F1の光と影を描く 『ウィークエンド・チャンピオン 〜モンテカルロ1971〜』

アヘッド モンテカルロ 1971

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カジノや高級ホテルが立ち並ぶモンテカルロの街路がみるみる市街地サーキットへと姿を変え、異様な熱気に包まれていく。さあ年に一度の特別な週末、F1ウィークエンドの始まりだ。

text:山下敦史 photo:2012 R.P.PRODUCTIONS [aheadアーカイブス vol.151 2015年6月号]
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F1の光と影を描く 『ウィークエンド・チャンピオン 〜モンテカルロ1971〜』

F1の光と影を描く 『ウィークエンド・チャンピオン 〜モンテカルロ1971〜』

映画『ウィークエンド・チャンピオン』はこんな具合に始まる。1971年、伝説的なレーサー、ジャッキー・スチュワートがモナコGPに臨む週末を追ったドキュメンタリーだ。彼の親友で、劇中にも登場する後の巨匠映画監督ロマン・ポランスキーが製作を手がけた。

当時どういう経緯でこの作品が作られたのかは分からない。単なる偶然の巡り合わせかも知れないが、結果としてこの映画は、前年の1970年に親友にしてライバルのヨッヘン・リントを事故で失ったスチュワートと、2年前の1969年、結婚間もない妻を惨殺されるという悲劇に遭ったポランスキー、共に大きな心の傷を負った2人が、映画を通じて悲しみに向き合い、乗り越える力になったのではないかとも思える。

一方、多くの〝死〟を背景に、当時のF1レースの熱狂はまさに〝生の爆発〟として描かれる。スチュワートのマシンに搭載されたカメラの映像は、'70年代のモナコのコースを存分に体感させてくれるだろう。

野太いフォードDFVエンジンの咆哮に包まれるだけで心拍数が跳ね上がる。ケン・ティレルと意見を交換し合うスチュワートの姿や、後のタバコ会社スポンサーの先駆けとなったゴールドリーフ・タバコの赤白カラーをまとうロータスのマシンなど、貴重な映像の数々も興味深い。

だが何より、そこにはカタルシスがある。〝化け物みたいなマシンで、誰が一番速いか競う〟F1の根源がそこにある。世界的にF1人気が低迷していると言われる今だからこそ、この映画が公開される意味があるのだ。
J・スチュワートといえば、F1の安全性向上について貢献したことでも知られる。もちろんレーサーが無事にレースを終えられるよう技術や環境が進歩することに異論などない。

だが一方で、なぜ僕たちがレースに熱狂するのか考えれば、自分にできない凄いことを平気でやってのける奴ら、命知らずの奴らに対する賞賛があるからではないだろうか。だからこそレーサーは特別な存在であり、英雄なのだ。

ヨッヘン・リントの死を目の当たりにしながら30分後にはマシンに戻り、ゴールしてから改めて泣いたと語るスチュワート。レースという非日常を、日常として生きるレーサーたちのリアルがそこにある。

映画のラストは、現在のモナコを走る現在のF1マシンの映像だ。当時と比べ、遙かに事故からの生還率が上がり、遙かに速くなった現在のマシン。
この映像をどう見るかは、観客にゆだねられる。

だが、レースの感動が、カタルシスが、生と死の狭間にある人間と人間の魂の闘いにあるということは今も昔も変わらない。速く走るだけの機械=F1はそれを純粋な形で浮かび上がらせる。この映画は、その原点を示してくれるのだ。
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