なぜ私はSUZUKIなのか vol.1 このマシンに、命を預けられるか

vol.1 このマシンに、命を預けられるか

アヘッド スズキ

▶︎2年目の鈴鹿4耐('81年)で快調な走りを見せる峰子さん。前年は、他車が撒いたオイルが原因で転倒・リタイア、という悔しい思いをしていただけに、2年目にして完走を果たしたときの喜びはひとしおだった。


4気筒マシンが隆盛の時代にあって、GSX400Eは2気筒ながら優れた戦闘能力を持っていたという。

「アクセル全開からのストレートエンドやインフィールドでの止まる、曲がるというレースに必要な基本能力が高かったですね。私が乗ってもそこそこ走れるというのかな。それになんといっても軽いから、パワーのない女性でも闘える気がしたんです」

その言葉通り、チームは初挑戦の鈴4耐で、TT3クラス予選トップタイムを記録した。

ほどなくして、二人は同じくスズキのマシン・DR500で〝サハラ砂漠8000㎞縦断〟いう過酷なチャレンジへ旅立つことになる。「旅の途中で私があまりに転ぶから、みんな面白がって、転んだ日にちと転倒回数をサイドバックにメモしていました」と笑い話になるほど、よく転倒したそうだ。

「でも今思うと」、と峰子さんは続けた。「岩盤などのタフな条件であれだけ転倒したのに、パーツを交換した記憶がないんですよね。仮にどこか壊れても、曲がったり折れたりする部品は、だいたい決まっているので、作業するにしても乗り手に負担を掛けない構造になっていたと思います」

それにしても。サーキットと冒険は真逆の環境下に思えるが、どうして両者ともスズキのバイクでチャレンジしたのだろうか。

「今またレースに出ているんですが、マシンの部品を最後に締めてもらうのは、必ずなじみのショップの店長だと決めています。じゃないと怖くて闘えない。4耐もサハラも同じで、結局は〝このマシンに命を預けられるかどうか〟なんです」 

マシンとしての性能や完成度だけを言っているのではない。メーカーとしての姿勢、ひいてはそれを作っている技術者たちの〝人となり〟や〝こだわり〟を含め「この人たちがつくったものなら乗りたい」と思えるかどうかが軸にあり、それを満たしてくれたのが、スズキだったのだ。

子育てで途切れた約20年のブランクを埋めるように、ここ数年は様々なバイクでレースやツーリングを楽しんでいる。もちろんスズキもその中の1台だ。

実際に乗っていると、かつて浜松のスズキ本社に行った時に感じた〝作り手が納得しないものは世に出さない〟という精神が今もが受け継がれているのがバイクから伝わってくるという。

峰子さんにとって、スズキは〝この人たちがつくったものなら乗りたい〟と変わらずに思わせてくれる存在なのだ。

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▶︎サハラ砂漠縦断に挑んだ当時の峰子さんは、オフが苦手だったという。気温が60℃を超える中、脱水症状や政情不安に苦しみながらの冒険だった。

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text:腰山峰子/Mineko Koshiyama
高校生の頃にレースを始め、18歳の時、女性だけのバイクレース”パウダーパフ“で堀ひろ子と出会う。その後、女性初のペアチームで鈴鹿4時間耐久参戦、サハラ砂漠縦断などを共に成功させる。現在はバイクレースに参戦する傍ら、女性ペアチームの4耐監督を務めるなど、バイクやレースの楽しさを伝えることにも取り組んでいる。

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