もうひとつの花・咲く・頃から

もうひとつの花・咲く・頃から

アヘッド 花

今でこそ、イタリアではこうだ、フランスではああだと知った顔で偉そうに語っているが、日本中が、スパゲティといえばナポリタン、白いご飯のおかずにグラタンを食べてそれが洋食だと思っていた時代に、私は育った。外国に行ったのは二十歳を過ぎてから。この時、初めて飛行機に乗った。

そんな私が今はフランスに住む。イタリア、ベルギーを経て当地に移り、長い時間が流れた。どうしてこういうことになったのか、移り住むまでの経緯を以前、本誌で『花・咲く・頃から』という原稿に記したが、簡単に言えば、26年前、日本に大きな波のようなものが押し寄せてその波に乗った、こういうことになるだろうか。

波はいわゆるバブルがおこしたものだったが、ベルリンの壁が崩壊し世界が揺れていた。それも波のはしくれにあったかも知れない。戦後、働きに働いて力をつけたニホンが初めて個の楽しみをよしとする、そんな新しさを湛えていたが、そこには女の生き方の変化が含まれていた。

変化の原動力となったのは私の上の世代の女性たちの奮闘だ。女が仕事を持ち、結婚が選択肢のひとつになり、自動車免許の取得から自分で運転することから男女雇用機会均等法の施行まで、彼女たちの苦労と頑張りがあった。

私は棚から落ちたぼた餅を拾った世代。松田聖子のように、何もかも自分のために掴もうとする女性が急激に増えたのがこの時期だったが、岡崎心太朗クンが綴る、今の若者の現状を読むたび、私の世代は彼らのために何かしただろうかと痛みを覚える。

あの頃の日本は外の空気に飢えきっていた。みんなが外へ外へとベクトルを向けた。ブランド物に飛びついたのも、ガイシャに走ったのも、イタリアンが流行ったのもすべては〝世界〟が見たかったからではなかったか。もちろん私もそのひとり。フランス車に出会ってそれまで乗ったクルマとの違いに愕然とした。

イタリアにクラシックカー・レースの取材に出かけ、クルマが〝生きている〟ことに感激した。クルマが生きる場所で自分も生きてみたいとそれで移り住むことにした。地に足が付いているとは思えない決断、やっぱり波に乗っていたのだろう。

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言葉に自信はなかったが、常識に国境はないからなんとかなると気楽に住み始めた。毎日、新しいことに出遭って喜んだが、常識についていえば自分のそれはイタリアでは通用しないことを住み始めてすぐ知った。

切手のストがあって、電車が時刻表通りに動かず、郵便局に行けば局員がお釣りを投げ返す。クリーニング屋では預けた服が見つからないといわれた。些細なことに驚く毎日。といっても腹を立てたわけではない。どうしてこういうことをするのか、こういうことになるのか、それが知りたかった。

お金を投げ返すのはお賽銭よろしくこの国の風習かと真面目に考えたこともあって、それで語学学校の教師に尋ねたが、彼は笑いながらこう言った。

「引き下がらずにわからないことはなんでも聞いてごらん」

これは今に至るまで私の座右の銘。ちなみに洋服はしばらくしてから見つかり、飛んでくるお釣りについては3度目に遭遇したとき(いつも同じ局員だった)尋ねると彼が言った。

「忙しくて頭、おかしくなりそうなんすよ。渡し方にかまってられなくて」

お釣りは丁寧に差し出すもの。クリーニング屋は預かったものを期限に仕上げるもの、それが当たり前だと思っていた。いや、今でも思っている。それでも当たり前でない地もあって、違いを〝広さ〟として受け入れることが他所の国に住むことだと今は思う。

自分のやり方を押し通して見えるものはない。なにより、忙しくて頭おかしくなりそうで、それでお釣り投げちゃう人間臭さが可笑しかった。日本ではこういうヒトにはなかなか出会えない。

自分にとってのフツウが作用しないことに戸惑った時期、私はニホンを基本にものを見ていたのだと思う。上下左右、どっちを見ても違いだらけで、はてなマークを満載して毎日を過ごした。

フランスに移ってすぐの頃はイタリアを軸にものを見た。フランスの方がヒトもコトもロジカル。父が亡くなったとき、イタリア人には「辛いことは話した方がいい」と言われたが、フランス人には「辛いことは話さない方がいい」と慰められ、泣きながら笑ってしまった。同じ大陸内の隣国でこれほど違う。

おそらく人間は自分の知る世界に足をつけ外を眺めることによって、戸惑ったり驚いたり感激したりしながら、新しさを受け入れていく生き物なのだろう。それでも自分の中にこれほど〝日本〟が根付いているとは思っていなかった。

イタリアを軸にフランスを眺めた時期も、軸のイタリアはニホンのフィルターを通したイタリアであった。三つ子の魂百まで。育った場所の根深さにため息が出る。イタリアとフランスに感じるのは友情、愛情はやっぱりニホンにあって、それで日本から目が離せない。

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多くのヒトがガイシャに夢中になり、憑かれるようにパリに出掛けてブランド物を買い漁った日々は尋常とは言い難い時代だったが、外の世界への好奇心に溢れていた。一通り終わったのか、外を見たことで今度は内に目を向けたのか判断がつかないが、今の日本はヒトも国も内向化している印象を持つ。

敗戦が生んだアメリカン・コンプレックスのなかで育った私の時代は自国を肯定することに抵抗があった。そういう意味では外国に興味はないと言い切る若者の潔さは私には羨ましい限りだが、それが国のレベルになると疑問を抱く。ISISの一件も現在の移民問題への対応も世界の足並みからずれている、そんな気がしてならない。

昭和ヒトケタ生まれだった母は戦争が始まったとき、みんなで槍を持って浜辺に立てば敵は恐れをなして撤退すると教師に教えられたそうだ。それを信じたとよく情けない顔で笑ったが、信じたのは教師のこんな一言だったという。「島国の強みです」 今の日本を考えるとき、この言葉を思い出す。

クルマとヒトの関係もここ20年で大きく変わった。クルマとオトコは距離を置いた印象を持つが、クルマとオンナのそれは縮まったと思う。私の時代は女性とクルマの間には、独立、失恋、音楽とかヒールとか結いたロングヘアが挟まっていた。〝アタシ〟が充満していた。今はもっとストレート。クルマで遊ぶ日本女子を見るたび、勇気がモリモリわいてくる。

この雑誌の編集者で、妹のように想う若林葉子は国際ラリーレイドのプロだが、彼女から知らぬ土地の話を聞くと世界の広さと自分の小ささを想う。ちっぽけな常識人がちっぽけな日常にぐたぐた悩むなと思うのである。このワカバヤシが好きなのが彼女と同世代の伊達公子だという。私も同じで手を取り合った。といってもテニスのことはまったくわからない。

それでも彼女の試合を欠かさず追うのは伊達の鬼気迫る表情が見たいから。イタリアでクルマが生きていると感じたのは、乗るヒトに表情があるからだと住んでみて思った。怒る顔、笑う顔、困った顔、驚いた顔、ぼーっとした顔にすら表情がある。日本に戻るといつもクルマがのっぺりしていると感じるのはヒトが無表情だからだろうか。

伊達公子の、〝自分が勝つ〟の顔をみるたび、意志の強さにおののくが、怒りがあるぶん、喜びの多い人生を送っているヒトなのだろうと推測している。

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日本を離れてから長い旅をしているような、そんな気持ちで生きてきた。再び波がおとずれて、その波に乗って日本に戻るかも知れないと思っていたが、年を重ねて私が乗る波はもう来ないのだろうと今は思う。

悲惨な気持ちはかけらもない。それでも日本が頭から離れる日はなくて、これが可笑しい。日本女子は何をしているかとインターネットをのぞく毎日。クルマで遊ぶ彼女たちの様子に元気をもらい、パンダで走り回っている。

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text:松本 葉/Yo Matsumoto
自動車雑誌『NAVI』の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。

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