F1ジャーナリスト世良耕太の知られざるF1 Vol.34 もうひとりの日本人

Vol.34 もうひとりの日本人

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この問いかけに答えるのがレースエンジニアだ。

「いまデータを見ているが、タイムは落ちていない。大丈夫。そのまま行ける」。

レースエンジニアの言葉に自信を取り戻したドライバーは次の周、バイブレーションが発生する前よりも速いラップタイムで周回した。ドライバーが“気持ち”で走る生き物であることを示すエピソードだ。

極端な話、ドライバーは目の前の状況しか把握できない。スタート直後は追い掛けるべき相手の姿を捉えることができるが、ピットストップのタイミングなどでポジションが入り乱れると、そのとき目の前にいる相手が競争すべき相手なのか、それとも、背後を走るクルマに注意を払えばいいのか、判断がつかなくなる。

そんなとき、ピットウォールに陣取って各種情報を読み取り、ドライバーに的確な指示を与えるのがレースエンジニアの役割だ。レースの結果はドライバーとレースエンジニアの共同作業の成果と言える。だから、ドライバーの成功の半分はレースエンジニアのおかげ、失敗の半分もレースエンジニアの責任だ。

2011年からロータスでレースエンジニアを務めるのが、小松さんだ。ロータスの前身であるルノー入りしたのは2006年のこと。以来、タイヤ解析データエンジニア、テスト担当パフォーマンスエンジニア、レース担当パフォーマンスエンジニアとキャリアを重ね、花形ポジションの座をつかんだ。

小松さんは高校を卒業すると、F1で働くことを夢見てイギリスに渡った。1994年のことだ。翌年大学に入学し、車両運動力学を専攻。研究テーマは「クルマとドライバーのダイナミクスの最適化」だったというから、完全に現在の仕事とオーバーラップする。レースエンジニアにとって重要な仕事は、レースが始まる前にもある。

マシンをドライバー好みに仕上げることだ。アナログなドライバーの言葉を読み取ってデジタル、すなわち数値に置き換え、サスペンションや空力特性などを調整する。そうしてドライバーの能力を最大限引き出せる状態にセットアップしていくわけだ。

大学の実習制度でレースの現場に出るようになった小松さんは当時、イギリスF3に参戦していた佐藤琢磨選手と知り合い、データ解析を手伝ったりした。研究のかたわら複数のF1チームとコンタクトを取り続け、2003年にB・A・Rホンダの一員となる。

それがF1エンジニア人生の始まり。現場にいる小松さんが生き生きして見えるのは、夢を実現した自信に満ちあふれているからだろう。

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▶︎2011年はロシア人ドライバーのV・ペトロフを担当。2012年はフランス人のR・グロージャンとコンビを組んだ。単身イギリスに渡り、夢だったF1で仕事を得、レースエンジニアになれたわけだが、それで人生の目標を達成したとは考えていない。

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text:世良耕太/Kota Sera
F1ジャーナリスト/ライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『F1機械工学大全』『モータースポーツのテクノロジー2016-2017』(ともに三栄書房)、『図解自動車エンジンの技術』(ナツメ社)など。http://serakota.blog.so-net.ne.jp/

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