特集 アンティーブの松本葉さんを訪ねて

「分かる分かるって肩を叩きあいたい」

アヘッド アンティーブの松本葉さんを訪ねて

Côte d’Azur コート・ダジュール

私の手帳の2月20日のページに、松本 葉さんから届いた1通のメールの文面をプリントアウトして貼り付けてある。

――あなたの原稿を読むといろんな思いにとらわれることがあって、昔の自分を見る気がしたり、姉のような、時には母のような気持ちになることがあります。

――同性を実感することもあって、分かる分かるって肩を叩きあいたい。――いろんなことに出会って、ねぇ、どう思う? ってあなたに聞いてもらいたいことがしばしばある。

そんなことが綴られていた。

葉さんの気持ちがうれしくもあり、海外に暮らす葉さんの心情が切なくもあり、他のメールに埋もれてしまわないようにと、大切に手帳に貼り付けたのだ。でも本当は、今すぐ飛んで行って葉さんに会いたい、なぜかそんなちょっとせっぱ詰まった気持ちに捉われていたのだった。
 
けれど、フランスは遠い、お金も掛かる。そんな時、「会いに行ってきたら」という編集長の言葉に後押しされ、アンティーブへと旅立った。

*

経由地のフランクフルトから飛び立った小さな飛行機は、ニース・コートダジュール空港が近づくと、海岸線をぐーっと旋回する。夕方の傾きはじめた太陽に、まだきらめきを残した海と、海岸線近くにまで迫る建物の群れに地中海まで来たことを実感する。

日本を発つ前、葉さんに「お土産は何がいいですか?」 とメールで尋ねると、「重くなければ文藝春秋を」という答。文藝春秋か…。3年半に渡るやりとりがあっても、私は松本 葉さんという人のことを何も知らないのだ。果たして、葉さんとちゃんと肩を叩きあえるのか。そもそも、葉さんと肩を叩きあう相手は私でいいのだろうか。ここまできてにわかに不安が頭をもたげる。

――松本 葉さんは1960年生まれ。大学卒業後、新しく創刊された自動車雑誌『NAVI』の女性編集記者となり、テレビ朝日系列「カーグラフィックTV」のキャスターも務める。その後、取材で訪れたイタリアの魅力に取りつかれ、'90年2月にトリノに移住する。

葉さんは、'80年代に、まだ女性の少なかったクルマ業界の第一線で活躍した大先輩なのである。恐れ多い。そう思いつつ、空港を出たら、葉さんが立っていた。グレーがかった細身のパンツに、黒いニットの上着をふんわりと羽織って、手には丸めた雑誌。きりっとした面立ちに笑みを浮かべて、「疲れた?」。それが初めて聞く葉さんの声だった。そしてホテルまで送ってもらうだけで、その日は別れた。

*
 
次の日、葉さんと私は、イタリアのサンレモまで、葉さんの愛車、フィアットの『パンダ』で1泊2日の小さなドライブ旅行に出る計画だった。朝はご主人がホテルまで迎えに来てくれて、アンティーブのご自宅で葉さんと合流する手はず。10時ぴったりに現れた葉さんのご主人は、「最高のお天気で本当にラッキーだね」。そう言って、アンティーブとは逆方向に走り出す。

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ニースの旧市街では毎朝、マルシェ(朝市)が開かれている。日によって、花の市だったり、骨董市だったり。花の市が立った日は、花以外にも野菜やチーズ、ハムなどの食糧品から、プロバンスのハーブや石鹸まで所狭しとさまざまなお店が並んでいた。ちなみに切り花は10本で3€(約330円)程度。ただぶらぶらと歩くだけでも、楽しくて時間を忘れてしまう。一本道を隔てると、そこは地中海の青い海…

途中、絶景ポイントでクルマを止めたりしながら、エズ(崖の上に立つ中世の要塞)まで連れて行ってくれた。葉さんと打ち合わせたわけではなかったらしく、遠くから訪ねてきた私への心遣いだった。ちょっとジャン・レノに似たすてきなご主人だ。クルマのデザイナーだというから、なおさらカッコいい。

アンティーブに着くと、ご主人は二人のお子さんと一緒にお出掛け。私と葉さんは、サンレモへ出発する前に、アンティーブの街を、黒い『パンダ』でぐるぐる一回り。

それにしてもさすが、葉さんは運転がうまい! ほぼ左手だけでハンドルをキュキュ。右手は、ギアチェンジするという感じもないくらいに、自然に、チョコチョコチョコとシフトノブを操作する。走り出すのも停まるのも、せわしないくらいきびきびしているのもヨーロッパらしい。

私はここで葉さんの著書の中の一節を思い出した。それはイタリアに渡って1年と少しが経ち、初めて自分のクルマ『チンクエチェント』を手に入れたあと、2カ月で3回もの駐車違反を取られたというくだりだ。「結局のところ――、私には、この国でクルマに乗る人間の“勘”みたいなものが身についていないのだ――」。 

信号を守らないタイミングや、右車線から左折する方法とか、無茶苦茶な中にも暗黙の約束事や了解があり、それらが体に棲みつくようになれば、クルマにスムーズに乗れるだけでなく、人との付き合い方とか、生活のリズムとか、そういうものが掴めそうな予感がする、と。
 
葉さんがそう書いてからおおよそ20年。葉さんはすっかりヨーロッパの生活の(簡単にヨーロッパと括っていいかどうかは置いておくが)すべてが体に馴染んだのだなあと思う。
 
クルマの運転にはそれが一番端的に表れているけれど、例えば食事もそう。どこで何を食べても、私はどうしても全部食べきれない。葉さんはきれいに食べてしまう。でも葉さんはすらっと細身で贅肉の影すら見えない。きっと食べ物と生活のリズムのバランスが取れているんだろう。
 
とはいえ、そんな彼女でさえ、タンクトップ1枚で素肌を太陽にさらしている女性たちを見ると、「あれじゃぁ風邪ひいちゃうわよね」。コート・ダジュールの気候は、3月でも、朝晩はコートが必要なくらい冷え込む。太陽が昇ると一気に気温があがるのだが、それでもタンクトップ1枚は、日本人には少し寒すぎる。


ヨーロッパの人たちは基礎体温が日本人より1度程高いと聞くが、長く住んで、言葉や文化にすっかり馴染んでも、基礎体温まではなかなか、ということなのだろうか。

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