められる。世界耐久選手権では2010、2011年の覇者S.E.R.T.(スズキフランス)を今年もサポートしている。



▶︎『2012 HONDA HSV-010GT』
今年、スーパーGT500を戦う「ナカジマレーシング」のHONDA HSV-010GTにPIAAのサポートが入った。
▶︎『WRCフォードフィエスタ』
世界ラリー選手権(WRC)では、2012年も「フォードWRT」(フォードワークス)、「ミニWRC」(ミニワークス)の視界(ライト、ワイパー)をサポートする。
▶︎『ニュルブルクリンクLEXUS LFA』
2012年のニュルブルクリンク24時間耐久レースにおいて、LEXUS LFA は、SP8クラス優勝、総合15位を成し遂げた。夜間走行で他車を圧倒する速さを見せた背後には、PIAAのライティングシステム技術があった。
▶︎『中嶋 悟とPIAA』
日本人初のフルタイムF1ドライバーとなった中嶋 悟をPIAAはサポートし続けた。F1参戦の初年度こそサポートに参加しなかったが、翌年から引退するまで中嶋のレーシングスーツには、PIAAのロゴマークが入っていた。現役引退後、‘97年に高木虎之介を率いてF1に復帰した際もPIAAは、中嶋 悟をサポートしている。

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text:まるも亜希子/Akiko Marumo
エンスー系自動車雑誌『Tipo』の編集者を経て、カーライフジャーナリストとして独立。ファミリーや女性に対するクルマの魅力解説には定評があり、雑誌やWeb、トークショーなど幅広い分野で活躍中。国際ラリーや国内耐久レースなどモータースポーツにも参戦している。
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