Rolling 40's Vol.100 敷居の高さ

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2016年も、「ややこしさ」の極みをバイクと共に探し続けた1年間だったが、その年が終わろうという時、いよいよ最後の迷宮の扉まで開けてしまった。

text:大鶴義丹 [aheadアーカイブス vol.170 2017年1月号]
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Vol.100 敷居の高さ

Vol.100 敷居の高さ

「2ストキャブの最新エンデューロレーサー」

煙が蒸気機関車のようにモーモーのイメージのあの2ストエンジン。前世期の遺物としてのイメージしかないロストテクノロジー。
今やもっとも廉価版の原付でさえ、4ストのインジェクションが当たり前の時代である。

排ガス規制やら何やらで、とうの昔に「絶滅」したと思われている2ストエンジンであるが、実は、ヨーロッパや日本の一部の小排気量オフロードレーサーにおいてのみ、ひっそりと「棲息」しているのである。

これは一般の乗り物好きの方でもあまり知らないことである。言ってみればネッシーのごとき未確認生物UMAの領域に近いであろう。

普通の方なら、そんな訳の分からない乗り物に、どうして大枚を叩くのかと首を捻るところであるが、それは昭和のバイク乗りたちだけが知る「悦楽」のためだ。

細かい機構の話は面白くないのですっ飛ばして説明するが、要はこのマシンに搭載されている2ストエンジンと言うのは、パワーが唐突にドカンと出るのである。

それはもう普通の方なら危険だと怒り出すか、逃げ出すような、乗り手の気持ちを全く無視したような出力特性を持っているのだ。だがその特性を手なずけた時には、普通のエンジンでは不可能な走行性能を堪能できるのである。

故に、エンデューロと呼ばれる、一部公道を使用する二輪のラリーのような競技に、未だに一部の特殊な使い方をされているのだ。

加えて私が手に入れた最新エンデューロレーサーは、燃料供給システムがこの時代にシャボン玉のごとき原始的な、キャブレターである。繰り返すが、いまどきは原チャリでもコンピュータ制御が当たり前だ。

おまけにこのバイク、キャブレターをユーザーが自分で分解して、燃料調整して走らせてくださいという。

実際に取扱説明書を開くと、標高、気温、に合わせてキャブレターの中身をどうやって変更するかが化学方程式のように難しく書かれているのだ。それも全て英語で…。またガソリン自体にも特殊なオイルを正確に混合させなければならず、ガソリンスタンドに行ってただ給油すればいいわけではないのである。

公道を走行することは法的にも可能だが、通勤などを目的とはしていないエンデューロレーサーなのだから当然、と言われてしまえばそこまでだ。しかしこの「敷居の高さ」には、私も閉口した。

高い費用を払わせておいて、うまく調整した暁には、魔法のように速くなるので、あとは自分の腕と知識と、コネクションで育ててくださいとメーカーが言い切っているのである。

実際には、このようなことを分からずにこの手のマシンを買うユーザーというのはいない。私自身もそれ相応の知識とコネクションがあるからこそ、勇気を出して手にしたようなマシンである。

このマシンはあくまで極端なものだが、何から何まで「お手てつないで」の時代故に、私はこのマシンの、ユーザー丸投げ感覚に心底しびれてしまった。

今の時代、何から何までメーカーはユーザーに気を遣っている。周知のように、ユーザーが間違った使い方をしても、場合によってはメーカーが責任を取らされる時代である。法律的には仕方のないことだと分かっていても、そんな「当たり前」を目にする度に疑問を感じざるを得ない。

一番分かり易い例は、クルマの説明書に、右がアクセルで左がブレーキですと書いてあることだ。

少し乱暴に断言しよう。踏み間違えは、誰にでも起こり得る事故である。だが基本的な知識として、右がアクセルで左がブレーキだと、心の底から理解していない方は、クルマを買うべきではないと思う。

クルマの説明書の、アクセルとブレーキの説明をじっくり読んでいる時点で、それは教習所に入所したときに知る知識であり、私はアウトだと思ってしまう。

そう考えると私が手に入れた新たなマシンと言うのはとてつもなく「敷居が高い」ということだ。

外科医しか買う必要のないレーザーメスや内視鏡、築地のマグロ問屋しか必要としない1m以上もあるマグロ包丁、科学従事者しか使わない電子顕微鏡のような類である。完全な「業務用」というやつだ。

もちろん、みんな等しくその価値を知るべきだという話ではない。台所の横に、日本刀のようなマグロ包丁があったら恐ろしくてお茶も沸かせないし、自分のお腹に穴を開けて内視鏡でセルフ健康診断などできる訳もない。

だがそれでも私は「業務用」という世界に、お金だけ出せば全てが揃う「一般用」とは違う、モノを使う事への本質を感じてしまう。

その能力を使い切れるかは、あなた次第だという考え方。モノと人間が対等か、場合によっては人間が挑戦者であるという厳しさを無言で言い放っている「製品」の気高さに私はしびれてしまう。

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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968
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