Rolling 40's vol.51 見栄と戯れのバランス

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定期的にやってくる、「小さなスポーツカーが欲しい症候群」の季節になった。大抵は冬と共に発症することが多いので、寒さからバイクに乗る機会が減ることが関係しているのかもしれない。

text:大鶴義丹  [aheadアーカイブス vol.121 2012年12月号]
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vol.51 見栄と戯れのバランス

vol.51 見栄と戯れのバランス

小さなスポーツカーというと、以前BМWのZ4を所持していたことがある。いま思い出してもあの乗り味というか、2シーター空間が作り出す小さなコックピット感覚は良い思い出だ。

遠乗りも沢山したが、一人で500キロくらい長旅をしても退屈することはなかった。また峠を少し過激に走っても、ミーハーなイメージを払拭するほどの旋回性能を持っていた。

スポーツカーと呼んでいいのかは議論があるところだが、ミニクーパーの遊び方というものを最近知人から深く講釈してもらう機会があった。

この趣味世界も「果てしない改造地獄」が待っているらしく、ハマりだすと大変なことになるという。

その理由は果てしない改造パーツが存在する環境や、古典的な構造故にDIYがやり易く、手の出しやすいコストに加え、改造した効果がハッキリ出るからだという。

その知人もジムカーナ的な足回りに加えエンジンもボアアップしている。足回りの交換もレンタルガレージでリフトを借りて、あとは自分で行ったという。一つ一つのパーツがシンプルで小さいので、大抵のことは自分一人でできるのだ。

バイクの改造も同じことが言える。誰かの助けがなくとも、工具さえあればエンジンの中身以外は大抵何とかなるものだ。言ってみれば1/1、原寸大プラモデルのようなものか。

私が今一番欲しい小さなスポーツカーは「ケーターハム・スーパー7」である。休日の朝などに、高速道路を走っている、ゴーカートみたいなやつである。

実はあの車種に対しての思い入れはここ最近のことである。その存在や高性能振りは数値的に知ってはいたが、どうにもあの無粋な出で立ちが好きになれなかった。

その当時の自分は、やはりポルシェに代表されるような車種が気になって仕方なかった。大した変化である。 年齢とは不思議なもので、好みもいつの間にか180度変わるものだ。

その理由とは。何故あのような車種が突然恋しくなったかというと、理由は分かっている。

「見栄」

男としての何かが一回りしてしまったのか、高級スポーツカーの存在感で周りを威嚇するような気持ちがなくなっている。そんな酔狂も時には大事でもあるのだが、馬鹿らしくなっているというのが正直なところだ。

そんな「悪戯行為」が必要とされ、それなりに時代が要求していた頃もあった。知り合いのガレージでテスタロッサを見せてもらったときの感動も未だ忘れられない。湾岸線で運転させてもらったが、トルクは太いが意外と速くなかったのが印象的だった。

そのころに自分が乗っていた中古コルベットの方が迫力があった。しかしサービスエリアの隅で明かりに照らされた佇まいは、見ているだけで得も言われぬ感動があったのは確かだ。乗りモノの姿形や存在感だけで、あれだけ人の心を震わせたものはその後もない。

その一年後、分かり易い「序破急」として、知り合いは会社の不振と同時にテスタロッサをすぐに売り払った。

大きな商売の経験などない私が講釈垂れる権利はないかもしれないが、会社の不振くらいでさっさと処分してしまうような玩具なら、最初から買わなきゃ良いのにと自分への戒めも込めて強く思った。人を深く感動させたあの存在感が、結局は成金の玩具だったというオチでは悲し過ぎる。

規模の小さい話だが、私の娘も今高校受験である。来年には高額の私立入学費用が必要かもしれない。

だがバイクを売るつもりはないし、その前にそれくらいの変化でバイクを売らなきゃならない親を持っているのなら、私の娘は私立ではなく公立に行くべきだ。

大人の戯れとして、乗りモノという存在に「見栄」が絡むのは絶対に避けられないことだ。それを否定はしないが、身の程をわきまえないと、反対に人生最大の負のアイコンとなる。

乗りモノ遊びと大人の在り方をポップに考察するのが本コラムである。だが昨今は、私自身の周りの変化を見ていてもそこに絡む経済問題を無視できない社会状況である。

バイクを売った、自分のクルマを売って女房のだけにした。そんな話が一月に一度は耳に刺さってくる。

私に経済の本質を語る能力はないが、いつも一言、言いたくなるのは、遊びなんだから最初から小遣い範囲でやれよということだ。

無理して買うという勢いが必要なときもある。だが、総じて経済変化に弱い「戯れ」ほど、その幕を下ろしたあとに男として恥ずかしい結末を迎える。

正直、それだけは避けたい。地球一番の最高マシンを無理して手に入れるというストーリーも捨てきれないが、バブル紳士を間近で何人も見てきた世代からすると、身の程を知るということの方が大事な気がする。

また、これはそんな男たちに振り回された女性たちにも言えることだ。 私自身もちゃんとお小遣いの範囲で、このまま「全開」を続けなくてはならない。

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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
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