Rolling 40's vol.50 原風景への執着

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バイクに乗るために大げさな革ジャケットを引っ張り出すと、いよいよもう夏がひとかけらも残っていないことに納得する。夏だからと言ってすべてが思い通りになる訳ではなく、その時はその時で「暑過ぎ」だのと文句ばかり言っているのだが、完全に過ぎ去ってしまうと、夏だけが味あわせてくれるあの気持ちを思い出さずにはいられない。

text:大鶴義丹  [aheadアーカイブス vol.120 2012年11月号]
Chapter
vol.50 原風景への執着

vol.50 原風景への執着

これから冬がやってきて、また次の年の春の訪れを感じ、ゴールデンウィークくらいになると、再び夏の訪れを予感し始めるのだろう。そしてまた猛暑に天を仰ぐ。
 
当たり前のことだが、そんな繰り返しを待ち望みながら、同時に少し飽きもして、大人の人生は見えない先へ転がり続ける。
 
冬の気配を感じると、以前に乗っていたオープンカーのことを思い出す。ちょっと色々あって売り飛ばしてしまったが、あいつが活躍するのは夏よりも冬の方が多かった。真冬にヒーター全開で「頭寒足熱」で高速道路を失踪、もしくは疾走するのは最高の贅沢だった。
 
アメ車のオープンカーっていうのも陸のクルーザーみたいで楽しいのは知っているが、今はすごく小さなオープンカーが欲しい。さらに少し古ければ最高だろう。候補としてはやっぱりヨーロッパ系か。エンジンも電子制御ではなく、キャブレター。骨董品の柱時計に乗っているような感覚か。
 
さすがに真冬のバイクは天気の良い昼時だけになってしまうが、真夏のバイクも決して良いものではない。場合によっては苦痛でさえある。
 
なのに、過ぎ去ってしまった夏の感触に女々しいまでに強く惹かれるのはどうしてだろう。
 
バイクやクルマに乗り出した頃の「原風景」のせいかもしれない。4月生まれの私はバイクも四輪も、免許証が手元に来たのはどちらも7月前後だった。当然、免許が手に入るや放たれた野生動物のように、初日は、ガソリンと給油できるお金が無くなるまで走り続けた。
 
初日のことはどちらも覚えている。バイクのときは深夜の都内を仲間と意味もなくフラフラと、四輪の時は仲間をフル乗車して、カセットテープの音量全開で横浜あたりを一晩うろついた。朝日が見えると、やっと気持ちのゴールラインに辿り着く。
 
漫画のように競争をする訳でもなく、ただ生温かい夜風の中を仲間とブラブラしてお喋りするだけ。そんな時間を共に過ごしたバイクや四輪の存在は、今の自分にとっての「乗り物」とは違うものだったのか、それとも今でも何一つ変わっていないのか。
 
そんな「原風景」がいまだに自分の中に流れているのは、私たちの世代特有のものかもしれない。反対に、乗り物と若者、そんな風景を最後に見ることができた世代なのだろう。

そんな季節をいまだに追い求め続けているのか、単なる浪費癖なのか、遅ればせながら「ビックスクーター」っていうものを手に入れてみた。そう街のあちこちを若者たちが二人乗りで右往左往しているアレである。乗ったり借りていたことは何度もあるが、自分で所有したのは初めてだ。

「一度乗ったらやめられない…」
 
バイク好きであるか否かに関係なく、都内でアレをもったことがある輩は、みんなそう断言する。23区そのものが1/5になったくらいに、都内のすべての移動アクセスが楽になると。バイク好きの輩にも、ツーリング以外はデカいバイクに乗らなくなってしまったと言わしめるくらいだ。
 
だが正直、私にとってアレは決して全てが好ましい存在ではなかった。くだらん雰囲気の連中が無駄にウルサイ単気筒音をまき散らしている印象がほとんどだ。さらに古典的バイク乗りである私にとってアレは、邪道という言葉がどうしても付いてまわる。
 
だがそんな幾つものマイナス要素を潜り抜けてまで、自ら大枚叩いて手に入れた理由がある。それは経験者たちが言うところの「究極便利」ってものを一度ちゃんと味わってみたかったからだ。
 
もしそれが自分の「乗り物好き好き人生」にとって新しいページとなるのなら、凝り固まった先入観や、古めかしい経典は破り捨てても良いはずである。
 
手に入れたのスズキのジェンマ250。ビックスクーターの中でもスズキらしく少し変わった未来的デザインで、二人乗りを強く意識しているモデルだ。
 
実際に乗り回している現在の感想から言うと、経験者たちが言うところの「究極便利」ってのはある部分は本当だった。都内の移動に関しては本当に便利で疲れない。大型バイクにありがちな、モンスターマシンを操るというような気負いは一切なく、原付がそのままデカくなったと言う以外に表現のしようがないくらいの気軽さで、雨の日以外の移動の大半はそいつが出動することとなってしまった。
 
だが、一つだけ大きな落とし穴があった。結局ビックスクーターであろうと、私にとっては愛すべき一台となってしまい、大きなバイク同様に大事にしてしまうのだ。当然、駐輪場などにカジュアルに停めることも躊躇してしまう。
 
スニーカー感覚などと評した輩もいたが、私にとって、全ての二輪は「翼の生えた黄金の馬」である。

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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
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