忘れられないこの1台 vol.66 ロータス・エスプリ

アヘッド ロータス・エスプリ

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以前の私は四輪にそれほど興味がなく、二輪のロードレースにどっぷりだった。そして四輪と言えば、積載能力No1のハイエースが最高のクルマだと思っていた。

text:丸山 浩 [aheadアーカイブス vol.144 2014年11月号]
Chapter
vol.66 ロータス・エスプリ

vol.66 ロータス・エスプリ

▶︎1975年に初代エスプリが登場してから7代目にあたる1991モデル『LOTUSエスプリターボSE』 水冷式チャージクーラー搭載で265PSを発生。ボディはすべてFRP製。「氷の微笑」「プリティ・ウーマン」に登場したのも、この7代目エスプリだ。


初めて所有したのがキャラバンだ。実はそれ以前も、別の友達のキャラバンを借りてサーキットに通いつめていた。そして全日本参戦が決定した時、昇格のたびに、キャラバンからハイエースGL、ハイエースのスーパーロングへと、積載レベルをステップアップしていった。

さらに国際A級に昇格した際、自分へのご褒美としてフェアレディZ32を追加購入。その後レース資金に困った際に一度手放そうともしたが、何とかスポンサーを見つけ、結局は6万キロ以上乗り続けた。

転機が訪れたのは、HONDA・CB1000SFで挑んだオープンクラスのレースでのこと。2連勝・2連敗・3連勝と、7戦を通してライバルたちと優勝争いを繰り広げていくと、勝つために拘り抜いて製作した自社ブランドのマフラーが飛ぶように売れた。

当初は製作費がペイできれば、と販売を始めたのだが、蓋を開ければ数百本もの売り上げ。国際A級ライセンスを持って初めて「勝てば稼げるんだ」とプロレーサーを意識させてくれた経験だった。

そこでまたステップアップとして選んだのが、ロータス・エスプリ。理由は、当時の映画作品「氷の微笑」や「プリティ・ウーマン」の劇中に「仕事でがんばって稼いでいる人が乗るクルマ」として登場したのが、純粋に、単純にカッコよく映ったからだ。

いざ乗ってみると、スーパーカーの部類にしては、小さめの排気量。しかし軽量なボディとの組み合わせで実現されるハンドリングは、あたかも線路の上を走っているようにシャープで(先の劇中でも「オン・ザ・レール」という比喩表現があった)、二輪にも通じる運動性能を感じたものだった。

これを機に会社としても四輪の事業拡大に取り組み、S耐などにも参戦。同時にエスプリのチューニングにも力を注いでいた頃、二輪で付き合いのある編集部から、ロータスの特集本を作りたいとの話が来た。

その監修を引き受けることになり、制作過程ではイギリスのロータス本社を訪れ、テストコースでプロトタイプエキシージに試乗したり、イギリス中の数あるロータスの老舗チューニングショップをインタビューして回ったりと、とても貴重な経験をさせてもらった。

今では会社もロータスの販売店となり、エキシージでレースもしている。思い返せば、人生の節目ごとに思い入れのあるクルマたちに出会っているが、僕にとって最も大きな転機を与えてくれたのはエスプリだ。

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text:丸山 浩/Hiroshi Maruyama
1985年に二輪でデビュー。国際A級ライダーとして全日本ロード、鈴鹿8時間耐久レースなどに参戦。4輪においても、スーパー耐久シリーズに自らのチームを率いて出場するなど、二輪・四輪の両方で活躍してきた。約4年前にガンを患うも乗り越え、現在も精力的に活動している。
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