2輪部門、 日本人初表彰台を目指せ!伊丹孝裕のPIKES PEAKへの挑戦 VOL.7(最終回)

アヘッド 伊丹孝裕のPIKES PEAKへの挑戦

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スタートの前、レーシングスーツの内ポケットに10ドル紙幣を忍ばせておいた。チェッカーを受けたら、山頂にあるカフェでホットチョコレートと名物のドーナツを買い、それを食べながら、観客同様、駆け上がってくるマシンを楽しもうと思っていたのだ。なのに……。

text:伊丹孝裕 photo:山下 剛、藤村のぞみ [aheadアーカイブス vol.131 2013年10月号]
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2輪部門、 日本人初表彰台を目指せ!伊丹孝裕のPIKES PEAKへの挑戦 VOL.7(最終回)

2輪部門、 日本人初表彰台を目指せ!伊丹孝裕のPIKES PEAKへの挑戦 VOL.7(最終回)

なのに、それはあまりに一瞬で、気がつけば車両もろともコースオフ。転落防止用のネットに絡め取られるようにして、僕のレースは終わった。クラッシュの原因は何だったのか。それは未だ分からずにいる。ただ、何が起こったかはすべて覚えている。

最初の区間タイム計測地点〝ハーフウェイ・ピクニック・グラウンド〟と呼ばれるストレートエンドでフルブレーキング。ギヤを5速から3速にシフトダウンし、データロガー上では172km/hから118km/hまで減速した。そして、左の中速コーナーに向かってターンインした直後のことだ。

確かにライン取りは甘く、クリッピングポイントを外した。その結果、フロントタイヤはいつもよりもアウト側をトレース。それをリカバーするためにスロットル開度とバンク角で帳尻を合わせたつもりが、タイヤのグリップを失い、目の前には赤茶色の崖が広がっていた。

車体の下敷きになった自分の足を引き抜き、体にダメージはないことは確認できたため、再スタートしようとしたものの、スピードトリプルRの燃料タンクは大きくひしゃげ、リヤホイールは曲がり、なによりもフレームが折れていたために、そのまま放置せざるを得なかったのだ。
DNF(Did Not Finish)、つまりリタイヤ。

オフィシャルにその意思を確認され、一枚の書類にサインを済ませた時点でそれが正式に決定した。

スタートから転倒まではわずか2分の出来事で、誰よりも早くクラッシュしたこともあって、143台中143位という公式リザルトの最下位に自分の名が刻まれている。

レースから数ヵ月が経って尚、時折「なぜ?」と思うことがあった。

オイルが出ていたわけでも、砂利があったわけでもない。にもかかわらず、その後、計4台の2輪と4輪が同じコーナーでクラッシュしてリタイヤする瞬間を見たため、なおさらそれが知りたかった。もっと言えば「自分のミスじゃない」と思いたかったし、そう思われたかったのだ。

もちろん物理的な原因はどこかにあるのだろう。ただし、最終的に自分を納得させたのは、オフィシャルから毎日のように聞かされた「山をリスペクトしなさい」という言葉だった。今は、パイクスピークの立ち姿を思い出すたびに、それが足りなかったんだろうな、と素直に思う。調子に乗っていたのだ。
自然との折り合いをつける。

あらためて思い返すと、パイクスピークとはそういう場所だった。星空の下でピットを設営し、日の出とともに走り出す。尾根の向こうへ沈もうとする月に向かって加速し、背中には朝陽の暖かさを感じながらバンクさせ、雪解け水が流れ出ていれば、それをそっとやり過ごし、コースを横切ろうとするプレーリードッグを見つければスロットルを少し緩める。

カラカラに乾燥した気温40℃の山の麓と、時に氷点下になる山頂を行き来する途中では、雨はもちろん、6月でも雪やに見舞われることも珍しくない。
そんな風に、自然がギュッと凝縮された空間の中、こちらの都合に合わせて、昨日と同じように事が運ぶわけはないのだ。

コンペティターが全開で駆け上がればわずか10分前後の行程ではあるが、気温や天候、景色がコロコロと変わり、それがまるで春夏秋冬のうつろいにも感じられるほど、パイクスピークは雄大で深く、濃い。

「山をリスペクトする」というのは、つまり自然に身を委ねることなのだと知った。

それを忠実に守り、優勝したのは、フランス人のブルーノ・ラングロアだ。昨年はルーキーイヤーながら3位入賞を果たし、今年はトップチェッカーと、これ以上ないほど着実にステップアップを果たした。山間を泳ぐようなライディングは、それを引き寄せるにふさわしいお手本のようなスムーズさで、後ろから見ても惚れ惚れするものだった。

一方、優勝候補の筆頭だったかつての全米モトクロスチャンピオン、ミッキー・ダイモンドはクラス4位(総合82位)に終わった。しかし、決勝中は2度も転倒を喫するというアクシデントに見舞われたにもかかわらず、すぐに立て直し、ゴールにたどり着いたことは称賛されるべきだろう。そう、彼らには山に愛される資格があり、だから頂に導かれたのだと思う。
そうやって見事山頂に立った彼らは、レースが終了すると登ってきたコースを、今度はできるだけゆっくりとゆっくりと下って行く。なぜなら、コースサイドで声援を送ってくれた観客のすべてとハイタッチを交わし、すべての事柄に感謝の意を示す大切な時間だからだ。その光景はひたすら感動的であると同時にとてつもなく羨ましく、自分がそこにいないことを悔やんだ。

かつてはただ憧れていただけのパイクスピークだが、今はもうその魅力に直接触れてしまった。だからこそ、このままでは終われない。

来年こそ頂へ。チームとそう誓い、すでにその準備を始めている。
●取材協力・トライアンフ横浜北
TEL:045(470)3988 www.bigfour.co.jp

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text:伊丹孝裕/Takahiro Itami
1971年生まれ、京都府出身。オートバイ専門誌『CLUBMAN』の編集長を務めた後、フリーランスの2輪ジャーナリストに。現在は『RIDERS CLUB』を始め、様々な2輪専門誌で執筆活動を行う。国際ライセンスを所有し、2010年にSUZUKI GSX-R600でマン島TTレースに参戦。昨年からはDUCATIで鈴鹿8耐にも参戦している。
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