Rolling 40's Vol.80 プラモデル少年

Rolling

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つい先日、某自動車メーカーの開発部の方々とお話をする機会に恵まれた。私は子供のころから乗り物好きで、中学生の頃の夢は、自動車メーカーの開発エンジニアだった。

text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.150 2015年5月号]
Chapter
Vol.80 プラモデル少年

Vol.80 プラモデル少年

どの仕事でも苦労や悩みがあるのは当然だが、男子からすると自動車を作る作業というのは憧れである。自分が描いた乗り物が走り出す瞬間にはどんな感動があるのだろう。

だが実際に話を聞くと、巨大メーカーの現実というのは、プラモデル好きの少年の延長にあるのではないということがすぐに分かった。作りたいものを作れる職業ではないという現実。考えてみれば当たり前だ。

巨大メーカーが好き勝手に玩具のような乗り物を好き勝手に発売したら、販売やアフターメンテを含めて大変な混乱を招く。

作りたいものを作るというのが、ジャンルは違えどモノ創りに関わる私の基本姿勢である。自分を信じて、作りたいものを誰よりも一生懸命に作ればそれに共感してくれる方が必ず自然発生し、自ずと商売も成り立つということである。

だが彼らの話を聞いていると、それは所詮私たちの「個人商店」での話であり、巨大メーカーがモノを作るということは、そういう次元での発想ではないことを思い知らされる。

夢見る中学生ではないのである程度の現実は分かっているつもりだが、製品を生み出す工程におけるリアルなオトナ話を聞くほどに、自分のような「個人商店」とはレベルの違う世界に愕然とした。

簡単に言うと、私たちのように博打的に創作意欲任せに好きなモノを作るのではなく、世界規模の株式会社として絶対に利益を上げることを義務付けられているのである。好きなモノではなく、利益の上がるものを作ることが第一なのだ。

この現実はプラモデル少年にはショックであった。好きな乗り物のプラモデルを徹夜で作った、あの情熱はそれほど意味がないらしい。

製品を生み出すのに、そういった近代的なシステムは巨大メーカーとしては当然であり、そういう流れに対応できない前近代的メーカーは衰退するという事実があるのも分かる。

が、創作意欲に対して原理主義的に生きてきた私は混乱した。モノを作れる能力を持つ者にとって、好きなモノを作れないということは大きな痛みである。

原点に戻って、乗り物を何百万円という大金を払って買う行動の原動力とは何なのだろうかと考えた。

四輪に関しては、私自身は今現在、国産SUVのハイブリッド車を所有している。数ある中でそれを選んだ理由は3つある。

「色々な意味での身分相応」

「国産という信頼感」

「トレンド」

おそらくその中のどれが欠けたとしても購入には至らなかったであろう。人が財布の重いフタを開ける動機、まさにそれがマーケティングということなのだろう。

因みに予算的に同額の中古も検討した。そちらの方がはるかに見栄を張れるが、信頼性への疑念に加え、無理をした見栄が恥ずかしい気がした。しかしその外車SUVを新車で買い、高額な維持費を苦も無く必要経費で払える方がいるのも事実。

そうした人の行動原理を分析し、販売台数や開発費用、広告費用などと、果てしなく複雑な数式を重ねて重ねた果てに生み出されるメーカー製品。世界戦略モデルとなれば、生活スタイルから趣味趣向、全てが異なる人たちの最大公約数を割り出さなければならない。創作意欲だけでは通用しない。

だがそれでも私はプラモデル少年の夢の先にある職業に憧れを捨てることはできなかった。同時にかつては私と同じプラモデル少年であった彼らの中に、自分と同じ「商店」の気概を感じざるを得なかった。

また別の機会に、少年の夢の先にある玩具のような乗り物だけを作っている外車二輪メーカーの方と話す機会にも恵まれた。予算度外視に「大人のオモチャ」だけを作り続けて成功している稀有なメーカーだ。

そのメーカーの人と話していると、不思議なことに、もう少し予算があれば云々という心配話は多くても、自分たちの作りたいものを作れないという話は出てこなかった。乗り物という主語を抜いて話を聞いていると、私と同じよう仕事をしている方と話しているような感覚になる。

前記したメーカーとこの二輪メーカーを同じ土俵で比べることは意味がない。会社規模や株式レベルで考えたら、象と子猫くらいの差があるだろうし、終身雇用や退職金も違うだろう。だが、それでも互いに乗り物メーカーであることは事実だ。

私もこの4月で47歳になった。夢だけではまともに食べていけないし、反対に現実だけでも評価されないという狭間に立っている。

そんな年齢だからこそ分かる。何かを作り続けていくのは、結局は夢の大きさだ。小さな夢は、それがどれほど素晴らしくても結局は現実に飲み込まれる。飲み込まれないくらいにくだらない夢を、どこまで見続けていることが出来るか否かだ。

野垂れ死に覚悟の私は、比較的強い。

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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
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