忘れられないこの1台 vol.56 ランチア・デルタ 1300LX

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ボクがそのクルマを手に入れたのは、イタリアで暮らすためだけではなく、離れるため、でもあったーー'96年のことである。8年間勤めた会社を辞め、離日の6日前に女房と籍を入れてイタリアに移り住んだ。

text:大矢アキオ  [aheadアーカイブス vol.134 2014年1月号]
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vol.56 ランチア・デルタ1300LX

vol.56 ランチア・デルタ1300LX

▶︎現在はフィアットグループ傘下にあるランチアが1979年に発売したハッチバック。WRCで活躍したレース車両の市販モデルとなった「HF 4WD」とその後継である「HFインテグラーレ」が日本では特に有名である。1993年9月にフランクフルト・モーターショーで2代目が発表されるまで、初代デルタは実に14年ものロングセラーを誇った。


しばらくして料理教室の広報&通訳の仕事を始めたものの、とても生活を維持できる収入は見込めなかった。そんな渡伊3年めのある日、近所のタイヤ屋さんに'87年初代ランチア・デルタが「VENDESI(売りたし)」の貼紙とともに置かれているのを発見した。

初代デルタといえば日本ではインテグラーレが圧倒的に有名だったが、こちらは1300LX。ノルマーレ(ノーマル)である。タイヤ屋のおじさんが新車を買うかわりに売り出したのだった。値段は当時の円換算で約27万円だった。

それまで移動には便数が極端に少ない路線バスや列車を使うしかなったから、クルマがある生活は夢だった。しかし安定収入なき我が家にとって27万円は大金だった。

以来ボクはデルタを買おうか買うまいか、悶々と考えるようになった。

しかし、ある日女房が「買えばいいじゃない!」と切り出した。彼女いわく「もしこの先イタリアにいるのだったら使い続ける。もしうまく行かなくて、日本に引き上げることになったら、お世話になった人たちを訪ねるのにクルマを活用すればいいのヨ」というわけだ。

デルタは我が家のものとなった。しかし12年落ちだけに、毎日のようにさまざまなことが起こった。デザイナーであるジウジアーロのスケッチをそのまま実現したようなドアノブは次々と折れた。

幸い助手席の女房がキャッチしたものの、勢いよくシフト操作をしたらノブが吹き飛んだ。「腐ってもランチア」と、ファンイベントに参加したら、オーバーヒートを喫し、湖畔の水を女房とバケツリレーで汲んだ。

だがそんなビンボーまるだしのクルマで奮闘するボクたち夫婦を見て、周囲のイタリア人は温かい手を差し伸べてくれた。後席シートベルトがないと新制度の車検が通らないとわかると、どこからか安いマケドニア製汎用品を探してきてくれた。

マフラーが錆びて穴が開いたときはホールトマトの缶を切って塞いでくれた。そのようにしてデルタを通じて培った交流を記した著書『イタリア式クルマ生活術』は、幸い日本のクルマ&イタリアファンの目にとまり、出版社から原稿執筆の仕事が徐々に舞い込むようになった。

もし企業の駐在員として住んでいれば、至極まともなクルマを買って、こんな苦労はしなかっただろう。しかし、あのボロいランチア・デルタのおかげで今日のボクがいることは間違いない。

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text:大矢アキオ/Akio Lorenzo OYA
イタリアコラムニスト。国立音楽大学ヴァイオリン専攻卒業。自動車誌『SUPER CG』編集記者を経てシエナ在住。『イタリア発シアワセの秘密-笑って!愛して!トスカーナの平日』(二玄社)ほか著書多数。NHK 『ラジオ深夜便』でも現地リポーターとして活躍中。
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