プライベーターのダカール

アヘッド ダカール

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ダカールはモータースポーツの世界における一方の頂点だ。メディア露出量だけを見ても、単独のイベントとしてモトGPやWRCを遥かに凌ぐ(*)。砂漠という隔絶された空間を舞台にしながら、GPSによるトラッキングシステムや、空撮を駆使した映像によって、自宅にいながらにして、ネットやTVなどでもトップライダーたちの激戦を間近に感じることができる。

 text:春木久史 [aheadアーカイブス vol.171 2017年2月号]
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プライベーターのダカール

プライベーターのダカール

2015年に初出場して3位入賞という快挙。翌2016年はファクトリーマシンを与えられ、王者KTMのエースとして遇されることになっトビー・プライスはその喜びをこう表した。「世界中の人たちが、2週間ものあいだ、トップ争いをするたった5人ほどのライダーの動向に釘づけになるんだ。そのうちの一人に僕がなれるなんて!」。

一握りのトップ選手を大量の資金と人員、物量で支え、1分1秒を争う。人々はそんなヒーローに自分の夢を託す。

今年、ダカールにはもう一人のヒーローが誕生した。英国から参加したプライベーター、リンドン・ポスキットだ。彼が参加したのは Moto(One Trunk)というクラスだ。メカニックなどの援助無し、主催者が運ぶトランクひとつと、自分の力だけを頼りに完走を目指す。

このクラスの参加者が表現しているのは、1970年代に始まった「冒険」としてのラリーの姿だ。リンドン・ポスキットは、毎日、自分で撮影した映像を主催者に提供し、冒険としてのラリーを世界に発信。雨に打たれ、疲労に倒れ、大自然に感動し、夢に向かって走り続けた。
プライベーターのラリーはそれ自体が過酷で冒険的だ。今年の優勝タイムを見ると、今やSSでの平均時速は100㎞/hに迫る。400㎞を本当に4時間ほどで走りきってしまう。それはスプリントレースにも例えられるほどだ。

一方、プライベーターのタイムは時にその倍にもなってしまう。さらに500〜700㎞もの移動(リエゾン)が加わって距離は800㎞、時間にして15時間を超えることもある。ずぶ濡れでビバークに到着し、泥の上にテントを張って、バイクを整備して、横になってうとうとしたらもうスタートの時間。冷たい雨の中、また長い一日の始まりだ。

今年、日本から風間晋之介が初出場したのはMalle Motoクラスではなく、バイク冒険家の父、風間深志がサポートに同行する親子二代の挑戦だ。

モトクロス国際A級という今のダカールでは最低限と言える程度のライディングスキルだけが、彼の拠りどころだったのではないか。過酷なラリーを初出場で乗り切って67位で完走してみせた、その底力についてはいずれ機を見て書くことになるだろう。

167名がエントリー(Motoクラス総数)、9000㎞を走りきってブエノスアイレスのポディウムにたどり着いたのは97名というラリーだった。

■リンドン・ポスキット
2014年に母国イギリスを出発。一台のバイクで旅をしながら各地のレースに参加し、世界中のライダーを友情でつなぐプロジェクト"Race to Places"を実行。ダカール2017をそのフィナーレと定め見事完走した。


■風間晋之介
初出場で「完走」という目標を達成。サポートチームとしてラリーに同行した風間深志は、1982年、当時のパリダカに日本人として初出場し18位で完走した記録を持つ。親子での夢の実現でもあった。

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