ハスクバーナのアイデンティティー

アヘッド ハスクバーナ

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またか、という反応ももちろんあった。なにしろ、このスウェーデン生まれのモーターサイクルが「養家」を移すのはこれで3度目なのだ。同時に、それでもしぶとく生き続けるこのブランドのかさに感嘆の声もあがる。

text:春木久史 photo:長谷川徹 [aheadアーカイブス vol.145 2014年12月号]


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ハスクバーナのアイデンティティー

ハスクバーナのアイデンティティー

▶︎ブルー、イエロー、ホワイトはハスクバーナの生まれ故郷であるスウェーデンのナショナルカラーだ。


国王率いる王立軍に武器を納入する会社として1689年に創業したハスクバーナは、1903年に初めてモーターサイクルを生み出した。1919年には自社製エンジンを開発し、すぐにヨーロッパ全土で高い評価を受ける製品となった。

第二次世界大戦の終結後、ハスクバーナは、開発の主軸をそれまでの4ストロークから、軽量な2ストロークエンジンに移す。圧倒的な運動性能を発揮したハスクバーナは、当時、世界的に注目されていた6日間耐久レースでタイトルを総なめ。

'60年代に入ると、モトクロス世界選手権でも数多くのタイトルを獲得した。アメリカの伝説的なライダー、マルコム・スミスや、映画大脱走でスティーブ・マックイーンのスタントシーンを演じたことで知られるバド・イーキンスらの愛車ともなり、北米市場でもビッグセールスを記録した。

'70年代に入ると、日本製のモーターサイクルの人気も高まってきて、その人気はこのあたりがピークとなる。オイルショックがそれに重なり、ヨーロッパ、北米でのモータースポーツ人気は冷え込んでいくのだが、ハスクバーナのブランドネームは、それまでの20年間に強固なものになったといっていい。

1987年、経営不振だったハスクバーナのモーターサイクル部門をイタリアのカジバ社が買収。さらに、2007年にはBMWがこのブランドを引き受けた。大資本の梃入れによって、停滞していた開発も再開、耐久種目であるエンデューロの分野では、強敵、KTMを破って2年連続の世界タイトルを獲得するなど、大躍進と見られていたところに、KTM傘下へ、というニュースだったのだ。

KTMとハスクバーナは、ライバル企業であると同時に、長年、6日間耐久レース、モトクロス世界選手権に挑戦を続けてきた盟友でもある。かつての引き受け先であるカジバ、またBMWによる買収後も、そうしたレーシングの現場を知り、モータースポーツの精神を知るエンスージアストたちが、このブランドを大切に守ってきた。その意味では、KTMは、実はこれ以上はない継承者であるとも言えるのではないか。

「KTMと同じじゃないか、つまらないよ」と、事情通がそう思うのは無理もない。スウェーデンのナショナルカラーをまといながらも、新しいハスキーは、まだKTMのコンポーネントを活用した兄弟車に近い仕様だ。

トップブランド、KTMの性能、信頼性、また部品供給などアフターサービスの面でもクォリティは高いが、独自色はまだ薄い。だが、もっともそれを気にしているのは、エンジニア達に違いない。かつて世界を席巻したブランドの継承者が、この先何を見せてくれるのか、楽しみに待ちたい。
▶︎ミラノショー(EICMA2014)で発表されたハスクバーナのスーパーモト(モタード)モデル。KTM同様に、オフロードレーシングの分野での知名度、人気が高いブランドだが、1990年頃から始まったスーパーモトのムーブメントの立役者でもある。Photo : Husqvarna Motorcycles

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