ひこうき雲を追いかけて vol.53 引き際の美学

vol.53 引き際の美学

アヘッド バイクと海

自分の親は大丈夫だろうか、と誰もが思うだろうし、また、将来の自分は大丈夫だろうかとも思うだろう。

仕事柄、私の周りの70代は未だにサーキットを走ったり、競技に出たりしているスーパーマンみたいな人もたくさんいて、世の中とのギャップが大きいが、若い頃から徹底的に走るという技術を鍛え、継続的に経験を積み重ねてきた彼らはやはり特殊な例に違いない。

人として生まれてきた以上、〝老化〟は避けられない。ならばある年齢を過ぎたら免許を返上して運転しなければいいわけだが、もちろん話はそう簡単ではない。移動手段として止むに止まれぬ事情で運転している人も多いはずである。

一方で、止むに止まれぬ事情はなくても、クルマが好き、運転することが好きという人にとっても免許返上は辛い選択だ。老いを受け入れ、自由という価値を自ら手放すことに他ならないからだ。

20年後、30年後、自分がそういう選択を迫られたとき(必ずそのときは来るだろう)、私はそれを甘受することができるか。そんなことが頭をよぎって、不安はますます大きくなる。

しかし、私の周りにはもっと早い段階で同じような局面に立たされる人たちがいる。オートバイ乗りである。プロのライダーやプロ並みに走れるという人ほど、一年一年はっきりと衰えを突きつけられると言う。

40代と50代ではまるで違う、とみな口を揃える。オートバイの乗り方や、オートバイとの付き合い方を変えてみたりしながら、若い頃とは違う関係性を築こうと模索しているように見える。オートバイに乗ることが生きることと直結しているような人たちだけに、悩みは深いだろう。

クルマはオートバイとは比較にならないほどはるかに長く乗れるわけだが、彼らと付き合っていると、やはり乗れなくなるその日のことを想像せずにはいられない。

移動手段としてのクルマや、便利さという意味でのクルマは、タクシーに置き換えたり(その分、お金が掛かるという問題はいったん置くとして)、クルマの側が進化することによって、ひょっとしたらある程度解決の糸口は見つかるかも知れないが、自由や生きがいという意味でのクルマやオートバイを他のものに置き換えることが果たしてできるのかどうか。

答えは出ないが、私は「乗れなくなる日が来るかもしれない」ということを頭に置きながらクルマと付き合っていくのだろうと思う。ネガティブではあるが、目を背けないことが大事という気がしている。

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text:若林葉子/Yoko Wakabayashi
1971年大阪生まれ。Car&Motorcycle誌編集長。
OL、フリーランスライター・エディターを経て、2005年よりahead編集部に在籍。2017年1月より現職。2009年からモンゴルラリーに参戦、ナビとして4度、ドライバーとして2度出場し全て完走。2015年のダカールラリーではHINO TEAM SUGAWARA1号車のナビゲーターも務めた。

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