おしゃべりなクルマたち Vol.100 私とワタシと車とクルマ

Vol.100 私とワタシと車とクルマ

アヘッド おしゃべりなクルマたち

昨日より今日がよかったと思う人生を送りたい、これが唯一の“時間”への願いだが、今回ばかりは感慨深い想いを抱いている。この連載が100回を迎える。

9年前のある日、受け取った手紙が縁で連載を始めた。送ってくれたのは今も担当を務める本誌の若林さん。彼女と会ったことはなかったが、とても自然な文体に心動かされて見知らぬ人とタッグを組むことにした。

連載依頼の手紙には、当地での暮らしをクルマを通して眺めたものを、と記されていたが、私は最初、家族のことは書かないつもりだった。それはプライベート云々のためではなく、私が明石家さんまで娘がIMARUならともかく、普通人の子供の話やダンナの愚痴を読んでも面白いことはないと考えたから。

にもかかわらず、今、読み返してみると、家族、なかでも愚息のことを一番多く記している。

こうなってしまったのは、親の願いとは裏腹に当時、中学生だった彼が非常にクルマ好きで、今に至るまで愚息が属する小さな社会が自動車で溢れているから。

親の願いは虫に詳しい男の子に育つことだったが、愚息は蜘蛛を見つけると今でも妹を呼びつけて始末させるほどの腰抜け。代わって彼の妹である娘は虫には強いが自動車はからきしダメ。

法学部に在籍する彼女は六法全書はするする頭に入るが、いまだ、クルマに乗ると真ん中がブレーキ・ペダルだっけ? と兄に問う。

私は愚息が足を置くエンスーな社会にまったく知らないフランスを見て、娘が生きる、クルマとは無縁の社会にこれまたまったく知らないフランスを見た。ふたつの社会を覗き見て思ったのは、クルマは話すということ。いや、コトバを発さぬクルマはない、こちらが正しい。

もちろん、冷蔵庫も語る。私は他人の家に行って休暇先で買ったマグネットが貼られた冷蔵庫を見ると、マグネットをお腹に抱えて生きる冷蔵庫がこの家族の遍歴を喋っているような気がするが、しかし、冷蔵庫は走らない。丸いカタチのそれも三角の冷蔵庫もない。ここがクルマとは異なる。

 自動車は色んな顔を持つ。技術、経済、商業、芸術、流行、時代で分けることも出来るが、自動車と書く時とクルマと記すときでは“異なる”ものになる。それがこの連載でもっとも感じた面白さであり、伝えたいと思ったことだった。

クルマと記して出てくる<クルマ>は車輌とは違うのである。それは、私とわたしとワタシとアタシ、それぞれが与える印象、受け取る感じが異なるのと同じで、意味上の役割の違いというより、何をどんなふうに伝えるか、その違いだと思う。果たして皆さんにクルマのコトバは伝わっただろうか。

読んでくださってありがとう。心からありがとう。ココロからアリガトウ。

今回が最終回です。

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text:松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。

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