Rolling 40's VOL.107 偉大なる猿

VOL.107 偉大なる猿

アヘッド ROLLING 40's

きっかけはとある広告写真で、そのバイクがインテリアのように部屋の中に鎮座していた。赤いチェックのシートがどこか70年代風で、バイクと言えば、外で駆け回る姿が当然だという思い込みにヒビが入った。突如としてその小さくて可愛い原付きバイクをリビングに置いてみたくなった。ガレージではなく、自分の日々の寝食の風景の中にバイクがあるという経験をしてみたくなったのだ。

しかしそのバイクは世界的な排ガス規制により、50年ものロングセラーモデルが終焉を迎えるという話題のモデルで当然超入手困難な状況。原付きバイクだというのに、結局2ヵ月以上もの時間を要した。ネットオークションでは定価の2倍近い金額で取り引きされている噂もあり、もうほとんど諦めかけていたときに、それは突然に手に入った。まさに運命。

興奮が覚めやらないまま自宅のリビングに招き入れた「原付きバイク」は、バイクという枠に収まらないその秀逸なデザインもあり、我が家の風景に妙に溶け込んだ。無機質な機械というより、壺やオブジェのような佇まいである。また最後まであまり良い顔をしていなかった妻が、その存在を可愛いらしいと感じた事が意外であった。やはりただの原付きバイクではないようである。

妻のこの反応は、次の春に50歳という大台を迎える私が、ここまで乗り続けたバイクという存在を理解するのに大きな助けになると思った。バイクマニアでない方がバイクに惹かれる要素とは何であろう。私たちバイクマニアは好き過ぎる気持ちがあまりに先行しているので、それを長く続けるためにも客観視することは必要だろう。

年齢も何も、己の好きに乗ればいいだけだという意見もあるが、私にとっては、自分の趣味嗜好の在り方を、客観的に理解するのは必要な作業なのだ。私は遊びにおいても、進化や成長を求めその過程を楽しむ性質で、とくにバイクに対しては、文章や映像でも商いをしているというのに、未だに気を引き締めていないと、16歳のままの好きな気持ちが暴走しがちである。バイクとはそれくらいに冷静でない関係なのだ。

そんな私だが、リビングに鎮座している「原付きバイク」を、四六時中、好きなだけ見つめたり触ったりしながらいると新しい感情が生まれた。乗らないからこそ感じられるものもある。

モンキーは実際に乗っても楽しいし、歴史的名機と言われるエンジンを改造しても楽しい。だがその小さなサイズから、乗らなくとも近くに置いておくだけでも大きな楽しみを与えてくれる。それは乗らなくても感じられるバイクエキスだ。

普通のバイクのようにリアルに使いこなすのではなく、バイクが持っている魅力を濃縮したエキスだけを、御猪口でチビリチビリとやる。そんな事をして何が楽しいのかと問われたら、分からなくて当然、これはバイクを知っているものだけの遊びなのだと答えるだろう。

特注のガレージや趣味のスペースにスーパーカーを数台飾るような、ガレージングと言うセレブな道楽も、この延長にあると思う。その手の方達は、サーキットでスーパーカーの限界性能をリアルに確かめるのではなく、スーパーカーが象徴する何かを生活の一部にしたいのだろう。

自動車博物館のような場所に行ったことがあるだろうか。展示されている自動車に乗ることは出来ないが、そこにある自動車一台一台がとても輝いて見えるはずだ。

我が家のモンキーの扱い方も然り、乗り物としての本来の機能ではなく、見るだけの楽しみの特化だ。鉄道ファンにおける、旅が目的の「乗り鉄」、撮影が目的の「撮り鉄」というのは、棲み分けの分かり易い結果だ。乗って当然のものを敢えて乗らないからこそ、見えたり分かってくることがあるのだろう。またはその逆もあるのかもしれない。

今迄経験したことのないバイクとの関係を発見しようと手に入れたモンキー。それを乗り物ではなく、実寸大プラモデルにしたことで分かったことは、乗らないからこそ感じられる、バイク単体としての存在感や機能美だ。走ってしまうとバイク乗りは、走るという主観の感情に特化し過ぎてしまう。

しかし、とは言ってもいつかはそのモンキーも走らせるときがくるのだろう。その愛玩の仕方は、オリや水槽の中に生き物を閉じ込めているようなものなのだ。生き物は自然の中で生きていくのが一番なのは言うまでもない。

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text:大鶴義丹/Gitan Ohtsuru
1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。本人によるブログ「不思議の毎日」はameblo.jp/gitan1968

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